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2012年1月 6日 (金)

戦後三大謀略事件のひとつ「三鷹事件」の再審開始を!(『創』2012年1月号より)1/3

創 1月6日(金)22時23分配信
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20120106-00000304-tsukuru-soci

さる11月10日、1949年に起きた「三鷹事件」の再審請求が起こされた。死刑が確定している竹内景助氏の無実を晴らそうというものだ。主任弁護人の高見澤弁護士が経緯を語った。


 1949年に起きた下山、三鷹、松川の三大謀略事件といえば、もう60年も前の事件だが、その三鷹事件の再審請求がつい先日、11月10日に実現した。

 事件が起きたのは1949年7月15日。中央線三鷹駅構内で無人電車が突如暴走し、脱線。駅周辺の建物に衝突して通行人ら6名が死亡、重軽症者も20名という大惨事だった。当時、政府やマスコミによって、共産党の仕業ではないかというフレームアップがなされ、共産党員9名と国鉄労働者だった竹内景助氏が逮捕された。厳しい取り調べによって彼らのうち何人かが“自白”に追い込まれたが、裁判では竹内被告を除く全員が無罪を主張。竹内被告は供述を単独犯行、共同犯行、無実と二転三転させ、一審では無期懲役、二審では死刑判決が出される。その後は一貫して無罪を主張するのだが、無罪判決となった他の9名と異なり、1955年、最高裁で上告棄却。死刑が確定してしまう。

 最高裁での判決は裁判官の間でも意見が分かれ、8対7で決定した。当時は新憲法が制定され、新刑事訴訟法が施行されたにもかかわらず、自白偏重は変わらず、この裁判も問題の多いものだった。死刑確定には批判的な世論も多く、すぐに再審請求を申立てたが、10年も放置され、ようやく裁判官から再審のために本人から意見を聴取するという連絡があった矢先の1967年に竹内景助死刑囚は病気で獄死してしまう。冤罪を晴らそうとした志なかばでの無念の死だった。その遺志を継ごうとしていた妻も、その後84年に死去している。

 竹内死刑囚の死から40年間、今回弁護士たちの働きかけを受けて遺族である長男が立ち上がるまで、再審請求は行われなかった。自白以外にさしたる証拠もなく、冤罪であることは明らかなこの事件がどうしてそのような状態のままになっていたのか。今回再審請求に尽力した弁護団の主任弁護人・高見澤昭治弁護士にインタビューした。


◆なぜ40年間も再審請求がなされなかったのか◆

――まず今回、40年ぶりに再審請求に至った経緯をお聞きします。竹内景助さんが亡くなった後、なぜすぐに再審請求が行われなかったのでしょうか。

【高見澤】弁護団は、遺族が請求人を承継して手続きを進めてほしいということを強く求めたようですが、裁判所の決定書をみると、「再審請求事件の手続は竹内景助の死亡により終了した」ということで、手続を終わりにしてしまいました。ただ、樋口勝裁判長の下した決定書の最後に、非常に意味深長なことが書いてあります。「しかし、本件は、実質上、これで終止符が打たれたものではない。今後他の請求権者の同一理由による新たな再審の請求を妨げるものでないことは勿論、そのような請求があった場合に、死亡した再審請求人竹内景助および同人の弁護人らの作成提出した幾多の書類は、当然、裁判所の取調のための資料となることは言うまでもない」とあります。

 そういうことがわざわざ決定書に明確に記載されているのに、どうしてすぐにでも死後再審を申立てなかったのか、私も疑問を感じて、関係者に聞いてみたのですが、真相はわかりません。奥さんの政さんは、竹内さんが亡くなった後も、「夫の無実を晴らしたい」と強く望んでいたことが記録に残っています。お子さんもいるのに、どうして今までやられなかったのか今でも不思議に感じています。

――三鷹事件に取り組むようになったきっかけはどういうことからですか。

【高見澤】たまたま三鷹市に引っ越してきたのが縁で、2008年秋、三鷹事件に関する集会に顔を出し、関心を持つに至ったのです。関連図書などを読むうちに、判決に対する疑問や事件について不審な点が深まり、保管されていた裁判記録などを自分なりにいろいろ調べてみました。そして2009年、『無実の死刑囚 三鷹事件 竹内景助』(日本評論社刊)という本にまとめました。その過程で、何とか再審で無実を明らかにできないかと考えたのです。

 そのためには、まずご遺族が再審請求をすることを決断してもらわなければなりません。本をお送りし、長男さんとお会いしてお話したところ、父親の無実を信じており、奥さんも結婚前から支援運動に関わり、再審で無罪を勝ち取ることを強く望んでいたということで、喜んでくれました。奥さんは、亡くなられてしまいましたが、長男さんの決意で、再審事件に経験の豊かな弁護士達に協力を求め、動き出すことになったのです。

――その長男が、今回、実名は公表できないと、メッセージのみ発表したわけですが、どうしてですか。

【高見澤】難しい事情があるのです。再審請求へ向けて動き出した当初、TBSが「報道特集」で大きく取り上げてくれて、とても良い番組だったのです。そのときには長男もよかれと思って登場して放映されたのですが、それが兄弟や親せきに思わぬ波紋を投げたようなのです。甥や姪の中には、自分の祖父が死刑囚だったことを知らないまま育てられた人もいる。竹内景助というだけでは、甥や姪はすぐにわからなくても、長男が表に出れば「ああ、おじさんじゃないか」ということになるし、近所の人もまた事情を知ることになる。そのことを懼れたようです。

 そういう周囲の反応については、長男さん自身も苦労してきたようです。当時のことをあまり話したがりませんが、日本では逮捕されただけでも真犯人に違いないと思う人が多いうえに、裁判で死刑が確定しているというのは、「やったに決まっている」とほとんどの人が思うのではないでしょうか。

 学校でいじめにあったり、近所で白い目で見られたり辛い思いをしたようです。

 さらに卒業したあと、上の学校へ行く経済的な余裕はないうえに、就職しようと思えば履歴書を出さなければならない。しかし、親の名前が当時は誰もが知っている人物ですから、まともなところに就職できないわけです。家族は父親の無実を信じていても、社会に隠れるようにして生活しなければならず、その苦労は想像以上だったと思います。

 竹内景助さんは、家族思いの父親で、家族との往復書簡が『春を待ついのち』という新書版に収録されているのですが、これを読むと本当に涙が出てきます。

 再審というものに確たる見通しが立つのであれば、頑張ろうとなったかもしれませんが、みんな生きていくのに精一杯な中で、無罪を勝ち取るために長いことかかるということを考えただけで、とても耐えられないという気持ちになったのではないでしょうか。冤罪で死刑囚のままであるのは残念だけれど、もう忘れて生きていくしかないと考えたのかもしれません。

 冤罪というのは、被告人、有罪の判決を下された人間だけではない、その家族はもちろん、周辺に大変な被害を及ぼしている。彼らの一生を台無しにしてしまう、そういう犯罪的な行為だということを、検事はもちろん、裁判官にもマスコミにも理解してもらいたいですね。

<続く>

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