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2010年10月 1日 (金)

「どうか、加害者にはならないで」――。殺された側の声を聞く

Business Media 誠 10月1日(金)15時47分配信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20101001-00000068-zdn_mkt-soci

 ここ数か月の間に、多くのメディアが死刑制度について報じた。死刑廃止の立場をとる新聞社や「人権派」といわれる弁護士、学者、ジャーナリストたちが盛んに死刑廃止を求める言論を展開した。

 わたしは、それらを見聞きして疑問を感じた。ある弁護士の話が印象的だった。「平和な時代に、人を殺す設備(=死刑場)があることを知ると、多くの国民はおののく」。確かにあの死刑場を見ると、目をそむけたくなる。

 しかし、その死刑囚がどのような犯罪を行ったのかといったことについて彼らは口にしない。そこには、被害者やその家族、遺族の声がないのだ。これではおよそ公平とはいえない。そこで今回の時事日想は「全国犯罪被害者の会 あすの会」の副代表幹事の松村恒夫氏(68歳)に取材を試みた。

●月日が経っても、忘れることはない

 松村氏は、千葉景子前法務大臣が推し進めた死刑場の公開について、落ち着いた口調で切り出した。「国民が死刑場の様子を知り、死刑がどのように行われているのかを知ることはいいことかもしれない。しかし一連の報道を見ると、“はじめに死刑廃止ありき”といった考えで進めたようにしか思えない。そもそも、殺された側のわたしたちの言い分にすら耳を傾けようとしなかった」

 そして、こう続ける。「殺された人たちの中には、殴られて顔をくだかれたり、通り魔などにいきなり刃物で刺された人もいる。さぞかし無念だったはず。一方で、殺した側の死刑囚には十分な時間が与えられ、死を受け入れる準備ができる。これでも『死刑囚がかわいそう』などと言えるのだろうか」

 松村氏自身も犯罪被害者である。1999年11月、当時2歳8カ月の孫娘を、知り合いの主婦に殺された。「月日が流れれば、忘れるなんてことはありえない。わたしの孫は病気や事故でなく、殺されたのだ。思い起こすと、いつも怒りと憎しみがこみあげてくる。この口惜しさは経験した者にしか、分からないだろう」。孫の命日などには「生きていたら、いまごろ中学生になっていたな」などと家族と話し合うことがあるという。

 「孫はまだ小さかったから、人を疑うことを知らない。その主婦を信じてついていったのだろう。それで事件に巻き込まれた。“無念”といった想念みたいなものは幼いながらも、きっと感じただろう」

●殺された側の命はどうなるのか

 わたしは15年前に、62歳で死んだ父のことを思い起こした。胃がんであったが、息を引き取る3時間前から苦しんでいた。あのときの表情を思い浮かべた。人は楽には死んでいけないのである。“生きたい”という思いで必死にもがき、苦しむものなのだ。たとえ、2歳の子であってもその瞬間は何がしらの抵抗をしたはずだ。声を出したり、手を動かしたりと。

 その“生きたい”という意思を一切否定する行為が殺人なのである。これは重大な人権侵害であり、ゆるしがたい行為である。死刑廃止の立場に立つ弁護士、学者、ジャーナリストたちは「人権が大切」と言うならば、殺された側の人たちと直接会い、耳を傾けるべきだろう。松村氏によると、こういった人たちは会を訪れることもなければ、遺族とも接点をもたないという。

 松村氏の孫を殺した主婦は逮捕され、懲役15年を言い渡された。現在は、服役中である。そのことについては、きっぱりと言う。

 「服役を終えたところで許すことはできない。本人が反省したところで、孫は帰ってこない。自らの命でしか、人を殺した罪を償うことはできない。当然、死刑にするべきとわたしは思っていた。死刑廃止の考えの人たちは『殺した人にも人権があり、命は大切』と言う。では、聞きたい。殺された側の命はどうなるのか……。被害者の家族に『死刑執行のボタンを押させてほしい』と言う人は多い」

 昨年、刑務所から弁護士のもとに手紙が届いたという。差出人は殺した本人だった。松村氏は、弁護士から手紙を受け取っていない。「遺族に反省しているフリをし、仮釈放をしてもらうことを願っているのだろう。弁護士の入れ知恵のパフォーマンスとしか思えない。だが、わたしたちの考えは変わらない」

 会に所属する遺族たちは「加害者に反省してほしい」とは願っていないという。殺された側の無念や怒りは、「反省」といった言葉でごまかせるものではないそうだ。「少なくとも殺人事件については、遺族は身内を殺された以上、加害者には自らの命で償うことしか、求めていない」

●どうか、加害者にはならないでほしい

 松村氏はこうも言う。「死刑になっても、わたしたちの心は癒やされない。殺されるということが、遺族の心をどのくらいむしばむのかを知ってほしい。わたしは、孫を殺した人とこの空の下、同じ空気を吸いたくない。家族は生涯、こうして苦しんでいく。同じ命でありながら、罪なき被害者が死んでいく。一方で、加害者は生き残っている」

 こういう重い現実を突きつけられると、冒頭で述べたような弁護士の発言、つまり「平和な時代に、人を殺す設備(=死刑場)があることを知ると、国民はおののく」がいかに被害者の感情を逆なでするものであるかが分かる。千葉前法務大臣らが進めた死刑場公開の試みも、公平という考えが希薄であったと言わざるを得ない。

 松村氏は、メディアのあり方にも疑問を呈した。事件が起きた後、多くのメディアが松村氏ら遺族のことを報じた。それらの多くが誤報であったという。「取材を受けていないのに、記事が次々と掲載された。挙げ句の果てに、被害者であるわたしたちの側にもそれなりの問題があったといった意味合いのことを書かれた」

 しかし事件から数カ月間は、メディアに抗議をするような気力がなかったという。「家族が殺されれば、しばらくは普通の精神状態で生活はできない。誹謗(ひぼう)中傷を受けても、結局は泣き寝入りをするしかない」と当時を振り返る。

 松村氏によると、犯罪の被害者やその家族、遺族の中には、メディアの報道により一段と精神的に苦しむ状況に追いやられた人が少なくないという。「新聞、雑誌、テレビなどが誤った伝え方をするから、世間の人たちの見方が偏見になる。いちばん多いのが、加害者にこれだけのことをされたのだから、被害者にも落ち度があったというもの。これには被害者やその家族、遺族がつくづく困り果てている」

 「全国犯罪被害者の会 あすの会」が本格的に活動を始めたことで、犯罪の被害に遭った人が相談をしてくるケースが増えてきたそうだ。この中には、殺人や婦女暴行、幼女暴行といった凶悪犯罪の被害者やその家族、遺族もいる。東京都知事の石原慎太郎氏は、このように泣き寝入りをしない被害者たちや会のことを「歴史的なこと」として称えた。

 松村氏は、こう締めくくった。「これまで多くの被害者や家族、遺族は声を出さなかった。それが積み重なり、加害者の人権は守られるが、被害者の人権や名誉は守られないという事態になった。それを正していきたい。そして犯罪に巻き込まれると、生活に大きな支障をきたす。例えば葬式を行ったり、病院に通院したり、ときには後遺症で家を改築したりせざるを得ない。こういう経済的な補償も国や地方自治体に求めていきたい」

 読者へのメッセージを求めると、たった一言、こう答えた。「どうか、加害者にはならないでほしい」――。【吉田典史,Business Media 誠】

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