小田島からの手紙
現在、東京拘置所に収監されている畠山(旧姓小田島)
鐵男は、今年2015年の4月を迎えることができれば満72歳になる。
私が畠山と文通を始めたのは、千葉地裁で「死刑判決」が出た2007(平成19)年
3月以来で、今年で8年目になった。その間、07年11月1日には控訴を自ら取り下げて「死刑確定囚」となった。来信の手紙は数百通にもなるが、綴られた
内容は獄中の心情を余すことなく吐露していた。
昨年2014年の面会は10月が最終となった。それ以来、面会には行っていない。
「静かに執行の日を待ちたいので、面会には来ないでもらいたい。手紙も書きません」
こんな文面の簡易はがきが届いたのが11月2日であった。私も、あえて手紙を出すことを控えていた。
それが、どんな気持ちの変化なのか、今年1月に簡易はがきの手紙が届いた(※写真中央)。文中に「平成27年の正月を生きて迎えることになるとは全く思っ
ていませんでした」と、記している。その心境たるや、推し量る以外には、私には分からぬが「生への執着」は、断ち切ったのではないか?
現在、東
京拘置所には今年2月2日に「秋葉原無差別殺人事件の」被告、加藤智太(ともひろ)被告の死刑が確定したために、収容人数が129名となった。畠山はいつ
執行されてもおかしくない「順位」にある。従犯の守田克美が最高裁に再審請求を出しているので、その結果次第で、同時執行もあり得る。また、第3次安倍改
造内閣で法相に就任した上川陽子氏は記者会見で「法相たるもの現行法を尊重したい」と、執行には前向きで肯定的な発言をしていた。
1月の畠山の手紙は最期になるかも知れない。私は、近々、畠山に面会するつもりだ。そして「覚悟のほど」を、聞いてみたいと思っている。あしかけ8年……長い付き合いになってしまった。(文中敬称略)
※この文章は雑誌「実話裏歴史Special vol.27」に掲載されたものです。
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