いよいよ来月判決 秋葉原の惨劇に下されるのは、死刑か否か
産経新聞 2月13日(日)14時48分配信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110213-00000525-san-soci
【衝撃事件の核心】
殺傷した17人への償いは死なのか、それとも苦しみ抜いて生き続けることなのか。東京・秋葉原の無差別殺傷事件で殺人罪などに問われ、死刑を求刑された元派遣社員、加藤智大被告(28)の公判は、9日に結審した。検察側が「人間性のかけらも感じられない悪魔の所業」と言葉を尽くして非難したあの日の“地獄”から約2年8カ月。多くの遺族や被害者が極刑を求め、「なぜ事件を起こしたのか」と問い続けたが、ついに加藤被告の口から納得のいく真相が語られることはなかった。(滝口亜希)
■数十秒の陳述…裁判長も被害者も「あぜん」
「今現在は事件を起こすべきではなかったと後悔し反省しています。遺族と被害者の方には申し訳なく思っています。以上です」
時間にして数十秒。加藤被告にとって1審で発言が許される最後の機会だった9日の最終意見陳述は、拍子抜けするほどの短さだった。
約1年に及んだ公判のあまりにあっけない幕切れに、法廷にはとまどいが広がった。村山浩昭裁判長も驚いた様子で「よろしいですか」と尋ねたが、証言台で直立した加藤被告は「はい」と短く答えただけだった。
昨年1月28日の初公判。加藤被告は「せめてもの償いとして私にできることは、どうして今回の事件を起こしたのか、明らかにすることです」と“決意”を語り、「事件当時の記憶がない部分もありますが、私が犯人であり、私が事件を起こしたことに間違いありません」と謝罪した。
しかし、ほとんどの公判を傍聴席から見守った被害者の元タクシー運転手、湯浅洋さん(57)は「どこか他人事のようで、『自分がこの事件を起こした』という自覚が感じられない」と話す。
9日の結審後、湯浅さんは「あぜんとした」と感想を述べた上で、「最後まで、加藤本人から納得のできる言葉は聞けなかった。残念だ」と厳しい表情で語った。
■「なぜ何もできなかった」…事件後も続く自責の念
弁護側は、加藤被告に事件当時の記憶の一部がないことなどから、被害者や目撃者らの調書の一部を不同意とした。このため、計42人にも上った証人尋問は、法廷に惨劇を再現する作業でもあった。時にすすり泣きの漏れる傍聴席から証言を見守った被害者らは、審理の後半で行われた意見陳述で、今も続く苦しみを加藤被告の眼前で吐露した。
「男の人がごろごろと転がってきました。意識はなく、手足がおかしな方向に曲がっていました」「気づくとベージュ色のジャケットを着た人が近くにいました。殴られるような感覚があり、体から血が流れていました」
30代の女性は、加藤被告が運転するトラックにはねられた人を救護している途中、ナイフで刺された。自身も重傷を負ったが、周囲で血を流し、意識を失っていった人たちの姿が脳裏に焼き付いているという。
「結局、私は何の役にも立ちませんでした。私ができたのは、手を握っていただけでした。どうして何もできなかったんだろう。どうして死なせてしまったんだろう」。証言に立った女性は、自分を責める言葉を繰り返した。
■「加藤よ、よく聞け。お前を殺したい」…怒りに震える遺族
大切な家族を突然奪われた遺族らも、書面や口頭で意見陳述を行った。
「加藤、よく聞け。おまえは何てバカな、取り返しのつかないことをしたんだ。一体、おまえに7人の人を死なせ、多くの人にけがを負わせる権利がどこにあるんだ」
当時19歳だった大学生の一人息子を亡くした父親は、加藤被告に射るような視線を向けた後、強い口調で切り出した。
息子は友人らと秋葉原を訪れていたが、加藤被告のトラックにはねられ、死亡した。連絡を受けた両親が駆けつけると、すでに遺体は棺に納められていた。目に飛び込んできたのは、顔や手についた血。自宅に戻ってきた遺体には司法解剖の縫合痕が痛々しく刻まれていた。
息子が出るはずだった成人式には父親が代わりに出席したが、「息子も出たかっただろうな」と、無念の思いが募った。
「なんでこんな目に遭わされなければならないのか。俺の息子を返せ。できるなら俺はおまえをトラックではね、ナイフで刺して殺してやりたい」
父親の悲痛な叫びが法廷に響き渡る。陳述は「裁判長殿。極悪非道の加藤を死刑にしてください。よろしくお願いいたします」という言葉で締めくくられた。
■息子の火葬は還暦の誕生日…「この無念は誰に」
「これまで私は清く正しく生きてきた。それなのに、大切な息子が亡くなるなんて。世の中って不公平だなと思う。神様っているのかな、と思ってしまう」
公判では、刺されて死亡した調理師、松井満さん=当時(33)=の母親の調書も読み上げられた。
小学6年のころから、学校を休みがちになったという松井さん。部屋でゲームをするなどして過ごし、中学校にはほとんど通わなかったが、両親は「みっちゃんなりに苦しんでいるのだろう」と見守ってきたという。しかし、中学卒業後に調理師専門学校へ進学すると、一日も休まずに通学し、調理師免許を取得。母親は「ここで立ち直らないと行き場がなくなってしまう」とつぶやいた松井さんの言葉を、「本当にうれしかった」と振り返った。
自宅の電話が鳴ったのは、事件当日の午後2時半ごろ。病院関係者を名乗る電話口の男性は「秋葉原の事件を知っていますか。満さんが運ばれてきました」と告げた。
無事を祈って向かった病院で見たのは、心臓マッサージを受ける松井さんの姿。付近には血に染まったタオルが広げられ、「心肺停止状態です。2人分輸血しても止血できませんでした」という医師の言葉を信じられない思いで聞いた。
その後、息を引き取った松井さんが荼毘(だび)に伏されたのは、くしくも父親の還暦の誕生日だった。出廷した父親は、「私の息子は帰ってこないんだ。おれはお前が憎い。この無念をどこに、誰に、ぶつけたらいいんだ」と涙ながらに訴えた。
■耳を疑う被告の言葉…遺族が知りたい「本当の動機」
遺族や被害者は異口同音に怒りを表した。そして身勝手な犯行の動機を知りたがったが、加藤被告の言葉は耳を疑うものだった。
「インターネット掲示板に自分の偽者が現れ、怒っていることを伝えたかった。犯行は(掲示板でのなりすまし行為を)やめてほしい気持ちを伝える手段だった」
検察側は「派遣社員という境遇や容姿へのコンプレックスも事件に影響した」などと指摘したが、加藤被告本人が否定した。7人の命を奪った凶行の動機として遺族らは誰も信じられず、「本当に真実を語ったのか」という疑念は消えない。
湯浅さんは「加藤には極刑しかないが、真実が語られないまま裁判が終わるのは避けたい。同種事件の再発を防ぐためにも、加藤にはなぜ事件を起こしたのかを自分の言葉で語ってもらいたい」と複雑な胸中を口にする。
極刑への思いを問われ、「自分が死ぬことに対して恐怖はありません」と、あくまで淡々と述べた加藤被告。来月24日の判決を、どのような思いで迎えるのだろうか。
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