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2014年5月 1日 (木)

闘う姿を重ね合わせ、袴田さんを長年支援したボクシングジム会長

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140501-00078493-kana-l14 カナロコ by 神奈川新聞 5月1日(木)11時0分配信 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140501-00078493-kana-l14

 静岡県で起きた一家4人の殺害事件で死刑が確定し、静岡地裁の再審開始決定で47年7カ月ぶりに釈放された元プロボクサー袴田巌さん(78)。その袴田さんを長年支援し続けた一人が川崎市多摩区の川崎新田ボクシングジム会長、新田渉世(しょうせい)さん(46)だ。原動力となったのは負けても負けても立ち上がり続ける、同じ元プロボクサーとしての誇り。「まだ無罪を勝ち取ったわけじゃない。これからも活動を続け、世論を盛り上げたい」と前を見据える。

 4月6日夕、世界ボクシング評議会(WBC)ダブルタイトルマッチが開かれた東京・大田区総合体育館のリング上。袴田さんの姉、秀子さん(81)がWBCのスライマン会長から授与された「名誉チャンピオンベルト」を高々と掲げる。

 その脇に柔らかな笑みを浮かべる新田さんの姿があった。

 ベルトには、モハメド・アリら往年の名ボクサーの顔写真と並び袴田さんの現役時代と現在の写真があしらわれていた。日本フェザー級6位が最高だった元ボクサーに現役王者と同じデザインのベルトが贈られるという計らいに、「早く巌に見せたい」と声を弾ませる秀子さん。

 「普通ではあり得ないこと。ボクシング界としてこれに勝る喜びはない」

 日本プロボクシング協会袴田巌支援委員会の委員長としてその様子を見守った新田さんは集まった報道陣にそう話した後、ただちに表情を引き締めた。

 「支援者としては検察の即時抗告に対して手を打っていかないといけない。ベルトをもらったことが知れ渡り、世論喚起につながっていけば」

■□■

 支援活動を本格的に始めたのは8年ほど前。獄中から別のジムの関係者に寄せられた手紙の一節に熱くなるものがこみ上げた。

 〈私はふたつの拳で戦ってきたボクサーなんです。ボクサーであることが私の唯一の誇りなんです。凶器を持って人を殺せると思いますか〉

 ボクサーであれば知っている。

 逃げ場のないリングに生身をさらし、殴り殴られる痛みを知るからこそ、ボクサーは人を傷つけたりはしない-。

 そして、自身の来し方を重ね合わせた。

 秦野市出身。高校3年で名門金子ジムに入り、横浜国大2年の時にプロデビュー。東洋太平洋王者のベルトをつかみ、「初の国立大出身王者」と注目を浴びたが、道のりは平たんではなかった。王座挑戦は3度失敗。通算成績も23勝9敗2分。「『負け』に負けるな」の言葉を胸に刻む。

 「何度も負けたけど、また立ち上がった。次元は違うが、袴田さんも逮捕されてからずっと闘い続けてきてきた」

 冤罪(えんざい)を訴える獄中からの叫びを放っておくことはできなかった。

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 世論を盛り上げようと、ボクシングの試合会場でファンに支援を呼び掛け、署名を手に法務省に足を運んだ。東京拘置所での面会は2007年6月以降24回を数えた。拘禁症状からか、会話が成り立たないことも多かったが、「ボクシングの話になるとパンチを打つしぐさを交え、熱心に話してくれた。ボクサーの血が流れているんだなと思った」。

 ただ、この3年半は毎月面会に足を運んでも「そんな人は知らない」「もう終わったから」と断られ続けた。「健康面はもちろん、希望をなくしている様で心配だった」。布川事件や東電OL殺害事件と再審無罪を勝ち取るケースが相次ぎ、「そのことを伝え、希望を持ってほしかったが、伝えられないもどかしさがあった」と振り返る。

 釈放間もない4月2日昼。都内の病院に袴田さんを見舞い、花見に誘った。プレゼントしたスニーカーでゆっくりと歩いた。赤信号で止まり、青信号で歩きだした。

 「まさかこの日が来るとは。写真を撮りたくて、『最近は電話とカメラが一緒なんですよ』などと言いながら撮ったりね」

 ただ、ボクシングの話を振っても「もうそんなものは存在しない」と取り合ってくれなかった。「唯一そこが袴田さんとつながる接点でもあったのに。悲しかった。でもすぐ回復すると思います」。流れた歳月の重みは決して消えないことを悟った。

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 今月19日にはボクシングの聖地、東京・後楽園ホールで開く「ボクシングの日」のイベントに袴田さんを招き、WBCから贈られた名誉チャンピオンベルトを直接手渡す予定だ。現役の王者らも一堂に会し、「無罪が確定したわけではないが、ここまで闘ったこと自体が名誉チャンピオンベルトに値する。何とか会場に足を運んでもらいたい」と話す。

 新田さんは言う。

 「再審開始決定イコール無罪ではない。事実上無罪が決まったように言われるが、まだ再審も開始していない。これからも次の手、次の手を出していく」

 袴田さんの誇りと平穏な日々を取り戻す闘いはまだ、続いている。

 ◆袴田事件 1966年6月30日未明、静岡県清水市(現静岡市)のみそ製造会社専務橋本藤雄さん=当時(41)=宅から出火。焼け跡から刺し傷のある橋本さんと妻子3人の遺体が見つかった。県警は同年8月に強盗殺人、放火容疑で従業員の袴田巌元被告を逮捕した。いったん容疑を認めたが、公判では無実を主張。静岡地裁は68年、自白調書45通のうち44通を任意性に疑いがあるとして排除したが、金欲しさの犯行と断定し、死刑を言い渡した。80年に死刑確定。第1次再審請求は2008年に最高裁が特別抗告を棄却。姉秀子さんが第2次請求を申し立て、今年3月27日、静岡地裁は再審開始を認めると同時に刑執行と拘置も停止した。

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コメント

ほんまや!
袴田さんの闘いは壮絶やった!
ボクサーは拳1つに命を懸けとるプライドがあるんや!凶器使うて相手を傷つけるマネは絶対にせえへん!わしのお父ちゃんかて無名やったが元プロボクサーや!そのお父ちゃんがよう言うてた!「強さとは優しさだ!」と!
わしはその言葉を胸に今日までずっと来たんや!
わしがボクシングジム通ってた時もな、みんな優しい人ばかりやったわ!!
ボクシング協会は袴田はん救う為に必死やった!
わしのお父ちゃんも、いつも袴田はんを心配しとった!
袴田はんは命を懸けて闘いぬいたボクサーの誇りや!
世界王者や!!

投稿: 神宮雅枝 | 2014年5月 4日 (日) 20時34分

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