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2011年6月 1日 (水)

大阪教育大付属池田小事件から10年 重傷男児は今…「忘れたらあかん」

産経新聞 6月1日(水)15時31分配信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110601-00000102-san-soci

 平成13年6月、児童8人が死亡、教員を含む15人が重軽傷を負った大阪教育大付属池田小学校(大阪府池田市)の児童殺傷事件は8日で丸10年を迎える。友達を失い、自身も重傷を負った男子児童は今、将来の夢を語る高校2年生になった。自分を成長させた歳月は一方で事件を過去のものにしていく。だからこそ「命の重さを知った僕たちは、絶対に事件を忘れたらあかんと思う」と心に誓っている。 

 小学1年だった当時に比べ、倍近く伸びた身長は179・6センチに。府内の私立高校2年の山崎裕也君(17)は毎日、生徒会長の活動に忙しい。子供のころから「目立ちたくて」友達と漫才コンビを作ったりしたムードメーカーで、事件に巻き込まれたことを後で知った教諭が驚いたこともある。

 当時の記憶は断片的だ。事件を家族や友達と話すことはめったにない。だが、今も包丁の刀身を見ると「気持ち悪くなって吐きそうになる」。素手で刀身を触れない。

 あの日は音楽の授業が終わったころだった。教室にある自分のロッカーのそばにいたとき、「何か」が起こった。

 「先生と知らん人がお相撲を取ってた」。小さい自分には最初、そう見えた。自分の方に向かってきた男の顔は「逆光で黒くて、よく覚えていない」。腰にあったポーチのようなものだけが鮮明な映像として焼きついている。刺された瞬間の痛みは、なぜか記憶になかった。

 実際には肋骨(ろっこつ)を折り胃と肝臓を損傷、胆嚢(たんのう)を失う大けがだった。搬送される救急車の中、隣にはもう動かない友達がいた。窓越しにぼんやりと眺めた空は青かった。痛みや恐怖心はなかった。

 40日ほどの入院中、両親は事件のニュースが続くテレビを見せないように、病院は痛みを感じさせないように懸命に治療を続けた。「みんながとても気を使って優しくしてくれたおかげで、今こんなに楽天的で明るくなれた」と話す。

 しかし、学校に戻るには時間がかかった。教室に入るのが怖くて、しばらく母親と一緒に外から授業を聞いた。しんどくなれば図書室や保健室で過ごした。

 どんな状態でも父親の厳さん(38)は「ようやったな」と褒めた。徐々に教室で過ごせる時間が増え、2年生の秋ごろから「普通」に戻った。ただ、包丁がある台所に入るには4年近くかかった。

 進学先には大教大付属中とは別の学校を選んだが、毎年6月8日に行われる追悼行事には参加するようになった。その都度、亡くなった友達を思う。今年は修学旅行と重なるので事前に行くつもりだ。

 将来を考え、今年から塾にも通い始めた。生物や科学に興味があり、研究者、先生…と夢は尽きない。小学校卒業前に「お医者さんになって、しんどい子を助けたい」と語った夢の根幹には、ずっと大切にしている思いがある。

 「ああいう事件があって友達が亡くなり、僕らは命の重みを知った。そのことを絶対に忘れたらあかん」     

【用語解説】大教大付属池田小の児童殺傷事件

 平成13年6月8日午前10時すぎ、包丁を持った宅間守・元死刑囚=1審大阪地裁判決が確定した約1年後の16年9月、大阪拘置所で執行、当時40歳=が、開いていた自動車通用門から校内に侵入。教室にいた2年の女児7人、1年の男児1人の計8人を刺殺し、1、2年の13人と教師2人に重軽傷を負わせた。

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