ご質問が有りましたのでお答えします。
結論は得られていませんし、結論を得る事が最終目標のつもりも有りません。
結論はもちろん得られればそれに越した事は有りませんが、結論が得られなくてもお互いに勉強になる点はございますし、public place ですので第3者の参考になる面も有るのかなと思いますので、多かれ少なかれコンセンサスは育つと考えています。
i do't agree to executions. if the offenders died, they can't anything even atonements. executions actually doesn't help
anybody, i think.
sorry about i use all english, but i can understand japanese too.
コメント
皆様こんにちは。
掲示板が重くなったというご指摘がありましたので、新しく掲示板2を作りました。ご利用下さい。
土建屋40才さんありがとうございます!
投稿: ブログ管理人 | 2009年6月 8日 (月) 19時45分
ブログ管理人さん。
お疲れ様です。
掲示板が重たくなってきてますよ。
投稿: 土建屋40才 | 2009年6月 8日 (月) 19時04分
億さん
非加熱製剤投与でHIVに感染とか、乗り合わせた飛行機でハイジャックとか、荒川沖駅を歩いていて金川被告に刺されたなどなど、一般的に‘あのとき、あの場所にいて事件に巻き込まれたなんて、運が悪かったなぁ“というでしょ。本人にはどうすることも出来ない、偶然(確率が低いのに?)によって悪いことが起きたっていう意味で今回使っているけど。たぶんこれがわたしの定義になるのかな。
それで助からない、あるいは死んでしまい‘諦めないといけない場合’に対して、 “運命だったんだよ” とか“運が悪かったと思うしかない“・・という感じ。だから同じ意味あいにつかってるよ。
もしも、強いて違いを挙げるとしたら、原因が発生した時点では‘運が悪い’、結果と諦めの気持ちを含めて‘運命だった’って別け方が出来そうだけど原因が発生したと同時に殺されたり、死ぬこともあるんだから、時間的なものは関係なくて大差もない気がする。よくわかんないわぁ。まぁ、そんな細かいことまで考えずにわたしは使っているし。
たぶんね、億さんのいう定義とわたしの意味する‘定義もどき’は違っているとはおもうよ。正直言うと、億さんの定義「人為的に回避することもできると思いますので、人為の介入の違いが定義だと思います。」が、私にはどういう意味か具体例がないから理解できてないし・・・・でも、わたしの意味する‘定義もどき’は本人にはどうすることも出来ない、偶然の意味だからたぶんちがってるよね。
まぁ、とにかく、まず、読む人たちに主旨を理解してもらえたらそれでよいとおもっているから、細かい言葉の使い方は、正直、わたし、全然気にしていないわぁ。
億さんの質問の、「選別を濁されている」のわたし答えとして、「選別はしていなくて、根本的に同じ意味で使っている」ということでよいかしら。
最期の質問(恩赦執行)は、億さんの言うとおりだよぉ。
投稿: 名前:(任意) たぶん8 | 2009年6月 8日 (月) 16時06分
Toshiさん
はじめまして。
>大切な事は死刑存廃以前にどうやったらもう少し平和な世の中になるかと言う事だとは思いませんか?
おっしゃる通りだと思います。
その方法論を具体的に論じた上での廃止論なら・・・
正直、廃止論者の方の書き込みを拝見しても、そこの所が見えてこないのです。
言い方は悪いですが、廃止論者の方の意見は、評論家のように聞こえてしまうんですよ。
自分としては、刑罰としての死刑賛成=自己防衛本能なんですけどね。
投稿: 新之助 | 2009年6月 8日 (月) 06時02分
死刑とは極刑といい、人(加害者)の生命を奪う刑罰なわけだ。つまりは罰、人の生命を奪った者への罰なのだな。だから自分の生命をもって罪を償う。これは当然のことではないかね?。現在、詐欺や窃盗事件だけでは極刑にはならない筈で、人を殺めること(身勝手に人の生命を奪うこと)が極刑に値する。俺はそう理解しているわけだ。
死刑を廃止支持者に伺いたいのだが、死刑を廃止にするってことは、無期限の懲役刑と同じ刑にするのか?。「人の生命を奪った者」と「窃盗を働いた者」が同じ刑で納得出来るのか?。あんたらは偽善者ぢゃないの?。また「人を殺めても死刑にはならない」のだとすれば殺人事件は増えるとは思わないのかね?。
極刑には、ある種ストッパー的要素も含まれるのだと俺自身は感じているのだけれど。つまり極刑があるからこそ、殺人事件には至らぬケースなんてのも、実はあるのではないか?。
極刑は、「テメーの行動の責任の結果」だ。理由は何であれ、世の中のほんの一握りの人が殺人を犯す、その行動における罰則だな。世の中の最低限の規律を守る為に、極刑ってのが存在するのだから、これを無くしてはいけない。
投稿: | 2009年6月 8日 (月) 02時45分
名前:(任意)さん。
私が持ちだした『運命』名前:(任意)さんの、『運がわるかった、なかった』
まず『運命』は回避できないものとして受け入れざる得ないこととみなしてますので人為が作用できないので、この議論に関わらず物事の全てが片付くわけですよ。
名前:(任意)4さんの仰る『運がわるかった、なかった』
は、本人、第3者(宝くじ等)の人為が作用しますし、概ね結果は外的要因も加わりますよね。
そして、『運がわるかった、なかった』という結果が出る以前に人為的に回避することもできると思いますので、人為の介入の違いが定義だと思います。
なので『運命』と『運がわるかった、なかった』は、単なる語句選択の違いでは意味合いが違うと私は思ってます。
名前:(任意)さんは、どちらなんでしょうか?
それと名前:(任意)さん自身の仰る『運がわるかった』人の中に被害者遺族も含まれるのかの質問に対して『それぞれ』という言葉で『運命』『運がわるかった、なかった』の2つの選別を濁されている感じも受けたのですが…どうなんでしょう。読解違いですか?
まずは、その2点の整理ですね。
ちなみに、これは以降で構わないと思いますが、ご存知と思いますが確定死刑共謀事件の2人の確定死刑囚で、ひとりに恩赦(無期減刑)かたや執行というケースはありました。
名前:(任意)さんにとっては『かたや運がわるかった、かたや運がよかった』だけの話しで社会の体制に影響のないことなのでしょうけれど。
投稿: 億 | 2009年6月 8日 (月) 01時15分
Toshiさん(6月7日(日)03時23分)へ。前回、具体的な話題に触れなかったのでもう少し追加させてください。
応報刑から目的刑へという世界的な潮流があって、平成18年に監獄法が廃止されるなど、さすがの日本もこの流れを無視しきれていません。しかし他方で、政治家や国民の意識はそれについて来れていないようで、少年犯罪など様々な分野であらぬ方向に突進している印象です。
近代の刑罰が拷問と違うことは、本当は誰もが知っているはずです。でも死刑制度を手放せない。わかっちゃいるけど止められない、麻薬のような魅力があるのかもしれませんね。
投稿: 英火 | 2009年6月 8日 (月) 01時11分
Toshiさん(6月7日(日)03時23分)へ。自慢じゃありませんが私は、自分の土俵を降りた記憶がほとんどありません。同じ場所に立ってるように見えても、議論をしたい人、誰かをやっつけたい人、とにかくストレス発散したい人、など様々です。そのなかで自分の土俵に上がったと思える投稿にだけコメントしています。しかも自分の関心事にだけ(^^;。あと私の場合、人単位でも投稿単位でもなく、話題単位で判断しています。あまり書くと相手にされなくなりそうなのでこの辺で。
投稿: 英火 | 2009年6月 7日 (日) 16時05分
億さん及び英火さん
と、その他一部の方へ
私が他人の土俵で書こうとすると、どうも誤解を招く傾向が強いので、しばらく自分の土俵をメインに書きます。
最近の世論で困った傾向だなぁ・・と思う事に少年犯罪の厳罰化、対象年齢の低年齢化が有ります。
例の精神鑑定周りの話題にも絡むのですが、責任阻却事由としては精神疾患者と同じ視点で未成年者の罪を免じると言うのが現在の責任主義の考え方です。
前に精神鑑定の必要性を説明した時は極論で赤ちゃんと書きましたが、実際問題、赤ちゃんが犯罪を起こす事は現実離れしています。しかし、では1歳なら?2歳なら?と考えて行けば当然ながら、どこで線引きするの?って話になると思います。
片や結果責任で罪を決めるべきだなんて世論もだいぶ大きくなって来ていますが、そうすると未成年者の責任阻却事由も認めないと言う事になります。
また、児ポ法などでは過剰に子供を保護する方向で世論は動いていて、一体世間は子供を守りたいのか厳罰したいのか・・と言うモヤモヤも感じます。
(まぁ、話が別なのは分ってるんですが)
いずれにせよ、こう言う矛盾した世論に対して上目線とか言われないで法倫理を弁えて貰い、その上で議論して貰う様にするにはどうしたら良いのでしょうね。
投稿: Toshi | 2009年6月 7日 (日) 03時23分
初めまして、新之助さん。
私は死刑廃止論者ですが、死刑廃止論者にも色々な人がいると思いますよ。
何も考えないでやはり感情的に死刑反対!と叫ぶ人もいるかとは思いますが、少なくとも私の主張は死刑がいらない世の中を作る事です。
なので、法律の制度として死刑制度が存続する事自体には余り拘りを持っていません。(いや、本当は拘りも有るんですが、最重要な事柄では無いと言う意味で・・)
前から主張している事ですが、ネットを見回しても攻撃的な人、いじめ根性旺盛な人、冷静さを保てず感情で殴り書く人などが多いと思います。
いわゆる理性が薄い人です。
そう言う人たちに温和になって貰う方法をいつも考えています。
もしそれが実現すれば、逆上して犯罪を犯す人はだいぶ減ると思っています。
人は中々自分の中の凶悪性とか悪の存在を見詰めようとしませんから・・・
また、前述ですが懲役制度の見直しも大切だと思っています。今の懲役制度では再犯率が高いのも当然だと思えるからです。
死刑制度がずっと続いている現在、凶悪犯がいない平和な世の中で無いのは事実です。
なので大切な事は死刑存廃以前にどうやったらもう少し平和な世の中になるかと言う事だとは思いませんか?
それらの改善も無く死刑制度が廃止になっても、良い世の中になるとは私も思っていません。
管理人さま
丁度 FireFoxに切り替えた時期と重なります。
しばらく書き込みはIEで行い、FirreFoxは閲覧のみと言う使い分けをする事にします。
どうもご面倒をお掛けいたしました。
投稿: Toshi | 2009年6月 7日 (日) 02時57分
死刑廃止論者の方は、死刑制度が廃止になったとして、従来なら死刑になっていたような被告が出所後に再度殺人を犯したとしても平気なんでしょうか。
誰しも犯罪者になる可能性もありますが、被害者になる可能性もある。
その覚悟は出来てらっしゃいますか?
自分には、そんな覚悟は出来ませんので、裁判員になる機会があれば、ためらわずに死刑を宣告出来ると思います。
投稿: 新之助 | 2009年6月 6日 (土) 23時26分
億さん
億さんは「違うと考えている」って自分でいってるけど、 「私は~と~では、これこれこういう理由を持って違うと思います。どうでしょう?」って 億さんの定義をいってもらわないと、どっちでもなく、それぞれの意味なんだからわたしには答えようが無いんだけど。
英火さん
きちんと裁判をして、法律の名のもとに国家がやっている行為なんだから、わたしは、「強姦に加担した女性を強姦する」のと同じだなんて、全く思えないよ。だってさ、強姦に加担した女性を強姦してもいいなんて法律があるわけじゃないし。でも死刑は国がきちんと認めているんだよ。そして当然悪法でもないし。もっといったら、適切な法律だと思うよ。
投稿: 名前:(任意) 7 | 2009年6月 6日 (土) 22時22分
裁判員は非常勤の国家公務員である。だから身分保証されている。したがってイレギュラーではない。国で立場を決められた、きちんとした関係者である。
投稿: | 2009年6月 6日 (土) 18時52分
毎日拝見してますが、議論に参加するタイミングがなくて只見ておりました。
冠さんのコメントに共感して思う事を書かせてもらいます。
私はHN同様・土建屋としていろんな建設現場で日雇い労働者の世話をしております。
いろんな人々が生活の糧を求めて建設や土木の現場にやって来るんですが雇用において学歴や過去の職歴がルーズな日雇い人達の中には当然お勤めを終えて娑婆に出てきたばっかりの方々も多数おります。
そういう仕事柄刑務所の中の話を飲み会の時に聞く事も多々あり刑法や裁判の仕組みに自然と興味を引かれております。
私も冠さん同様、より具体的な議論に期待しております。
投稿: 土建屋40才 | 2009年6月 6日 (土) 18時37分
冠さんに深く同意する
投稿: 春夫 | 2009年6月 6日 (土) 18時37分
6月6日(土)14時39分の方へ。死刑は人を殺す刑罰です。そして法廷はその判断を下すところです。6月3日(水)22時05分の投稿でたしかに私は、「人を殺す決断をした過去を本当に背負い続けることができるのでしょうか」と書きましたが、べつに苛まれろという意味で書いたわけではありません。苛まれる人も誇りに思う人も、なにも感じない人もいるでしょう。ただ、そのような判断をして平気でいられるのか覚悟を問うてみたかっただけです。法廷に引きずり出されてから慌てたのでは遅いでしょうから。
投稿: 英火 | 2009年6月 6日 (土) 17時57分
名前:(任意) 5さん(6月6日(土)07時05分)へ。なるほど、「人を殺すのは悪いことだ、悪いやつは殺していいんだ」という気持ちで死刑に賛成している方は多いのかもしれません。
しかし前にも書きましたが、「強姦に加担した女性を強姦する」のは人として恥ずべき行為(悪いこと)です。私たちが法律の名のもとにやっているのもそれと同じではないでしょうか。ソクラテスは自身が処刑されるとき「悪法もまた法なり」と言ってそれを受け容れたそうですが、その悪法もそろそろ廃止されて然るべきでしょう。
人間、他人の悪事にはよく気付けても、いざ自身のこととなると案外見えていないものです。私も気をつけたいを思います。
投稿: 英火 | 2009年6月 6日 (土) 17時39分
あくまでも私個人の考え方で悪意はないので聞いて欲しい。このブログに参加されている刑法に詳しい方々は我々の日常においてはイレギュラーである。我々が日々営利を求めて生活している事から考えると刑法の知識は全く必要ない。刑法の知識を生業にする方々は我々の生活からはあくまでもイレギュラーの方々なのである。しかし、私はこの分野に興味がある。私個人は将棋を指せないが、将棋界の事については異常に詳しい。つまり好きであり興味があるのだ。皆さんのコメントは私の知らない深い部分で議論されていて、私の興味を満たしてくれる。つまり皆さんは私の先生でもあるのだ。このブログのテーマがテーマだけに時には色々な角度から書き込みされる事もあるだろう。私は自分が知らない事を教えて貰っているという感覚で読んでいるのでどのコメントに対しても腹が立つ事はない。特に今回の足利事件で世間は冤罪に興味を持った。今後の議論に期待する。
投稿: 冠 | 2009年6月 6日 (土) 16時02分
よかった~なんとか軌道に乗った?感じですので、やはり私の意見は控えさせていただきます。
しかし毎日1000人以上がみてるなら、もっと掲示板への参加もあっていいと思いますが…
投稿: @ | 2009年6月 6日 (土) 15時01分
気になりましたが、死刑は人を殺す事を決めるのではなく、刑罰です。
裁判員裁判であなたが死刑を選択したら、人殺しで、その事で一生苛まれて生きてゆけるのか、のような意味の文がありました。
死刑に関わる仕事に携わる方に対して、人権侵害になる言葉だから気を付けて書いてもらいたい。
私は裁判員になって、結果が死刑判決になっても選んだ事を一生悔やむ事はしたくない、生き方をしたい。社会の平和の為に、裁判官と裁判員の皆で出した結果でしょう。
被害者の気持ちを裁判で救う。裁判は加害者は更生できるか、刑罰はなにか、考える。
まず犯罪者になるような事をしないように生きてゆくのが大切。だから死刑はあるのだと思う。裁判傍聴して思った事です。
投稿: | 2009年6月 6日 (土) 14時39分
名前:(任意)さん。
この類の掲示板で、死刑賛成派の意見てして何よりも素晴らしいと、廃止論者の私は思います。
被害者遺族感情に一辺倒する第3者意見や冤罪問題、先進国廃止国云々より響きますね。
オブラートに包まない名前:(任意)さんの意見は、それを書くこと自体が良いことだと思ってます。
しかしながら、私が名前:(任意)4さんの意見は尊重できるが『案』としては賛同しかねる理由として『運が悪かった』と『人の運命』が違うと考えているからです。
これは重要な部分と思いますので、言葉尻をとるわけではなく伺います。
4)以後の名前:(任意)さんのコメを読むと『運が悪かった』と『運命』がすり替わって書かれているわけですが、これが単に語句選択の違いとしても事象を照らすには大きな違いだと考えます。
ということで…
『運が悪かった』と『運命』と、どちらですか?
私が前コメで、名前:(任意)4さんに伺った、もうひとつの質問。
被害者遺族も『運が悪かった』に含まれるのかについても…もし、良かったら。
投稿: 億 | 2009年6月 6日 (土) 14時28分
>Toshiさん
ざっと調べてみたところ、二重になっていた投稿は6/2〜くらいからでした。FireFoxの影響なんでしょうか??
>みなさま
ちなみに、ここ一ヶ月のアクセス数が3900(日平均)、訪問者数が1000人(日平均)です。コメントをかかずに読んでいる方も相当数おられると思いますので、他の方のコメントにしばられずに自分の意見や感想をおっしゃっていただけたらと思います。個人的には熱くなりすぎるぐらいで丁度いいと思っているんですけどね。それにしても皆様の意見には勉強になります。
投稿: ブログ管理人 | 2009年6月 6日 (土) 11時56分
億さん。状況も年齢も事件背景も全部それぞれ違うから、全く同じ罪でも死刑と無期懲役に分かれるなんて無いとおもうけどなぁ
。裁判官の印象によっては差があるかもしれないけど、それもやっぱり運命だよ。悪いことしたんだから、文句は言えないよね。本来なら死刑は当然なのに、無期判決になったなら、幸運っていうだけなんじゃない?
投稿: 名前:(任意) 6 | 2009年6月 6日 (土) 10時05分
わたし 死刑賛成派。
インキンくんが言う通りだと思ったの。人を殺したら、行った行動っていうか罪に相応しい罰を受けるのは当たり前だよね。それで、いま、日本には死刑があって、ほとんどの日本人が賛成しているでしょ。小田島さんもそうだけど、悪いことをしなかったら、死刑にはならなかったんだから、自業自得だよね。
自分の行動によって自分が死刑になるのだから、わたしには120%納得なのね。国民の死刑支持者の人も私と同じ気持ちだからだと思うよ。
でも、死刑反対者の人たちは、命は地球より重いとかいうでしょ。無神論者のわたしには地球より重い命は被害者の命で、人を殺した時点で、加害者の命は軽くなったって思う。
被害者でも加害者でもない、人間の命が、地球より重いはずの命が、病気とか事故とか納得できない方法で平気で奪われているよね。それには誰も文句が言えないでしょ。運命だったって諦めるしかないでしょ。人を殺したら、その時点で運命が決まると思うの。運命を自分で決めちゃったっておもう。だから、死刑になっても当たり前だと思う。今死刑の順番待ちをしている100人の死刑囚がいて、複数殺害している死刑囚がほとんど。地球より重いはずの被害者の命は、100人の犠牲だったわけじゃなく、なかには4人殺したり、7人殺したり・・・命は地球より重いなんて、実際殺した死刑囚は考えているわけないよね。考えていたら、実行しないもん。だから、犯した行為に対する死刑という罰は当然だとおもうの。
これがまず、わたしの主張の一番多くを占める部分ね。
次に、死刑反対論者は冤罪とか、量刑不当とか精神異常とか、細かい部分を突いて反対をしているよね。だから死刑反対って。
凄く、極端な話だけど、私は一人の冤罪者や量刑不当者を救うために、鬼畜のような犯罪を犯した100人の死刑囚の命を助ける気持ちにはなれないわぁ。理由はいっぱいあるよ
一人の死刑相当でない人って・・
悪いことしていなくても、戦死した人と同じ
悪いことしていなくても、末期癌みたいな病気や交通事故で亡くなった人と同じ。
上記に挙げた人たちよりまだ、冤罪者は、恵まれている気がするの。だってきちんと裁判受けているだし。それでも、チャンスが無かっただけじゃない。
運が無かっただけって、諦めるしかないじゃない。それって、病気や交通事故で死ぬより確率低いと思うんだわ。
わたしは、死刑反対者みたいに、難しいこと言ったり、奇麗ごといって尊敬や賛同される気は全くないよぉ。多くの死刑賛成派が思っていても言わないことを、わたしがいま、言ってるんじゃない? まぁ、だから死刑反対には断固反対なの。
投稿: 名前:(任意) 5 | 2009年6月 6日 (土) 07時05分
名前:(任意)4さん。
意見ならばよいと思います。
ただ案となると、落としどころには私的には考えられません。
運が悪かったで片付けるのではなく、末期癌患者や死刑囚(この場合被害者遺族も含みますか)冤罪事件当事者すべての人が『運命を受け入れなくては仕方ない』
というならば現実案の心情として私的には判りますが。
と、もう1点伺いたいのですが、現行で死刑制度があるにもかかわらず全く同じ罪でも死刑と無期懲役に分かれる事実もあります。これもやはり死刑になる人は運が悪かったと考えますか。
投稿: 億 | 2009年6月 6日 (土) 00時38分
上から目線を受けただの見下されただの、上下関係にやたら過敏な方が多いみたいです。こういう場では社会的な地位は無意味ですから、差し詰め知識量の大小をもって自分のポジションを確認しているのでしょうか。いずれにせよ、議論で勝てないからって人格攻撃に走るのは見ていてあまり気持ちのよいものではありません。知識量だけが掲示板の行方を左右するわけでもありませんし、お互いがんばりましょう。
劣等感と死刑制度というテーマでなにか書けそうな気もしますが、最近疲れ気味なので止めておきます。
投稿: 英火 | 2009年6月 6日 (土) 00時05分
私の書き込みは削除されましたが、今の状態では内容が変わってしまったので消されてよかったです。
全くひどいことになってしまいましたね…
確かに言い方は気をつけなければいけません。
それは名無しさんも同じことです。
いやよいやよも好きのうちということわざがあります。
今その執拗さを見て、典型的なパターンを目の当たりにし、びっくりしています。
せっかくいい方向に向かうかと思ったのに残念です。
私は不参加のつもりでしたが、なけなしの意見をこれから時々書かせていただきます。
せっかく廃止派の皆さんがオープンになって下さってきているので。
なかなかないことなのです。廃止派と賛成派が話し合うことは。
投稿: @ | 2009年6月 5日 (金) 22時58分
toshiさん
ずっと初めの方から見てましたが、何か勘違いというか誤解されているように感じたので書き込みます。
敵意剥き出しと書かれていますが、他の皆様の書き込みを読む限り、敵意というより「言い方(違っていたら申し訳わりませんが、前途しているように私の主観です)」が少し好ましくないだけではないでしょうか?
ある人は「小難しい~知識をひけらかし上から目線」と言い、またある人は「言ってる事そのものが支離滅裂」等と書かれています。
私はまだ法を学んでいるだけの立場ですので、法に関する個人的見解は控えさせて頂きますが、今の掲示板は議論は疎か、単なる貶し合いの場になっているように思えます。
ここからは、toshiさんに限らず皆様に言いたいのですが、言い方はともかくとして、名前は任意さんの仰る通り、ここは一掲示板であるということです。
遼 | 2009年5月 3日 (日) 11時13分の書き込みを投稿: 名前は任意 | 2009年6月 5日 (金) 16時08分や投稿: | 2009年4月27日 (月) 14時17分が仰るように、「他人事」と思わず、もう一度意識してはどうだろうか。
私も含めて。
投稿: 遅足の通りすがり | 2009年6月 5日 (金) 20時52分
ぅーん、こう見えても私、実は皆さんと仲良くやりたいと思っているんですがね。
敵意むき出しの反応ばかりで残念です。
色々攻撃を受けてますが、正直言って説得力は感じられませんでした。
批判している事柄が書いてる本人にも当てはまる事ばかりだと思えたからです。
また、どうしても個人攻撃から脱しきれず「とっちめたい」と言う目的しか見えないので、やはり今の私には議論に引っ張り込む力が不足している様です。
なので再度自信が出てくるまで、もう挑発的な物言いもしませんし、しばらくスルーします。
管理人さま
そうでしたか、最近IEからFireFoxに切り替えたんですが、当初から2重投稿が多かったですか?
しばらくブラウザの更新ボタンの使用を控えてみます。
投稿: Toshi | 2009年6月 5日 (金) 19時22分
億さんの質問の答えは全部Yesだよー。
案でもあり意見だよ。
トシさんはやっぱり次元が違う人。だって話しがかみ合わないもん。だから、申し訳ないけど、敬遠しちゃうよ。いちいち説明するの正直たいへんだし。
でも今回だけね、とくべつだよぉ
“ 頭でっかちの、知識ヒケラカシ議論したってさ、死刑賛成派にはな~んにも響いていないの。「ハイハイそうですね。でも死刑には賛成です。」で終わっているわけよ。“この部分がわたしの大前提なの。なのに、なんで ”それだと死刑が廃止されても問題ない事になると思うんですが。“って反応になるの?ちゃんと文章読んでよ。余計なお節介かもだけどね、読解力指摘されるのはそこだとおもうわ。
「何言ってるのかわからない」って批難されている部分もね、突然、天動説とか地動説とか、自分だけが納得できる例え話でしょ。名前は任意さん が指摘しているでしょ、「自分はわかる=相手もわかる」ではないんだよぉって。突拍子も無い比喩は、トシさんにはわかっても、一般の人にわかりやすい説明ではなくて、逆にわからないの。
あとね、トシさんは尊敬されたいのかもしれないけど、誰もトシさんに尊敬されたいとか思っていないと思うよ。それにさ、どうして、「上目線だ、知識をひけらかしてる」と非難されちゃうのかってトシさんには本当にわかっていないんだね。皆が反発するのは、トシさんの言葉が余計なお節介や押し付けに感じるからだと思うのね。トシさんは、誰も望んでいないのに勝手に押し付けているだけなんだよぉ。誰もトシさんに刑法の基本的な考え方教えてくださいっていってないよね。トシさんの思考の中ではそれが同じ土俵らしくて、勝手にお互いの共通の定義みたいに押し付けてくれるけどさ、トシさんにとってはそれが同じ土俵であっても、それはトシさんだけがそうかんがえてるだけなの。トシさんのルールじゃないのよ。だから、法律変えたらいいんじゃないって言う意見がでるわけ。
それに誰も自分を犯罪予備軍とか思っていないの。それはあくまでトシさんの頭の中の世界のことを、言って勝手に吐き出して、読む人に印象操作しているだけだよね。皆に押し付けているだけでしょ。“拾い上げる”とか、救世主みたいだね。でも見下しているから出る言葉でしょ。トシさんと罵声一行コメントには上下関係ないんだよ?でもトシさんにはわかっていないんだ。 罵倒を書く人々をなんとかしてあげるとか、罵倒コメは犯罪者予備軍とか、言葉遣いは丁寧だけど、結局見下しているみたいにみえちゃうの。ついでだからもうひとつ。強引に他人の議論に土足で押し入って、持論を展開って邪魔したよね。いくら言葉使いが丁寧でも、失礼な態度なんじゃない?元祖さんはプライドを傷つけられたのではなくて、トシさんのマナーに気分を害したのだとおもうよ。自己中心的な人って思われただけなんじゃないかな。最初の頃にトシさんがマスコミによるプロパガンダがどうのって意見をしたじゃん、今まさにマスコミと同じことをトシさんがしているんじゃないの。
投稿: 名前:(任意) 4 | 2009年6月 5日 (金) 19時07分
お前の例えが刑法の基本的な考え方ならさ、偉そうに自分の意見みたいに言わずにソース貼り付けたらいいだけだろう。だからお前は他人の褌で土俵上がってるだけって言われるんだ。
それによ、刑法の基本的な考え方の説明してくれなんて、誰も言ってないし、拾い上げるとか・・・お前どこの惑星から来たんだ?
てか、精神鑑定の説明が、お前と同じ自然災害なら馬鹿にして笑ってやるし。是非その原文見たいもんだぜ。
何故死刑が必要なのでしょう。人間の血を吸う蚊は 人に害を与えます。害を加え、血を吸うから叩かれて殺されるのです。死刑はそれと一緒ですw←これ、長文グダグダ的偉そうな説明の死刑賛成派バージョン。俺思うによ、ライオンがシマウマに何を感じるかレベルの感覚とたいして変わらないぜ。長文グダグダの説明見たら、お前も堂々犯罪予備軍認定。自分で墓穴掘ってどうするんだよw
わりぃ 俺、死刑賛成だけどさ ホント申し訳ないがよ、こんな馬鹿げた くだらん説明じゃ納得出来んし。俺は、自然災害でも、蚊でもライオンでもシマウマでもないんでよ、お前のたとえ話し理解できんわ。なおさら上目目線で偉そうに説明なんて、恥ずかしすぎてさぁ!俺にはできない。まじ痛すぎるぜww
あ、食いつかれたくないから、わざと名無し。スルーでよろしく
投稿: | 2009年6月 5日 (金) 17時07分
TOSHIさん
一通り、レスを読んだ上で書き込むね
投稿: | 2009年4月27日 (月) 14時17分にもあったみたいに、他人事とはいえ、自分の身と置き換えて判断できない人間は成長できないよ?
まあ、いいや。
鸚鵡返し(「おうむがえし」ねw)やバカの一つ覚えみたいに「食いつき、食いつき」言ってるけど、(どうでもいいけど名無しさんは、なんで相変わらず私本人に食いついて来てくれないのかな・・寂しいじゃん。)とか「私もたまに名無し系の人々をいじりますし、逆にいじられるのも慣れてます。」だったり、「ちゃんとハンドルを名乗った上で真っ向から名指しで堂々と反「論」してくる度胸が欲しいなぁ・・なんて思ったりもしますが・・・」とかね。
あ!あえて、何時のレスかなんて不毛な事は書かないけど、自分のレスくらいは解ってるよねw
こういう、一種の『煽り』はただ荒れるだけだと思うのね。この掲示板及びサイトそのものがTOSHI氏本人が管理をする場ならそれでもいいよwネットマナーこそあれど、その場合のルールは君だからねw
名前に至っては、「任意」が許されてるわけ。
名前があろうとなかろうと、そんなのはどうでも良い事なのね。レスの内容に関して、「名無しだから~」なんていうのは、言い訳でしかないのよ。どんな内容であれ、一つの意見に対して、正面から自分の意見を言う必要があるのね。
ここまではいいかな?
「レスを返す相手が知識を持ってる人の場合~」とも書いてるけど、その「知識の有無」の判断はどうしてるのかな?自分の主観?レスの中身?それとも、名前?無駄に「名無し」に反応しちゃって、「もっと食いついて~」なんて思ってるみたいだから、後者だったりするのかな?面白いねw
まぁ、ぼくに「食いついちゃった」くらいの君だから、言う割たいした知識もない人なんだろうけどさ。
そんなに食いついて欲しいなら、他でやりなよw
「仮に分り辛い所が有るなら、素直に質問してくれれば良いと思いますし」と言ってくれているという事は、真摯に「わかりにくいところを改める」と受け止めて言わせてもらうけど、はっきりいって「全部」だよw支離滅裂ちゃんw「起承転結」って知ってるかい?
そもそも「何がいいたいのか解らない」なんだよ。
しつこいようだけど、不特定多数が目にしているんだよ?「レスを返す相手が知識を持ってる人の場合、詳細を省いたり法律用語を使ったりしちゃう事も有りますが」と言ってるけど、指示者だけが見るわけじゃないんだ。
特定の相手と話したいのなら、それは「会話」だからねwここでする必要のないものなの。
とはいえ、ぼくのこの書き込み自体も一方的な「会話」になってしまってるけどねwww
くだらない揚げ足取りは勘弁だから、その辺は目を瞑ってくれると嬉しいよw
最後になったけど、『「いずにれせよ食いつくなら「大人として」食いついてくれる事を期待します。』って言いつつ、ぼくに対して子供じみた「食いつき」しちゃってる君は、どの程度の人間なのかな?ぼくは君に期待してもいいの?
投稿: 名前は任意 | 2009年6月 5日 (金) 16時08分
すいません!操作ミスでコメントをいくつか削除してしまいました…
コメントに反映されなかった場合はお手数ですが、もう一度投稿していただけると誠にありがたいです。本当に申し訳ありません。
>Toshiさん
Toshiさんの投稿が同じものが二つになることが多いです。原因はちょっとわからないんですが、朝方のものは削除しわすれてしまいました。
投稿: ブログ管理人 | 2009年6月 5日 (金) 15時23分
管理人さま
済みません、私の不注意だったのかも知れませんが、朝方投稿した記事が二つとも二重投稿になってしまいました。
可能でしたらそれぞれ一つずつ削除して頂けると助かります。
ちなみに、ブラウザの更新で二重投稿になる可能性って有りますか?
投稿毎にユニークな投稿許可用コード認証が有るので大丈夫だと思っていたのですが・・・
投稿: Toshi | 2009年6月 5日 (金) 11時23分
名前:(任意)さん。
2と3で仰ることは、死刑囚は末期癌患者と思えば賛成派も反対派も落とし所になるだろうということで良いのですか?
また冤罪は宝くじの高額当選確率にハズレるようなものだから運が悪かったで片付けた方が手っ取り早いということで良いのですか?
そして、これは名前:(任意)さんの案ですか、それとも意見ですか?
投稿: 億 | 2009年6月 5日 (金) 08時58分
英火さん
丁寧なコメント有難うございます。
8割がたは共感出来ます。
前提の部分で食い違いを感じました。
私は前提として、この事件では懲役の可能性は極めて低いと思っています。
まだ無罪の方が幾分可能性が高いかな・・と思える程に。
そして9割がたは死刑判決が出ると思っています。
その様な状況の被告に対して、現状の司法制度を否定してまで大きな声で「死刑反対!」と言うのが難しいと感じている・・・と言った方が伝わるでしょうか。
英火さんには力説して貰いましたが、それでもやはり私の中で更正の可能性に懐疑的です。
また、向こうで億さんにもコメント頂いたのですが、それに対する私のレスも見て頂けたらと思います。
投稿: Toshi | 2009年6月 5日 (金) 08時39分
任意~3さん
結局結論として「運が悪かったで済ませばいいじゃん」だと思うのですが、それだと死刑が廃止されても問題ない事になると思うんですが。
また、私は罵倒など決してしませんし、片や罵倒コメントと比較して尚、私が攻撃的に映るのでしたら、それは変に「派閥意識」を持っているからでは無いでしょうか。
初めから敵対視されて見られては、全て悪い方にしか映らないですよね?
確かに、なんとか議論に引っ張り込みたいと言う思いから、多少挑発的な事を書いてしまった事は認めます。
また、常識的マナーを弁えて反論をして下さる賛成派の方でしたら十分に私は尊敬出来ます。(例えば@さんとか。)
逆に反対派でも暴言を吐く人は尊敬出来ません。
幾ら知識をひけらかしても誰も気にしていないよと言う指摘は私も認識しています。
それでも尚、それをなんとかしたいと思って日々書いています。
誤解をまた招くかも知れませんが他に良い例えが思い浮かばないので、他意が無い事を分かってくださる前提で言いますが、私から見ると今はこんな世の中です。(あくまで例えです)
今は天動説が正しいのか地動説が正しいのか分らない世界だとします。
殆どの人々は直感的に「太陽が動いている」と思ってるんです。
でも私は「地球が動いている」と思っているんです。
なので、皆さんに「地球が動いている可能性も考えてみてよ」と言いたいのですが、やはり皆さんは直感でもそう思ってるし、なによりみんなが「太陽が動いてるのが当たり前、常識、理屈はいらないだろ。お前馬鹿だろ。痛い奴」と言うんです。
そこで、取り合えず太陽系の仕組みや質量、重力の説明を試みて、なんとか分って貰おうとするんです。
でもそうすると、「上目線だ、知識をひけらかしてる」と非難されちゃうんです。
それでも私は、太陽が動いてるのか地球が動いてるのか本当はどっちか分りませんが、前提知識を踏まえた上で議論してみたいと思っているんです。
その姿勢もだいぶ弱気になってきていますが。
投稿: Toshi | 2009年6月 5日 (金) 08時23分
名無しへの反応は・・特に前述の通り「理解するつもりの無い人」は不毛なので控えたい所なんですが、確かに誤解を与える表現が有ったかも・・と思ったので補足します。
精神鑑定の説明は「私の考え」では無くて、刑法の基本的な考え方を説明したつもりです。
それさえも理解するつもりが無いならそもそも議論の土俵にさえ立てないでしょう?
なんとかあなた方を拾い上げようとしてるつもりなんですが、やっぱり無駄な努力なんですかねぇ・・自信無くします。
投稿: Toshi | 2009年6月 5日 (金) 01時51分
Toshiさん(6月4日(木)12時54分)へ。どんな意図で書かれた投稿なのか理解できなかったのでスルーさせてもらおうかとも思いましたが、ちょっと頭をよぎったことがあるので意見させてください。
現実認識の能力が平均より低い人格障害の症状に加えて(症状ゆえに?)価値観が私たちとかけ離れた被告人などいくらでもいるというか、犯罪者のほとんどはそんな感じだと思います。まず、このレベルの被告人が初めて更正の可能性を絶望させられたケースだというのが私には全く信じられません。単に治療と矯正の両方が必要だというだけだと思います。それに、更生不能だから人間を処分するという発想も私には理解できません。
というかそんなことより、彼の事件は最近増えてきた自殺目的の殺人です。孤独感に苛まれ死を覚悟した人間にとってこの世界はどんな風に映るんだろう、とふと考えてしまいました。おそらくは、ひどく空虚で色褪せた、それでいて自分にとって場違いな世界なんだろうと思います。死刑志願者の供述を真に受けるのもどうかと思いますが、もしかしたら彼は「この世界のモラルや常識などもはや自分には関係ない」と本当に感じているのかもしれません。
彼の場合、社会に危害を加える可能性は依然高いと判断せざるを得ません。だから相応の刑罰と治療を受けてもらうのはもちろんです。しかしそれとは別に、たとえ親に見捨てられ世間から「死ね」と罵られても、自殺など二度と考えて欲しくないと私は思います。自らを殺すことは確かに、究極的には個人の権利です。でも、ビルの屋上に立つ人間を後ろから突き落とすことに罪の意識を感じない社会や政府などクソ食らえだと思います。生きることはすべての生き物にとって基本的な欲求です。ということは、自殺のケースの多くは本人が心を病んでいるか、それとも手を差し伸べるべき社会の方が病んでいるかのどちらかでしょう。そのような状況で他人の背中を押してみても、被害者の数を徒に増やすだけだということになぜ気付けないのでしょう。死ぬよりマシな幸せぐらい、一生かけて探せば必ず見つかるはずです。いま政府は自殺防止キャンペーンに取り組んでいますが、他方で自殺を歓迎するような制度を残しているなんて冗談にしても笑えません。
投稿: 英火 | 2009年6月 5日 (金) 01時18分
で、お決まりの反論が来そうなので先に。
お前が冤罪で死刑判決だったら、とか、あるいはお前の家族が冤罪ならって・・
考えて見ましょうよ。まず、それって、よくあるコメントでお前が犯罪遺族なら?と死刑賛成論者の言う言葉と何が違うの?
結局同じでしょ?それに答えられない死刑廃止論者と賛成論者の何が違うのよ?
どちらも運が悪かったって事でしょ?
結局どちらの立場でも、どう足掻いても、なるようにしかならないのが現状なのよね。
だったら、不慮の事故、末期の病気で片付けるしかないと思うけど。
社会がそれでも機能しているのは、そういう状況冤罪者とか遺族とかは、宝くじのように確率が低いから、見てみぬふりしているだけなのではないの?
その立場になったら腹をくくるしかないってことだとおもうよ?
投稿: 名前:(任意) 3 | 2009年6月 5日 (金) 01時14分
あっ!そしたら冤罪問題も片付くこと発見。
運が悪かった。末期癌の病気になったって本人も含め皆が思うしかないわけ。
運が悪かったで片付ける。交通事故も病気も冤罪も同じ。
数パーセントの冤罪のために死刑廃止って、末期癌と同じって思ったら抵抗ないし。
死刑廃止派は主流に抵抗しようとしているから、少数派なのね。
細かいことにこだわっても、今の日本人は誰も見向きもしないんだって事だよ。
運が悪かった・・で諦めるしかないんじゃないの?
投稿: 名前:(任意)2 | 2009年6月 5日 (金) 00時51分
インキンくんに賛成だよ。世の中いっぱい罪も無いのに死ぬ人いるんだし、悪いことしたら死刑になってあたりまえだよ。
死刑に反対者の方こそ、考え方変えたらいいんじゃない?
死刑って思わずに、犯罪者が「罪っていう末期の病気」で死んだって思いこむ様にしたらいいの。死刑に賛成者は絞首刑で当たり前っておもっている意見に合わせるわけ。
頭でっかちの、知識ヒケラカシ議論したってさ、死刑賛成派にはな~んにも響いていないの。「ハイハイそうですね。でも死刑には賛成です。」で終わっているわけよ。わかってもらえないんだからさ、死刑反対者が考え方変えたらいいんだよ。これ名案だと思うけど。
ずっと見ていて思うんだけどね、死刑反対派の人って上から目線のひとばっかりだよね。偉そうに寄せ集めの知識ヒケラカスだけで、特に「何言ってるのかわからない」って批難されている人なんか自分の欠点を棚に挙げて、賛成派をバカにしたような態度って思うよ。一言コメントにしたってさ、理屈じゃなくて、説明できなくてもそう思うっていう意思表示しているのかもって、何故思えないのかな。 それどころか逆に攻撃的な態度でしょ。賛成派が反発スルのも無理ないと思うけどな。それって議論以前の問題じゃないの?
投稿: 名前:(任意) | 2009年6月 5日 (金) 00時14分
名前は任意さん可哀相ね
支離滅裂な人に食いつかれちゃったw
投稿: | 2009年6月 4日 (木) 23時16分
「責任能力のとらえ方は社会の流れの中で変わる可能性があり、社会や一般人が納得するかで考えるべきだ。」それでいいんじゃねぇ?
精神鑑定いらんし。法律変えたら問題ないってことだよな。
なぜ自然災害に罪を求められないのでしょう?
責任の所在が無いからですね?←お前の思考回路大丈夫か?
お前には自然災害と人間の行為が同じレベルなのかよ!例え悪すぎw説得力ゼロ。赤ん坊が殺人を犯した例知らんし。精神障害で殺人を犯したものを赤ん坊だと思えってお前は遺族にそういえるのかよ?
投稿: | 2009年6月 4日 (木) 22時28分
インキンくん(6月4日(木)01時20分)さんへ。罪を償う必要があるのはもちろんです。ですが、日本も他の国もこれまでは、他人の不幸を願う感情を保護法益として認めてきませんでした。もしこれを法律上の生活利益として認めるのであれば、被害者及びその相続人の権利としてきちんと一般化すべきでしょうね。
具体的には、現行の慰謝料請求権に代えて人を傷つけたり殺したりする権利を民法に書き加えない限りは、公平性が保てないと思います。つまりは、社会生活を営むうえで私たち全員が相応のリスクを負ってくださいということです。ある種の犯罪者に限って「死んで償え」とするのは、やはり理不尽と言わざるを得ません。というわけで、「償い」などという言葉では死刑制度は正当化できません。国民ひとり一人が抱いた憎悪や傲慢さなど負の感情の集大成が死刑制度だと私は考えています。
投稿: 英火 | 2009年6月 4日 (木) 21時25分
名前は任意さん
期待してた食いつきとは違いましたが、「一応」ハンドルっぽい名前を付けた上での名指し指摘だったのでレスします。
レスを返す相手が知識を持ってる人の場合、詳細を省いたり法律用語を使ったりしちゃう事も有りますが、皆さん向けに書く場合は専門用語も使わず噛み砕いて書いてるつもりです。
なので逆に長くなってしまうんですが。
例えば直近では精神鑑定の必要性について皆さん向けに説明して見ました。
これってそんなに分り辛いですかね?
読み手の読解力が著しく悪いとか、はなから理解するつもりが無い人に対しては、対策打ち様が無いってのが正直な所です。
仮に分り辛い所が有るなら、素直に質問してくれれば良いと思いますし、具体的に「ここの表現はこうすればもっと簡潔で分りやすくなるよ」ってアドバイスが有れば「なるほど」と思えるかも知れません。
いずにれせよ食いつくなら「大人として」食いついてくれる事を期待します。
投稿: Toshi | 2009年6月 4日 (木) 17時47分
億さん、英火さんなどの撤廃派や中立派の皆さん、そしてもちろん賛成派の方々に意見をお伺いしたい事が有ります。
今回は余りに内容が濃いのでリンクで対応させて下さい。
ソース量が多いのでお時間に余裕が有る時で構わないのですが、土浦8人殺傷事件に於いて現段階では「死刑は是」と言う結論を私は得ています。
その結論に至ったソースは
http://sankei.jp.msn.com/affairs/trial/090603/trl0906031113005-n1.htm
から始まる(17)完までのライブ記事です。
私の考察及び結論は
http://secret.ddo.jp/planets/bbs2/free/cbbs.cgi?mode=one&namber=391&type=144&space=30&no=0
です。
これについて是非ご意見頂きたく思います。
特に反論や指摘を歓迎します。
投稿: Toshi | 2009年6月 4日 (木) 12時54分
自分でわかってると思うから名前書かないけど、はっきり言って、何が言いたいのかわかんないw
てか、だらだらと長文書いて中身がない。
長文=頭良いとか思ってんのかな?長々と書いてる内に論点ずれてきてるし、もっというと支離滅裂だよw
いい?わかってる?掲示板なのね、ここ。
日記帳とかじゃないのね。不特定多数が目にする「掲示板」なの。
書き込む以上、誰にでも理解できるような文面でかく必要があるの。OK?
「自分はわかる=相手もわかる」ではないのよw
この際だから言っちゃうけど、TOSHIさんとか億さんとかね。
なんていうか、もう見てて痛いよ・・・・
頭の良いフリとか、そういうのもういらないからさ。出来ればもう少しわかりやすく書いたらどうかな?ここに来る人全員が君たちと同等ではないんだよ。
ついでに言うと、管理人は管理人で小田島氏は小田島氏。僕らは、この掲示板に書き込むただのゲストなの。そこんとこよろしく。
投稿: 名前は任意 | 2009年6月 4日 (木) 10時27分
死刑執行?当たり前じゃ、ボケ。
だいたい、死刑という刑を廃止しようと思っているガキ?は
黙って引っ込んでいてくれんかのぉ。
マジむかっぱらが立つぜ。
人はいつかは死を迎えるものや、それは常識や。
罪を犯した人はそれを償う必要があるんとちゃうんかえ?
なんで廃止せなあかんねん?? そこじゃ そこを答えろ!?
わしの親父はもう死んだ、若死にや。
不条理やないけ?罪を犯した人は生きて、なんの罪もない人が死ぬんや。
せやから、死というのは誰の身にも訪れる、そういうこっちゃ!!!!!
そして、俺は常に正しい!!!! 完璧な人やから。
それでも、それでも、俺もいつかは死ぬんや。
「生あれば死もあり」
これは俺の名言。 あばよ!!!
インキンくん
投稿: インキンくん | 2009年6月 4日 (木) 01時20分
>英火さん
反対派の英火さんに返信をもらい恐縮です。
できれば賛成派で盛り上げたい話題なのですが…
意見は書かないといいつつも、しぶしぶと答えさせていただきます。
裁判員制度のことでしたら、私は選ばれたら死刑に値すると思われる被告には死刑と判断いたします。
反対派の皆さんには、恐ろしい考えだと非難されるでしょうね…
しかし過去云々が悲惨であれ事実は事実として私なりに冷静に判断したいと思います。
それが一生記憶に残るものであっても、制度なので義務として判断したいと思います。
でも死刑と判断できる・する・できない・しないは人によって違います。
前回の書き込みと重複しますが命の価値観も人により全然違います。
国民全員が『赤ちゃんの誕生』や『末期患者の闘病生活』のビデオを一緒にみたからといって、価値観が同じになるわけがありません。
劇場にいってショーをみて、観客は全員同じ感想は持ちません。
私は『案』がないのでこれ以上書けないのですが、テーマはテーマとして色々な方に考えていただきたいと思います。
(これからはあまり私にふらないでくれたら助かります)
投稿: @ | 2009年6月 4日 (木) 00時01分
嫌いな人間が不幸に見舞われたとき「ザマーミロ」と思う感情は誰にもあると思います。でも、その感情を隠そうともしない社会に私は違和感を覚えます。よしんばそのような社会を肯定したとしても…、たとえば「強姦に加担した女性ならば強姦してよい」ことにはならないと思います。相手がどんな人間だろうと、私はそれに釣られて人としての道を踏み外したりはしたくないと思っています。私の「いい世の中」像はだいたいそんな感じです。
理屈ばかりじゃ息が詰まるので、今回はかなり感覚的に書いてみました。
投稿: 英火 | 2009年6月 3日 (水) 22時07分
死刑に賛成される方は仮に裁判員に選ばれたとして、人を殺す決断をした過去を本当に背負い続けることができるのでしょうか。たとえば孫を殺害したことを悔やみ法廷で号泣する老婆、養護学校に通う息子の将来を悲観した母親。それにこのブログを通じて知った死刑囚・小田島鐵男の素顔…。人生の過程で取り返しのつかない選択をしてしまったとはいえ、彼らも私たちと同じ善と悪を併せ持った一個の人間です。
野次馬的に死刑執行を囃し立てたり、被告人の犯した罪について第三者的な感想を述べているうちは、数週間もすればそのことを忘れてしまえるでしょう。でも自分の判断で現実に人が殺されるのを見ても平気でいられるのでしょうか。
投稿: 英火 | 2009年6月 3日 (水) 22時05分
億さん
なんだっけ?と思ってぐぐって「あ、あれか」と納得の事件です。
民意を重視していると思われる最高裁がなぜ差し戻しをしたのか、その真意が分りませんね。
ただ表面だけ見れば最高裁は精神鑑定を重視すべきだと言ってる中での高裁の反抗なので、判例としての危機感は余り持ってません。
個人的な事ですが、私の中で地裁、高裁、最高裁と有った時に、高裁が一番評価低いんですよね。
なんかダメダメな裁判官が一番多い気がして・・
この事件をぐぐってる中で目にしたブログでは、まぁ例の如く「殺人犯は犯罪を犯した時点で正常では無いのは明らかなんだから精神鑑定なんかいらない。」と主張してましたが、そこでは更に「ついでに情状なんかもいらない。結果だけで量刑を一律公平にすべきだ。もっと司法界は正義を考えるべきだ」みたいな事も書かれていて・・ため息しか出なかったのですが。
そんな民意が膨らむ中で、高裁裁判官ともあろう人が「責任能力のとらえ方は社会の流れの中で変わる可能性があり、社会や一般人が納得するかで考えるべきだ。」なんて言ってる事が一番由々しき事態だと感じます。
司法界はまず第一に、「精神障害の有無=責任能力の有無」では無い事を一般教育課程に組み込む事を最優先すべきだと思うんですが。
要は、今の刑法の基本的な考え方に対する教育が全くなっていないのが問題なんですよね。
(と言うか、一般用語としての業務上過失致死の意味でさえ知らない人も多いみたいですし)
なぜ精神鑑定が必要なのかを説明すると膨大な記述になるので、一応、これを見ている人で精神鑑定の存在に疑問を持ってる人向けに少しだけ・・
なぜ自然災害に罪を求められないのでしょう?
責任の所在が無いからですね?
では責任の所在と言う観点で飛行機事故などを考えた場合、何かしら責任を追及出来る点が有るかと思います。それは微細な過失だったり重過失だったり、又はハイジャックなどの悪意だったり・・
その責任の重大性で罪の重さが決まるのが近代刑法の基本です。
殺人事件では、「故意(悪意)」「不注意を含む過失」が有れば、責任は有ります。それが精神障害で正常な判断が出来なかったとしてもです。
それが本人の責任を問える根拠だからです。
余り良い例では有りませんが、仮に赤ちゃんが殺人を犯せば、赤ちゃん自信には故意も過失も無いので責任は取れないと言う判断になります。(つまり自然災害に近い)
精神鑑定ではその様な基準で責任能力の有無を検査します。
つまり重度の精神障害で殺人を犯し、そこに責任能力が認められない場合は、「悪意」や「過失」と言う人間責任で事件が起ったのでは無く「精神障害」と言う災害で事件が起ったと判断します。
この考え方は人間に止まらず全ての事象に対して公平な法哲学です。
(どうでもいいけど名無しさんは、なんで相変わらず私本人に食いついて来てくれないのかな・・寂しいじゃん。)
投稿: Toshi | 2009年6月 3日 (水) 20時53分
億さん(6月3日(水)09時30分)へ。精神病患者に刑事責任を問うのは、道義上も無理がありますし、刑事政策上も無意味です(エイズやインフルエンザ患者を処罰するようなもの)。普段からそうした価値判断を積極的に行ってきた人がもし被害者として事件に巻き込まれたとしても、自分の感情が理不尽であることを心の奥底で自覚できるでしょう。
しかし、そういうことに普段あまり関心を示さない人が突然に被害者の立場に落とされれば話は別です。他人の理屈に耳を貸す余裕など生まれるわけがありません。私たちはみな被害者に感情移入するあまり、自分が事件に巻き込まれたときの覚悟をおざなりにしているのかもしれません。結果、理不尽な政策が続いている気がしてなりません。
その差し戻し後の控訴審ですが、心神喪失とする鑑定結果がまた無視されて再び有罪判決が下ったようですね。いくらなんでも日本だけが責任主義を丸っきり放棄するわけにはいきませが、おそらく裁判員はそんな事情は知ったことではないでしょう。裁判員と最高裁の間に挟まれて高裁の裁判官も大変だと思います。
投稿: 英火 | 2009年6月 3日 (水) 19時14分
>億さん
おっと、私ですか;
前から言っているように、私は意見を出さずにいたいのですが・・・・
なぜかといいますと、かなり前に現在の英火さんがおっしゃったように、「被害者遺族のケアは周りの支えが重要」くらいのことしか思いつかず、他の事に関しては賛成派の私は感情論なので、わかりきったことしか書けません。
つまり、今のままだと議論にはなりません。
でも賛成派でも沢山議論していかなければいけないことも山積みなのはわかっているつもりです・・・
突っ込まれそうですが、ひとつだけ言わせていただければ「人が人の命を裁いてはいけない」とは思いません。
(私は感情論ですからね)子供は一生親のものであり、それが殺されたとあらば親が相手に死を求めるのも当然です。
それは例えば自分の大事なものを相手に壊され、相手が弁償するようなものだと思います。
死んだらやっぱり死んでくださいということです。
ただ上記のことは人により価値観が残念ながら違い、討論しても永遠に解決されないところかなと思いました。ここで読んでて。
ですからここで賛成派同士で議論する内容があるとすれば、
一人の被害者を三人が殺した時、3人の被害者を一人が殺した時、また3人の被害者を3人が殺した時など、他の色々なケース(少年犯罪など)も含めて、どのような刑であるべきか、そもそも刑罰というものはどうあるべきかというようなところだと思います。
(ただ猛獣刑とか実現にほど遠いものは避けて、現実的に話し合わなければなりません)
理想は、被害者の無念が科学的な方法で実際に聞けるようなことがあれば、その意見を刑罰の中で50パーセントくらい憂慮されるということですが、これこそ現在では不可能かと。
ですから私にはいいアイディアがありません。
もう一つ思うことは、(あ、二つになってしまった!)賛成派も反対派も結局は「いい世の中になってほしい」というところに行き着くための議論をしているのだと思います。
そういう点では、やはり両派が一緒に議論していくのも必要だと思うんですけど、なんだか変なところで言い合いになったりして収集つかなくなるんですよね・・
でもこのブログは沢山の人がみてますし、素晴らしい考えをお持ちになっている方ももっと沢山いらっしゃると思います。
現在まで話し合われていることはこのまま話し合い続け、また新しい方を迎えて話し合い、議論に議論を重ね、きっといい結果に辿りつけることを信じつつ、これからも読ませていただきたいと思います。
思わず沢山書いちゃいました。
投稿: @ | 2009年6月 3日 (水) 16時00分
おまえアフォか・・‘美味しいエサをまいたら、すぐ釣れますね。読まないはずなのに…’勝手に印象操作するな。そりゃ、お前の頭の中で導き出した答えw。
詭弁やり取りになるから、追求しないが、
前々から思っていたけどさ、億って奴も文章読解力ないよな。似たもの同士で笑えるぜ。
悲しいかな、知識だけ取り込んでも表現力が無いw
要らぬお世話だが、お前らさ、小学校から国語の成績悪かっただろう。
前置きはともかく、お前らの攻撃手法は薄いぜ!
グタグタと長文輩の自己中心故の偏見に満ちた分析をだれも仲間意識ゆえ、肝心な部分は指摘しないよなww
お前らは見て見ぬふりをし、ある意味フォローし、否定しない。ということは、肯定していると思ってもいいわけだな。w
ああ・・あんたらも、グタグタと長文輩のシンパかよ。
がっかりさ。
あんたらはさ、グタグタと長文輩の言うことほぼ肯定しているわけだww
誰もきちんと否定と賛同わけて意見言わないしなwww
偏見を押しだした、グタグタと長文輩知識や知能の薄い人という表現も納得らしぃ。
お前ら黙っているが、そこら辺の意見、すげぇ聞きたいなw
うやむやにすませて、その通りということで納得。’グタグタと長文と愉快な仲間’ということで認定に文句が無いのか、そうでないのか。っていう部分だよ俺が聞きたいのは。
まぁ期待は出来ないっぽいな。
思う存分連帯感を深めて、生温い連帯意識を深めろよ!
俺は騙されないぜ!
投稿: | 2009年6月 3日 (水) 14時52分
精神鑑定の意見が出てますが、つい先日03年の傷害致死事件で1審無罪、高裁逆転有罪、最高裁差し戻し判決が東京高裁で懲役2年6ケ月というのがありましたね。
裁判員制度に対する精神鑑定の扱い方に対する言及もされていて、本裁判が新たな精神鑑定争いの判例定義として行使されそうですね。
結構、公判中の精神鑑定の有無を争う事犯が増えてますから一掃されてしまうでしょう…。
で、本件は実刑2年6ケ月で確定判決まで9年。未決収容期間が何年差し引かれたかは不明ですが推測するに実質パイになったのかと思うと、これは被害者遺族は堪らないですね。
社会に放たれたのか措置入院させられたのか定かではないですが。
投稿: 億 | 2009年6月 3日 (水) 09時30分
美味しいエサをまいたら、すぐ釣れますね。
読まないはずなのに…
さておき@さん。
現存する制度の(死刑賛成派)意見交換は難しいのではないでしょうか。
それならば廃止する必要性がないという方向のほうが間口としては有効だと思いますが。
まずは@さんの意見を発信してもらいたいですね。
投稿: 億 | 2009年6月 3日 (水) 08時47分
反対派が理論武装しても破綻論
投稿: | 2009年6月 3日 (水) 05時10分
イニシアチブ!
面白い発想だな、まぁ、仲良しコンビなら当たり前かw
どう好意的にとったって、それは無いぜ
痛すぎる!!
かき回すだけの雑音だって言いってるだけだな
投稿: | 2009年6月 2日 (火) 11時10分
被害者遺族のマブチ氏の件昨日の新聞で読みました。なんて素晴らしい人なんだ!と感激しました。
この件を早く小田島死刑囚に知らせ上げて欲しい。
その感激を心で大切にして人間の優しさと暖かさを感じてもらえたら、と思います。
投稿: | 2009年6月 2日 (火) 05時09分
@さん
庇って頂ければそれはもちろん嬉しいのですが、基本的に私はほっといても大丈夫ですよ。:)
私もたまに名無し系の人々をいじりますし、逆にいじられるのも慣れてます。
気分によっては売り言葉に買い言葉になる事も稀に有りますが、大抵は流しますし。
ただ、反感を持ったって事は私の撒いたネタに反応したって事なんでしょうから、あんな遠まわしに嫌味やら中傷をダラダラ書くなら、ちゃんとハンドルを名乗った上で真っ向から名指しで堂々と反「論」してくる度胸が欲しいなぁ・・なんて思ったりもしますが・・・
私の文章を「意味不明」と言いつつもちゃんと書いてる事を理解して批判してる訳ですし。
おねがいですから、ぱっくりと食いついて来て欲しいものです。
億さん
自殺の件お待ちしてます。
投稿: Toshi | 2009年6月 2日 (火) 03時35分
>億さん
何回も読み直すのは、最高に不謹慎な言い方をすれば、この掲示板が『面白い』からだと思います。
私は閉口したというより、そういう考えもあるのかと納得し、話が脱線してせっかくの議論が中途で終わってしまう危惧から書き込みをやめました。
私は、死刑賛成派同士の話し合いが行われないかと待ってもいます。
あとせっかくの議論が結果的に『やっぱり難しいですね~』というような終わり方ではなく、常にしっかりと具体案がでてほしいと思っています。本当に他力本願なのですが。
ですから意見を交わしあっている時に他の方から誹謗中傷だけの書き込みがあるとその議論が中断してしまうのではと思い、色々と書かせていただいてたりします。
こんな参加の仕方でまた非難されそうですが、これもまたそういう考えなのだと理解していただけたら幸いです。
投稿: @ | 2009年6月 1日 (月) 23時05分
管理人さんへ
みんな色々書いてますが、全て本人は読んでるんですか?
都合の良い分だけ渡してるのでは?
投稿: 普通の人 | 2009年6月 1日 (月) 23時01分
@さん。
『何が悪い』に閉口しちゃいましたか。
この類の掲示板は絶対的に誰かがイニシアチブを握っているかのように映ります。
そして、その者が非難対象になることも必至です。
論旨がすり替わり『何が悪い』の以前に掲示板の本来の活用を間違ってるだけの話しだと思いますよ。
わざわざコメントする為に読みたくもないものを読み返す必要がないだろう…何故、読み返したのかを問うべきではないでしょうか…
良くも悪くも発信者に興味があるからですよね。
それだけの事です。
私の場合は『人が人を裁く』ことに闘争本能がありますから、当然ながらこの分野の理論武装・知識は学びました。
なので文章は揚げ足を取られずに簡潔に…それが上目視線と感じられるならば(これでも傲慢には自身、気をつけてますが)損得勘定を考えたことはありませんが論議以前の問題で死刑廃止論の一つとして成立していると私は考えてます。
投稿: 億 | 2009年6月 1日 (月) 18時46分
Toshiさん(5月31日(日)20時05分)へ。そうですね、非難可能性(自分が被告人の立場なら…という思考)すら検証しようとせず、刑罰の根拠を結果責任に求める方たちが増えている感じが私もしています。しかしそういう意味での責任なら、私たち全員が負っているものと思います。
動物までも裁判にかけられた数百年も昔ならばおそらく、精神障害者も人格障害者も分け隔てなく処罰(処刑)されていたでしょう。でもそれは、「精神病は悪魔の仕業」などと言われていた時代の話ですからね。長い年月をかけて獲得された人類の知性が正しく使われていないのは残念です。
投稿: 英火 | 2009年5月31日 (日) 22時05分
英火さん
回答ありがとうございました。
私の示した後述の考え方に近いのかなと理解しました。
精神鑑定の件は基本で同感です。
ただ専門知識が無い人々は現状の精神鑑定でさえ「いらない」と言いますし、マスコミでさえそんな事を主張する世論状況なので、私はむしろ益々道徳観念が低下したり法倫理が後退する事の方が心配です。
これは「責任能力の有無を問わず有罪」と同意ですし、突き詰めれば過失・故意も問わないと言う事にもなり兼ねない非常に危険な風潮なので、少しでも人々に色々考えてもらうきっかけを作りたいものです。
投稿: | 2009年5月31日 (日) 20時05分
Toshiさん(5月30日(土)22時28分)へ。私も詳しくはありませんが、期待可能性の理論は他者に責任を転嫁する仕組ではなく、被告人の責任を阻却する仕組だと理解しています。その暴れ馬のケースでは雇い主にたまたま過失があったので彼に責任が転嫁されたように見えます。しかし、他者の適法行為や自然災害等によっても被告人(行為者)の適法行為が期待しえなくなるケースがあるわけです。そして被告人側の一切の事情(生い立ち等)をとことん調べ尽くせば、理論上ほぼすべてのケースで被告人に適法行為を期待するのは不可能になるだろう、というのが行為者標準説に向けられた批判です。ならば、刑事裁判における責任の概念を道義的非難ではなく犯罪予防の観点から再構築する必要がある、という帰結になっていくと思います。
機械や災害と違って人間は、主体的に意思決定を行います。しかしその判断のベースとなる人格と記憶は、外部環境からの影響なしに独立しては存在できません。…たとえば兵庫の7人刺殺事件ですが、精神障害か人格障害かで精神鑑定の結果が割れています(おそらくは、鑑定人の処罰感情の違いでしかないと思いますが)。しかし私にはそもそも、「人格障害ならばいくらでも非難できる」という考え方が理解できません。「精神障害なら無罪で人格障害なら死刑」という極端さにも付いて行けません。両者の間には、ほんの少しの機能差とそれに伴う更生(または治療)プログラムの違いしか存在しないと思います。中世あたりの時代ならいざ知らず、人格障害の原因等が解明されつつある現代社会で、裁判だけが旧態依然のまま、というのはあまりに無理があり過ぎます。
投稿: 英火 | 2009年5月31日 (日) 10時19分
ブログ管理人さん。
2002年8月5日。
安心安全ステーションの建つ場所で母娘が殺害された後放火された。
いろんな思いが足を止めるんでしょうね。
私は九州に住んでるもんで行きたくても簡単に行けませんが、もし管理人さんが現地に行った時にはその時に感じた想いを聞かせて頂きたいです。
投稿: 土建屋40才 | 2009年5月31日 (日) 09時30分
英火さん
済みません、まだ理解し切れてません。
期待可能性は余り詳しく無いので教えて下さい。
「すべてを理解することはすべてを許すこと」
との説明は、期待可能性の発端で有る暴れ馬エピソードに繋がり、これは「仕方が無い理由が有る」と言う事だと思っています。
その「仕方が無い」と言う根拠を被告の立場から検証するのが行為者標準説だと理解しているのですが、暴れ馬エピソードを例にすれば、雇い主が暴れ馬の交換を拒否した事が「仕方が無い」根拠なので、責任はこの時点で雇い主に転嫁されていますし、雇い主の責任を追及する際には経済事情などの理由が有ったのかも知れません。その際に行為者標準説を採ると、雇い主に十分な賃金を払わない企業が悪いと言う話になるかも知れません。そうやって無限に責任転嫁を繰り返すと結局社会全体に責任が分散されると思うのですが・・
それとも・・
「科学的に分析すれば理論上は誰も被告人を非難できない」
との説明から連想される事は、責任と言う概念を抜きに被告の事情を理解する。例えば自分が作った機械の不良品によって怪我をした場合、機械に罪を求めるのはナンセンスだと言う視点ですね。
これも科学的視点で「仕方無い」を導ける理論だとは思います。被告の心理を機械的にとか、または自然災害的に解釈するのに近いのかな?
そう言う意味ですか?
最後のくだりは「罪を憎んで人を憎まず」とか私の言う所の「責任ち罪は有っても悪は無い」に通じると思いますので、是非教えて頂きたく、宜しくお願い致します。
投稿: Toshi | 2009年5月30日 (土) 22時28分
Toshiさん(5月30日(土)04時18分)へ。宝くじ事件、少し検索してみましたが、これまた難しい事件ですね。間違えたらひどく恨まれそうだし、裁判官という職業を選ぶ人はよっぽど肝が座っているのでしょう。
被告人の罪をどう捉えるかについてですが、私の意見は責任転嫁とはまた少し違ってます。5月22日(金)20時36分の投稿と少し被ってしまいますが、科学的に分析すれば理論上は誰も被告人を非難できないけれど、そうは言っても私たちの安全のためには彼を無罪放免にするわけにもいかないよね、という感じです。ゆえに受刑者には一定の責任(責務)を負ってもらいます。
投稿: 英火 | 2009年5月30日 (土) 18時34分
管理人さん。
私は行きましたけど、松戸市の職員が常駐してました。
寄贈者匿名の建設目的のモニュメントがあるのですが、それを何度も読み返しました。
向かいにキリスト教会があり、隣棟には事件後に新築されたと思われる建て売り住宅が数軒。
近隣住民にとっては犯人逮捕で風化してしまった印象を受けました。
投稿: 億 | 2009年5月30日 (土) 13時43分
個人的な話なのですが、元マブチモーター社長宅跡にできた「安心安全ステーション」に行ってみようと、ネットで地図や写真などを調べました。写真を見た瞬間、息が止まるというか足が止まるというか…今も行けないままでいます。
投稿: ブログ管理人 | 2009年5月30日 (土) 13時02分
グタグタと長文で特定の人は自分の知りうる範囲の知識をひけらかしているだけの自己中心人物。困ったことにグタグタと長文で言いたいことを羅列するだけ。たぶんグタグタと長文で特定の人には文章能力または国語能力が無い。そのため読者には理解されない現実。苦情があろうが関係なし。本人自己中心の人格であるが故、例えば、億さんの忠告の顔文字云々に対しても反発。他人がどう思おうが空気を読むつもりが無い。
しかも、強引に他人の会話に割り込み、元祖何様さんと法学生さんとの会話に相手の迷惑も顧みず割り込み自己意見主張。自分の知りうる知識を披露誘導し本流とは無関係な部分で元祖何様さんに絡む。
まぁ、ここまでは見てみぬ振りが出来るが、
最悪、致命的問題なのが、自己中心故の偏見に満ちた分析。このブログを主の如く勝手に仕切り、犯罪予備軍というカテゴリー別けをし、死刑賛成派の一行コメントを発したものに対し犯罪予備軍としての印象操作。差別、区別、を行おうとする姿勢。
目に余るコメントもある。知識や知能の薄い人という表現には閉口だ。グタグタと長文で特定の人の人間性が見える。この人物のコメントは読者としてもう読みたくない。正直な気持ちだ。
そう思う自分のような読者がいて悪いのか?
投稿: | 2009年5月30日 (土) 08時29分
お節介@さんよ、あんた説教タイプだな。まぁ、それはどうでもいい。
俺は貶しているんじゃないぜ?指摘しているだけさ。相手にされなくても結構。
“本人が言いたいことをいったらもっともっと長くなると思いますよ。”いいんじゃねぇ?否定してないし。 だから無視機能あったら便利だなって意見述べているが何か?
“グタグタと長文で特定の人と一行罵声コメ”は、何がいいたいのかわからないって言うレベルじゃ、俺には違いがないんだよな。
本人一般向けの書き方を普段心掛けてるらしいが、なにいっているのかさっぱりさ。
“本当に必要不可欠なことだけを書かれているので”は怪しいとおもうぜ。
グタグタと長文で特定の人の文章読み返してみろ、特に偏見に満ちた分析2009年5月13日 (水) 18時33分は酷いもんだぜ。
最期にな、お節介@さんよ、俺に俺の考えや意見があってもここで述べる義務は俺には無い。
投稿: | 2009年5月30日 (土) 06時02分
なんか最近、私って有名?(^O^)
そんなに存在感大きくなってきたかな?(^o^)
照れちゃうな。(^-^;
なーんてはしゃいでしまいますので、余り持ち上げないで下さい>名無し投稿の方々
通りすがりさん。
謝る必要は有りませんよ。
私はこれでも返事を付ける相手は一応選んでいるつもりですので、グダグダ長文のレスが返って来た時点で「あぁ批判とは受け取っていないんだな」と思って貰って結構だと思います。
率直な意見・指摘に対して率直に返答させて頂いたつもりです。
相手を選ぶって点ではきっと億さんも同じだと思いますよ。
ついでに億さんには余計なお世話かも知れませんが、億さんに対する誤解もちょっと解いてみたいと思います。
(でも貶める事になっちゃたらごめんなさい、億さん)
私も最初の印象は、億さんって上から目線な所、確かに有るよなぁ・・でした。
特に億さんの旧知の方とのやりとりがそう言う印象を強めていて損しているよなぁ・・とも思ってました。
でも最近、私を含めて結構いろんな人からそれっぽい指摘を受けてから、微妙に文章から気遣いを感じる様になって来て、初めて気付いたんです。
「あ、億さんって簡潔に文章を書くあまり、誤解を招きやすい書き方をしてた人だったんだ・・・」と。
そう言う目で最近の億さんの書き込みを眺めてみて貰えませんか?
私なんかと比べ物にならない程、気遣っての文章が多いと思いますよ。
英火さん
多分、人の心を機械で読み取る装置でも出来ない限り、人が人を裁く真の正当性は得られないと思います。
宝くじ事件の公判を見て益々強くそう思いました。
彼の被告について特に強く感じたのは、人との付き合いって言葉では無いコミュニケーションが有るって事です。
いわゆる「暗黙の了解」とか「空気」って物ですね。
でも裁判ではそう言う言葉では無いコミュニケーションでの流れを追及されます。
検察は「そう言ったのでは無いですか?」と追求しますが、彼の被告の様な天然系の場合、当然ながらそれを上手く言葉に出来ないので、裁判官の納得も得られず不利になっていると言う印象を持ちました。
でも個人的には彼の被告はかなり天然で馬鹿正直な人だと思っているだけに、客観的な判断が下される事を願うのみですが。
ちなみに、英火さんが仰っている事は被告の罪を全て社会に転嫁させる事と同意だと思っています。
これは私が以前から主張している理想形態でも有りますが、段階的な議論として、全ての転嫁は無しとして、取り合えずもう少し社会責任をみんなで考えようよ・・・と言う世の中になって欲しいなぁ・・と思っています。
皆さんへ(済みません、長いです。)
主張と言うよりも感じている事を書くだけなんですが、現行裁判制度と刑法でかなり問題だと思ってる事が有ります。
それは、裁判に於いて被告に反省を求め、それを情状酌量理由として重要視する姿勢です。
裁判と言う短い期間で本当に反省しているのか、それとも上手く演技していて実は反省していないのか、見極めるのは非常に難しいと思うんですよね。
逆に遺族へ謝罪の手紙を書いていないって理由だけで反省心が認められない事も有りますが、これだって遺族の心情を思う余りに書けていないだけって可能性も有ります。
要は良くも悪くも分らないはず・・・と思ってます。
そして乱暴な言い方をすれば、裁判の時に反省してるかどうかはそれほど重要では無いとも思っています。
(ましてや裁判員制度の導入で益々短期集中審理になるんですから)
重要なのは、懲役に入ってからの更正プログラムだと思いますし、それが全然更正プログラムになっていない事が大問題だと思っているんです。
殆ど名ばかりで実質は軽作業をさせてるだけなんですから、そんなんじゃ更正仕様が有りません。
個人的には、仕事なんかさせなくてもいいから、受刑者同士のディスカッションやカウンセリング、道徳教育や情緒教育などを中心にプログラムし、定期的な心理検査を通じてじっくりと反省や更正を見極めるべきだと思っていますし、「大人しく言うこと聞いて真面目に作業をすれば模範囚」では無くて、心理検査やカウンセリングを通して模範囚かどうか見極めるべきだと思っています。
そう言う所から改善しないと再犯率も低くなりませんし、社会の安全性はおろか、死刑存置派や厳罰化派を納得させる事も難しい状況が続くとも思っています。
その様な更正プログラムを元に、今の「質よりも量」と言う懲役体制から、「量より質」への懲役体制にシフトして行って欲しいなぁ・・・とかなり思ってるんですが、今の所、それを働きかける人脈を持っていないので、難しい所です。
投稿: Toshi | 2009年5月30日 (土) 04時18分
通りすがりさん。
私は気分を害することは無いですね。
言いたいことは言うべきです。
同時に通りすがりさんの前コメの不用意な表現が、多少なりとも識学を持って読む方々の気分を害するような名無しの浅学コメを派生させた責任も生じるということにもなります。
投稿: 億 | 2009年5月30日 (土) 03時04分
"ドエライ長文〜"のお方へ。
人様の土俵で褌取ってるダケですよね?!。
私には、そう見えます。
熱弁は結構ですけど、解りやすく簡潔にお願いしたいものです。
投稿: | 2009年5月30日 (土) 00時06分
億さんToshiさんコメントありがとうございます。
これだけは分かって欲しいんですが、お二人を批判してるつもりもするつもりもないんです。
私は単にもっと議論に皆が参加しやすい場になれば、もっと色んな意見が出てきて良い意味で討論出来るのではないか・・と思っているだけです。
私は自己の意見が全て正しいなんて思っていませんから仮に批判を浴びても、何故伝わらないのか?どこが間違ってるのか? を考えさせてもらえる訳で批判を受け入れるつもりでいます。
もし気分を害されたのであれば、すいません・・・
投稿: 通りすがり | 2009年5月29日 (金) 23時43分
2009年5月29日 (金) 19時08分さん
人をけなすだけのコメントはここでは無視されますよ
Toshiさんは本当に必要不可欠なことだけを書かれているので、本人が言いたいことをいったらもっともっと長くなると思いますよ。
確かにとばして読む人もいるでしょうし、ちゃんと全文読む人もいますよ。
ご自分の意見はないんですか。
投稿: @ | 2009年5月29日 (金) 23時23分
"グタグタと長文で特定の人"の反応には笑えたな。
態度かえる気はないらしいぜ。
わかっているなら、開き直らず何とかしようぜ!と思うけどな。まぁ、ウザイ程度に読み飛ばされていることも勿論承知で、開き直っているならいいんじゃねぇ?表面で議論している人は数人でも、読者の数は無限だしな。皆、あいつのいいたいことわからねぇ~で飛ばされているんだろうし、本人もそんなの関係なく反応しているようだし。チャットのように、このブログコメントに無視機能があったら便利かもな。
投稿: | 2009年5月29日 (金) 19時08分
人が人を裁くことの限界について思うところを書いてみます。
第三者が殺人犯を非難できるのは思うに、「自分ならその場面で人を殺さない」確信があるからです。しかしこの問題はひとつの大きなジレンマを抱えていて、刑法学者の間でも論争が続いています。というのは、被告人の「すべてを理解することはすべてを許すこと」になるからです(行為者標準説への批判)。被告人の人格形成は、ヨチヨチ歩きでいろんなモノに頭をぶつけ回っているときにはすでに始まっています。裁判で語られるエピソードなど彼の人生のほんの一部でしかありません。私たちが被告人を非難できるのは――自分はああはならないと確信を持てるのは、被告人の人生への理解が不足しているからに他なりません。
つまり皮肉な話ですが、人が人を裁くという行為が不完全であるが故に、私たちは憎悪の感情をもって被告人を断罪することが出来るのだ、と私は思います。
あと、記事コメント欄の状況について一言二言。まず小田島さんを誹謗中傷されてる方へ。ああいう投稿は、死刑をこれからも続けていきたいと本気で思っている方にとって甚だ迷惑だと思います。少なくとも私はそういう目で眺めています。多人数を装うような投稿をしている方も同じです。同じ論調の他人の投稿まで貶めることになっています。有罪判決は受刑者への非礼を正当化しないし、目的は手段を正当化しない、と思います。
投稿: 英火 | 2009年5月29日 (金) 18時30分
億さん
ええ、そうなんですよ。
匿名でも著作権が発生するのでフリーウェア(作者は大抵ハンドル名で名乗ります)などもライセンスを定める事が出来ると言う訳です。
尚、出版に際し、法的に問題ないなら何を題材にしても問題ないと思っていますので、契約が成立している小田島死刑囚の発言や手紙など、死刑囚そのものを題材にする事は私も全く問題ないと思っています。
2段式については理解しました。
私個人的には別段必要性を感じませんが、もし管理人さんが前向きに検討なさる上で技術的・場所的な問題が有る様でしたら、私は場所や掲示板を提供出来る立場に有りますので仰って頂きたいと思います。
投稿: Toshi | 2009年5月29日 (金) 17時23分
Toshiさん。
掲示板2段式は、表の掲示板がココだとしてパスワードでのみ侵入して閲覧・書き込みができる所が2つ目の掲示板です。
私はブログの匿名コメントに著作権があるとは知りませんでした。
その前に従来より死刑囚で商売するな的な意見がありましたが、私は『別に悪くない』と思ってます。
投稿: 億 | 2009年5月29日 (金) 14時02分
掲示板主旨と全く関係無い話で済みません。m(_ _)m
億さん
大した事では無いのですが、ちょっと「?」と思った事が有ります。
管理人さんへの提言の内容で2段式と言うのがどう言う物なのか全く想像付かないので見当ハズレな事でしたらごめんなさい。
コメントを単行本化して商品化と言うアイデアは色々と問題が有りそうです。
管理人さんは重々承知している事とは思いますが、一応念の為に申しますと、掲示板投稿発言には発言者の著作権が有りますので、無断で流用出来ないと言うのと、ぱっとこのブログを見た際や掲示板に投稿する際に、著作権の取り扱いに関する規約が無いので、益々・・・と言う点。
そして、議題の特殊性から発言者が自信の主張を出版化する事も十分に考えられると思うのですが、その際の主張内容の類似性から来る版権問題なども考えられるので、個人的にはお勧めでないアイデアだと思いました。
投稿: Toshi | 2009年5月29日 (金) 11時11分
2009年5月29日 (金) 02時09分 の通りすがりさん。
ご質問が有りましたのでお答えします。
結論は得られていませんし、結論を得る事が最終目標のつもりも有りません。
結論はもちろん得られればそれに越した事は有りませんが、結論が得られなくてもお互いに勉強になる点はございますし、public place ですので第3者の参考になる面も有るのかなと思いますので、多かれ少なかれコンセンサスは育つと考えています。
また、グダグダの長文はどちらかと言えば私ですね・・
億さんは割りと簡潔な文章を書くと思いますので。
これに付いては済みません。
どうしても私が書くと長文になりがちです。
これでも極力長文にならない様に気をつけているんですが、難しいです。平にご容赦の程、宜しくお願い致します。
特定の人としかやりとりしていないとの指摘は納得出来ませんでした。
私は何度か色々な人へ議論の参加を呼びかけたつもりでいますし、絶えず他の人の議論参加を促す様な内容も心掛けているつもりです。
また、議論はその性格上、参加している人によって形成されますので、特定の人とのやりとり以外に有り得ません。
吐き捨てなどの一言コメントは特定の人とさえやりとり出来ていないとも思います。
また個人的にでは有りますが、チャット感覚の2ch化には私は反対です。
チャット感覚で死刑問題を語りたいなら、別にこの掲示板で無くても2chを始めとしてあちこちに「場所」は有ると思いますし、ここを変える意義は感じられないからです。
投稿: Toshi | 2009年5月29日 (金) 10時41分
通りすがりさん。
言いたいことは言ったほうがイイと私も思います。
投稿: 億 | 2009年5月29日 (金) 10時13分
小田島確定死刑囚のマブチ事件を彷彿させる殺人放火事件が板橋区でありましたね。
類似事件が発生すると当局に制裁意識が働くのか恣意的に当該類似事件確定死刑囚が執行されてきてますから、共犯者の確定判決を待たずにという小田島確定死刑囚の異例の早期執行を法的に問題ないだけに危惧します。
今国会閉幕後の衆議院解散前などは特に小田島確定死刑囚に関わらず当局にとり絶好の執行機会なので控訴取り下げが大義名分にならなければいいが。
投稿: 億 | 2009年5月29日 (金) 07時34分
億さんやToshiさんに言いたい事があります。
最近お二人を中心に随分と議論されてるようですが何か結論出ましたか?
億さん、あなたのその素晴らしい刑法の知識を持って国会議員に立候補し死刑廃止へ向けて自ら行動されては?
ここで議論をするよりあなたの知識や考えが活かされるのでは?
あなたのコメントを見てると上から目線の感がどうも拭えません‥
グタグタと長文で特定の人としか、やり取り出来てませんよね?
「死ね」とかコメントされてる人もいますがこのブログを読んでそう感じたんでしょうから、そういったコメントも私的には有りだと思ってます。
色んな意味で世間から注目されてきてるブログだと思うので、難しいとは思いますがチャット感覚で議論出来ればコメントもしやすくなると思うんですけどね‥
投稿: 通りすがり | 2009年5月29日 (金) 02時09分
元祖何様さん(5月28日(木)10時39分)へ。そうですね、予算の問題も大切です。言われてみれば、犯罪予防・冤罪予防の分野にはもう少し予算を割いてもよい気がします。マクロな視点で見れば、社会福祉の向上に力を入れることも犯罪予防のためには必要です。もちろんできることとできないことがあって、どこかで妥協や線引きをすべきなのですが…、国民の興味がべつの方向に向けられてしまってるのかな、という感じもしています。
投稿: 英火 | 2009年5月29日 (金) 01時12分
元祖何様さん。
コトの顛末は230回獄中日記のrnさんの質問コメです。
レス返する程のものでも無いのですが、一つの文章の特徴に気がつき、それは死刑囚の囚の字が因になっていること。
そしてそれらのコメの内容に犯罪被害者である立場が書かれていたので、レス返したわけですが…
『死刑因』と書く人が短期間に今日も含めて延べ6ハンネ。
そんなに間違えやすい字 とは思えないし視覚障害者が6人いるとも考え難い。その上に意見主張は一貫性があるので同一人物と考えられると思わせられるので、それゆえにココログは受信コメの発信源にIDが着くので管理人さんに『なりすまし』防止のID管理の確認を問うたというわけです。
ところで問題提議された金銭(税金)の件。
これは社会福祉の安全な公共性保持のために必要税であると考えます。
このコストで犯罪者から社会が安全に隔離されており、公判においても被告の利益確保がなされていると考えます。
第3セクターの収容者分類公正施設の建設など、何の問題もないと思います。
税金が使われること自体が気に入らないでは議論になりませんが…
投稿: 億 | 2009年5月28日 (木) 13時30分
管理人さん。
返答ありがとうございます。
掲示板を2段式にすれば 良いのではないでしょうか…
希望者にIDとパスワードを発行してコメント責任を持たせ、匿名発信者を特定させる方法も一考できるのではないかと思います。
おそらくブログの最終点として執行後の何らかの青写真も描かれていると思いますが…
掲示板2段目の反響コメントを単行本化すれば商品にはなるとは思います。
その印税の使途は、別に考えれば良いと思います。
投稿: 億 | 2009年5月28日 (木) 12時59分
久しぶりのコメント・・・
忙しいので正直、全くといっていいいほど、コメントを読んでいない(汗
2,3個前のコメントを掲示板以外も含めて読んだのだが・・
まず、億氏に提案。
別の欄でのコメントに対する返信あるいは意見であるのなら、その欄に投函するか、あるいは、『○○の欄で見た投函に対しての意見であるが』と一言付け加えてもらわないと、読者側には、何の話なのかまず理解不能である。
自分を含めて皆さん思い思いに理想論を話し合っておられるようだが、結局行き着くところは’金銭’の問題だとおもう。
被疑者が全ての取調べにおいて弁護士を立会いにするのが理想ではあっても、結局は弁護士に支払う金額、あるいは国選弁護士でも同じ。手弁当、ボランティア意識だけでは弁護士も生活できない。
証拠を保持するためには国が新しい施設設備を整えなくてはならない。何億というレベルの世界であるわけで。(その方向にむかって、いちおう現時点では進んでいるようであるが・・)
我々のように、日本の裁判制度に疑問を感じたり、関心をよせるものは国民のなかの、ごく一部である。
国を動かすために選ばれた議員には、一般受けする項目から予算を削っていくわけで、ここで幾ら卓上の議論をしようが、実践には程遠いのだろうな・・と。
まぁ、独り言に近いが・・昨今そんな感想を持った。
投稿: 元祖何様 | 2009年5月28日 (木) 10時39分
管理人さんへ。大変丁寧なお返事ありがとうございました。正直、小田島が言うように、悪人をずっと貫く手紙内容ならこんなにやるせない気持ちにはならなかったのでしょうが、人間の弱い本質、本来人間が持っていて当たり前の感情を目の当たりにすると、当初からこのブログを読んでいる私としては、あまりに切ない気持ちにさせられます。のど自慢や初恋の思い出をすでに振り返る余裕すらないように感じます。小田島の日記の全てを公開されているという事なのでこれからも読み損じないように参加させていただきたいと思います。
投稿: 冠 | 2009年5月28日 (木) 10時05分
冠さんへ
小田島日記に関してですが、小田島死刑囚より届いた日々のことを綴った手紙はひとつもボツにすることなく現在までアップされております(個人的な情報は伏せ字にすることはあります)。
斉藤充功氏、比嘉健二氏に個人的に届いた手紙はお二方の申し出によってブログ上にアップされる時もあります。現在アップされている斉藤功充氏への手紙がそうです。
ブログ管理人としましては、ブログが始まった当初と現在では大変な環境の変化あると思います。ですが、当ブログの方針としましてはただ「死刑囚小田島より届いた手紙をブログにて発信する」というモノにいささかも変化はないと思います。誤解を恐れずに言えば、良くも悪くも死刑囚の手紙という事実を発信するだけであり、ブログ自体がたとえば死刑制度の存知・廃止を訴えているわけではないと思っています。
死刑囚の日々を情報のひとつとして、何を考え何を問うていくかは人それぞれであると思います。それはコメントをして下さる大勢の皆様が証明しているとおりです。自分自身もブログの管理を続けていく中でやはり存知と廃止の間で揺れ動き続けています。少し質問とはズレた文章になってしまいましたがご容赦ください。
億さんへ
コメントの質・量ともに増大してる現在、正直なところ始めた当初のようにひとつひとつ吟味してチェックしきれない時が多々あります。ご容赦下さいませ。
投稿: ブログ管理人 | 2009年5月28日 (木) 02時46分
@さん
了解です。
英火さん
資本主義の縮図は小田島死刑囚と森田被告の相対性と言う意味で使った訳では無く、小田島・森田ファミリーと世間との相対の意味合いでした。
よって私の論点は全くぶれてませんので問題無いです。
投稿: Toshi | 2009年5月28日 (木) 01時21分
混乱…してます。
さすがに質問に返答した分、それなりのレスがあって然るべきと思ってましたが…
相変わらず続く『死刑因』
こんだけ短期間に死刑囚を死刑因って打ち込む人が累計5人も居るとは普通に考え難い。
誰ですか私に質問した人?
もっと慎重に対応するべきだったかな…
管理人さん。
ID管理は万全ですか?
Toshiさん、まだ結論までは到達してませんが自由意志の自殺肯定論を、篤志家(宗教者)と意見交換してきましたので、近日中に明確な返答ができると思います。
投稿: 億 | 2009年5月28日 (木) 00時38分
Toshiさん(5月27日(水)12時27分)へ。「小田島から斎藤氏への手紙3」の記事を先ほど読みましたが、前回書いた私の憶測がまったくの見当違いだったことが明らかになってしまいました。記事内でたびたび出てくるMさんが守田被告のことだということにも今ごろ気付きました。小田島さんとMさんに、申し訳ないことを書いてしまったみたいです。事件を判断するだけの情報が圧倒的に不足しているのを痛感しました。
投稿: 英火 | 2009年5月27日 (水) 23時41分
普通の人さん(5月27日(水)13時13分)へ。そうですね、同様の犯罪を「またやる」かどうかを見極めるのが裁判所の仕事だと思います。すべて無期懲役にしてしまえば手っ取り早いかもしれませんが、犯人とて悪人になるために生まれてきたわけではなく私たちの社会も彼の人格形成に一役買っていることを考えれば、裁判官は非常に難しい判断を常に迫られています。
ところで先日の投稿で語弊があったようなので少し補足させてください。ここは億さんとも見解が分かれたところですが、執拗にメッタ刺しされた方が被害者は苦しまずに済むのは確かです。しかし被告人の主観を慮って判断すれば、一刺しで止める方が凶暴性が少ないと言うべきだと思います。「特段の凶暴性」とはあくまで、平均的な殺人犯と比べて、という意味です。言葉足らずをお詫びします。
それから、強姦未遂の件ですが、頭の中にとどめる限りはどんな不道徳な妄想も許される、というのが私たちの社会のルールです。被告人の場合そのれを脳内に止めず実行に着手してしまったわけですが、これは許されるべきことではありません。しかしどうしても勃起しなかったというのは、現実を目の当たりにして無意識に理性の歯止めがかかったのだと私は見ています。
最後に、殺人の計画性についてですが、警察官に取り囲まれ衝動的に殺害した、つまり計画性はなかった、と地裁は判断したようです。
以上の裏を返せば、強姦目的で女性を誘拐し欲望の捌け口にし、用が済めばメッタ刺しに殺害、そのうえたいした理由もなく平気で遺体を切断できるような被告人であれば、社会にとってこの上なく危険な人物だと私は判断します。しかし今回の事件はそのようなケースではないと考えました。
投稿: 英火 | 2009年5月27日 (水) 21時31分
英火さん・・・
自分がもてないから快楽目的で拉致強姦しようとし、バレてもいないのに「発覚しかけた」から殺す
殺し方が「特段の凶暴性も感じられない」
「快楽目的ではなく証拠隠滅の為だから苦渋の選択だった」?
キレて殺すよりも計画的で冷静で恐ろしいでしょ
証拠隠滅は悪質でしょ
またやるよコイツは
そしたら次の被害者を出したのは司法にも責任があるでしょ。
極刑ともいえる殺人=無期懲役? 極刑でしょ
殺人=死刑にしないとこの様な安易な殺人が増えますよ
(除く情状酌量)
投稿: 普通の人 | 2009年5月27日 (水) 13時13分
Toshiさん
様々な生生しい写真を何枚もみせられ、娘を殺した犯人の口から説明される。
これは被告が意図した内容ではありませんでしたが、遺族の方々にとって一生続くようなショックを受けたと想像してます。
Toshiさんが説明されていることは「犯罪」というものを全体から見た視点で、第三者の私は納得いくのですが、もうひとつ問題なのは事件からまだまだ日が経っていないという点です。
まだ昨日起こったことのように感じていらっしゃる方たちにとって、被告が真摯に事実を話したにせよ、遺族の傷は未だ癒えない状態で、第三者である私達が「そこは違うだろ?」的な意見をいれるのは、傷口に塩を塗りこむようなものかと思います。
人を傷つける可能性を持つよりも、長文化してもしっかりと伝えるほうがいいので、特に遺族のことを書くときにはそんな感じでお願いしたいと思います。
投稿: @ | 2009年5月27日 (水) 12時35分
億さん
ん?何か混乱してませんか?
多分、日記の方のコメントと掲示板がごっちゃになっている様な・・・
英火さん
なんかだんだん愚痴になって来てますよ(^^;
でも、後半の話を聞いて思い出した事が有ります。
部品レベル議論の要素として民主主義・資本主義辺りも重要だと兼ねてから思っています。
社会主義は歴史上、成功しませんでしたし、共産主義も破綻が目立ちます。
かと言って、民主主義は魔女裁判化の懸念を抱きますし、資本主義は片方の正義が片方の悪と言う図式の上で成り立ちます。
英火さんの後半の話はまさに資本主義の縮図ですよね。
企業は社員の待遇改善、会社の発展の為に頑張りますが、それはライバルを蹴落とす事を厭わない事に繋がりますし、個人では自分の家庭を守る事が他人の家庭を犠牲にする事になっている場合も有るかも知れません。
自分自身を守る事が他人の犠牲の上に成り立つ構図を主義の根底に置いてる以上は、博愛精神など生まれようが無いと言うのも道理です。
社会的なカタストロフィーが起れば、皆迷わず自分の仲間や家族を守る為に敵を殺しまくるだろう前提で考えれば、殺人事件に於いては個人レベルの小規模なカタストロフィーの上で成り立つシーンも有り得ると思っています。
そう考えるとやはり人間は誰しもが殺人鬼の素質を十分に持っていますね。
個人的には社会主義や資本主義に変わる何か第3の道を模索すべきなんじゃないかな・・と漠然と思っています。
余談ながら人権派では無い弁護士は・・・と言う話で思ったのは、例の人気知事とかは、言われて見れば確かに検察にぴったりだと思いました。
投稿: Toshi | 2009年5月27日 (水) 12時27分
犯罪被害者の方と思って返レスしなきゃ‥と眠い目をこすって割と気を遣って書きましたが…眠気も吹き飛びます。
私も誤字脱字や変換ミスとかはあるけど死刑囚を死刑因って打ち込む人は、そう短期間に何人も現れると思えないなぁ。
私に質問した人、誰ですか?
投稿: 億 | 2009年5月27日 (水) 02時48分
あれ。
自称検察官の卵の卵さんまで死刑囚の囚の字が…一体、誰がだれだか…
全『r』さんも全部別人でしたらスミマセン。
伝わるのでいいですけど死刑因を打ち込む手間より『しけいしゅう』と、一括変換したほうが楽です。
投稿: 億 | 2009年5月27日 (水) 02時23分
議論中口を挟んで申し訳ない。一度、比嘉さんに聞いてみたかったのですが、このブログの企画を立ち上げられた当初と現在とでは目指した方向はマッチしているのでしょうか?私は当初、今回のような日記を執行されるまで見る事が出来ないと思っていました。比嘉さんが連載されているコラムを拝読し、小田島の追い詰められている精神状況もわかりました。正直、小田島が死刑囚とならなければ今回のような反省の言葉を見る事もなかったでしょう。それを世間に分かって貰える小田島はむしろ幸せな死刑囚といえるかも知れません。ただこの先、精神が壊れて行く小田島が想像出来、正直、キツい展開になるのではと危惧します。当初、死ねと早く吊せしか書き込みがなかった頃と今とではブログの注目と価値観が大きく違ってきています。小田島からの日記で今までボツにした日記もあるでしょう。正直、コメントでお二方の意見も聞いてみたいと思っています。私はいつも携帯からなので訪問ルポ関係は見れません。小田島の日記を載せてコメントを待つ、、、執行されるまでこのブログはずっとこのままなのでしょうか?この先どの様な方向を目指してらっしゃるのか是非お伺いしたい。私が聞くのはお門違いと分かりな
投稿: 冠 | 2009年5月26日 (火) 23時44分
どうでもいいから、早く死刑執行してください
投稿: キムチ | 2009年5月26日 (火) 22時18分
億さん(5月26日(火)12時58分)へ。私は刑事裁判とは、国民やご遺族の主観を測るものではなく被告人の主観を測るものだ、と考えます。両者の違いはたとえばこんな感じで表れます。
国民・ご遺族目線:「女性を強姦し調教する目的で拉致し、発覚しかけるや包丁で一突き。介錯もされなかった被害者は苦しみながら死んでいっただろう。そのうえ、遺体を切断しトイレに流すなど想像するだけでもおぞましい。こんな犯人には死刑すら生ぬるい」
被告人目線:「女性経験すらない被告人が強姦を決意し女性を拉致。しかし性的に興奮できず未遂に終わる。殺害を気付かせないよう目隠しし首をひと刺しする殺害方法からは特段の凶暴性も感じられない。遺体の処理もそれによって快感を得る目的ではなく証拠隠滅のための苦渋の選択だったろう」
私は刑罰を「犯罪を未然に防ぎ(一般予防)、かつ犯人を隔離・更生させる(特別予防)強制力」と定義するので、後者の方向から裁きました。
投稿: 英火 | 2009年5月26日 (火) 19時14分
Toshiさん(5月26日(火)01時30分)へ。裁判の原則からすれば、弁護人すら主張しない判決を下すのはたしかに無理っぽいです。裏を返せば、裁判で下された決定が必ずしも正解ではない、ということでもありそうです。特に国選弁護人しか選べない場合は、弁護人が被告人より世論の味方になってしまうケースだってあるかもしれません。「人権派」ではない弁護士の方だって相当数いることでしょう。そういう方は弁護士より検察官に向いていると個人的には思いますが余計なお世話なんでしょうね。
そう言えば小田島さんの共犯者の裁判では、被告人は「小田島さんが主犯で自分は従犯だ」と主張し、控訴審は被告人の主張を退け「4件のうち2件は被告人の独断だった」と認定しています。でもひょっとしたら逆に、小田島さんの方が従犯だった可能性もあるかもしれません。彼は、共犯者のことを「人生で初めての友人」と認めそのうえで、法廷で悪様に言い合うことを嫌って「共犯者の調書を基にした起訴事実を、総て認めた」そうです。どのみち裁判で絶対的な真実が明らかになることなどあり得ないのでしょうが。
投稿: 英火 | 2009年5月26日 (火) 19時11分
億さん
レス有難うございます。
やはり弱気反論は説得力を持てませんでしたか。
犯意の有無により有無罪を決めた方が良いと思う所は譲れないので、
これに付いて何か説得力の持てる例を思いつくまで留保させて下さい。
所で、億さんは損壊の残虐性に神経質になり過ぎてる感じはします。
かの弁護士が言ってた通り死体損壊罪自体は3年以下の懲役刑で、重犯罪とは言えない罪です。
なので、現在の司法観点で言えば、ここに残虐性の多くを求めるのは良くないと思っています。
また、一部誤解が有る様ですが、私の記憶では喉を刺し数分間そのままにした後、中々死なない事から包丁を抜いたと言う経緯だったかと思っています。
となると、他の判例に照らし合わせて殺害様態は残虐とまで言えないと言うのも間違いでは無いと思えます。
億さんはきっと法律素人の抽選裁判員に与える印象を懸念しているのだとは思いますが、その点に付いては私も同感です。
あの判決文は「死刑にしたい検察・遺族の気持ちも分かるけど・・・」となまじ「死刑回避言い訳文」になってるのがそもそも良くないと思っています。
裁判員制度を踏まえ一般人に周知させる意味でも「司法観点ではこれで正しいのだ」と断言する位強気の判決文で有って欲しかったです。
@さん
そうですね、遺族とメディアは分けて書くべきだったかも知れません。
しかし、遺族は被告が見え透いた言い逃れをすれば「真実を語っていない、反省していない」と憎しみを募らせ、
真実を語れば「残虐だ、身勝手だ」と憎しみを募らせ、結局「死んでも許せない」と言う結論に辿り付く性格のものだと言う事が顕著化した事件だと思っています。
そして昨今のメディアはそう言った遺族感情を是として流す傾向が強いのも確かです。
更に何度も言う通り、神隠し事件を例に取っても検察は包丁で喉を刺した際の感触(筋や神経、血管が切れる)まで問い正しています。
これなどは「喉を刺した」と言う客観的事実以上に残虐性をアピールする過剰なレトリックであり、結局検察のやり方が是正されない限り、被告が真摯に対応しようが乱暴に対応しようが遺族が癒される事は有り得ません。
例えば遺族が星島被告の態度に「真摯に話している」と言う評価が持てれば、それは遺族の心のケアに繋がりますし、検察が魔女作り姿勢を是正しても同じく遺族の心のケアに繋がります。
また、現状の検察の方針を前提に、被告が真摯であろうが無かろうが遺族や世論の処罰感情が膨らむのなら、やはりそれによって真摯な態度を置き去りにしたまま量刑が左右されるのは間違っています。
そう言う前提が私の心の中に有ったのであの様な書き方になりましたが、言葉不足だった点は反省します。
(でも私が文章を書くとどうしても長文になりがちなので、その辺に配慮した結果だった点もご理解下さい。)
投稿: Toshi | 2009年5月26日 (火) 17時43分
Toshiさん
>遺族やメディアは、真実を語る被告に「残虐だ、身勝手だ」と憎しみを募らせます。
(違うだろ?そこは評価する所だろ?と突っ込みいれたくなります。)
メディアはなんともいえませんが、遺族が「身勝手で残虐だ」というのは当たり前のことであるので、メディアと遺族は分けて書いていただいたほうがいいかと思います。
真実を語れば語るほど内容の悲惨さがわかってくるので、評価とかできる余裕は遺族にはないと思います。
投稿: @ | 2009年5月26日 (火) 14時37分
Toshiさんの強気な反論は本件においては的を得ていると思います。
英火さんの仰る推定加害者心理からも本件は死体損壊がなければ求刑も有期刑だった思ってます。逆にToshiさんの司法解剖プロパガンダ説には懐疑的です。一つの極例を挙げて物事を斜視しているような印象を受けました。司法解剖は犯意が無いのは勿論、死因解明の真相のために行われているもので事件と事故の究明や遺族の真相解明願望の一つにも合致するので、整合性を感じます。
問題視したいのは事件の認定部分で、殺害方法が包丁で首を一刺して数十分放置して死亡を確認した。(絶命を待つ)
これは殺すという目的においてメッタ刺より冷徹だと思います。
これを、執拗に殺害していないという認定。
損壊についても、事件全体で極刑を下すほど残虐とはいえない。
が、概ねの判決文なのですが、最初から判例主義的に求刑減一刑を判決とすべき前提だと仮定しても、この判決文を裁判員候補者が読んだら残虐な死刑事件とは何だ?となると思いました。
投稿: 億 | 2009年5月26日 (火) 12時58分
億さん
私の長文をじっくり吟味して頂いた事感謝致します。(今回も長文になってしまいました(^^;)
損壊と司法解剖に犯意の有無が有る件、ご尤もな意見です。
これに関し、弱気ながらも反論を試みて見ます。
先にも述べた通り感情的な側面で少なくとも私は、死んで司法解剖されるのは犯意が無くても嫌ですし、犯意が有ってもバラバラの方がまだ許せます。
と被害者の立場で考えてみました。
遺族の立場では当然ながら司法解剖は良し、バラバラは許せないと言うのが常かなと思っていますが、これは有る面、国のプロパガンダに流されている面も有るのかなと思っています。
神隠し公判では、検察は損壊の残虐性をアピールしまくっていました。
(余談:これは良くないと思ってます。遺族感情の傷や憎悪を悪戯に広げるだけなので)
これに限らず日常からバラバラ殺人の猟奇性は検察やメディアが宣伝しまくっています。
しかし、司法解剖の実態を宣伝する勢力は有りません。
もしメディアが司法解剖の残虐性をアピールする姿勢を持っていれば、バラバラ以上に猟奇的な印象を与える事間違いなしです。
目的の違いが有るだけで行為自体は変わらないと言う思いはやはり有ります。
しかし、犯意の有無はやはり尤も。
であるならば、最低でも「犯意が無い」=無罪、「犯意が有る」=現行のまま
にすべきだと思うのですが。
(ちなみに海外での話しですが、一時、変態司法解剖医が若い女性の死体を切り刻みながら弄んだ上死姦した画像が流れた事が有りました。こう言ったケースまで考えると益々損壊罪と司法解剖の分離性は怪しく感じます。)
また、神隠し事件を例にして私の考える状況をまとめますと
・目的は監禁・拉致・調教だった。
・警察の捜査により保身に恐怖した。
・証拠隠滅する為に殺人及び損壊に至った。
ここまでは宜しいでしょうか。
この前提の元、億さんの「損壊は証拠隠滅に適さない」に強気で反論してみます。
(余談ながら最初に感じたのは、殺人は証拠隠滅に適さないとする代案が欲しかったなぁと思いました。)
まず遺棄をすれば良い・・・と言うのは自分が殺人犯の立場に立って考えると以下の不都合が有ります。
・持ち運びに際し「重すぎる為、迅速な行動が取りにくい」
・車などの移送手段が無い限り、人目に付かずに移送するのが難しい。
・既に警察がうろうろしている状態では不可能に近い。
次に、火葬する事を考えると以下の不都合が有ります。
・火葬可能な場所まで持ち運ぶのが、上記の不都合とかぶる。
・自宅で放火する訳にいかない。
・集合住宅である事から、被害者宅にも放火出来ない。
そして、バラバラにするメリットは
・持ち運びに便利。
・警察や人目を避けて処理できる。
・デメリットが余り無い。
と、圧倒的にバラバラにするのが証拠隠滅方法として最適です。
もはや証拠隠滅する時点で犯人は犯罪から逃れようとする強い意志が有りますので、
殺人を止める事も有りませんし、損壊罪が厳罰化されても関係なくこれ(バラバラ)も止まらないでしょう。
もし仮に、状況的に
・山の中の一軒屋で起きた事件だった。
・周りに人目や警察がいない(比較的長い)時間帯が存在していた。(例えば夜中は誰もいないとか)
と言う状況で有れば、きっと星島被告はバラバラにする事無く山の中に埋めていたのでは無いかなとも思えます。
つまり、バラバラは状況に応じた「証拠隠滅」の一手段に過ぎないと言うのが私の見解です。
繰り返しになりますが、やはり私は「殺人・損壊が証拠隠滅の手段」と言う状況をなんとか出来ないものかと思っているんです。
目的(奴隷にしたい)では無くて手段(証拠隠滅の)で殺される事の方がよっぽど理不尽だと思えるからです。
極端な話、このまま厳罰化世論が過激化して、もし万引きでさえ重犯罪になれば、万引きを見られた・・と言うだけで殺されバラバラにされる人も出て来ます。
性犯罪目的の幼女殺害なんかも昔はそうそう無かった犯罪です。
一重に児童に対する性犯罪の厳罰化や世論の神経質化が招いた「殺人」だと思っています。
(済みません、億さんへのレスなのですが他の人に見られる事を意識したくどい書き方になっています。)
昔の軽犯罪に対して厳罰化を叫ぶ方々は、それによって軽犯罪の絶対数が減るメリットと、被害に有った際には命が無くなる重大なデメリットの双方を認識すべきです。
尚、私の判決文に対する感想は下記の英火さんへのレスで述べます。
英火さん
余談ながら私はあの裁判、無期懲役はある面仕方無いと思っています。
なにせ、裁判の基本は被告と原告の争いを判定するものですし、
原告=死刑、被告=死刑、被告の弁護士=取り合えず死刑だけは回避
と言う状況の中での判決ですから。
ただ刑事裁判だと言う視点で考えれば、あの判決文は全く納得していません。
有期・無期の考察が有って然るべきだと思っています。
しかも、あの「死刑を回避した言い訳文」は情けなさ過ぎるとも思っています。
しかし、量刑として見れば軽くすべきかどうかは微妙だと思っています。
一般予防の見地(メディアが大騒ぎしたのが悪い)では社会に与えた影響は確かに大きかったです。
また遺族の処罰感情も大きいのも確かです。(検察が益々遺族の憎しみ感情を煽る演出ばかりだったので検察が悪いのですが、それでも判例主義ですから)
私が唯一問題にすべきは、被告の「一切言い逃れをしない真摯な態度」がどの程度情状に反映されたかですね。
遺族やメディアは、真実を語る被告に「残虐だ、身勝手だ」と憎しみを募らせます。
(違うだろ?そこは評価する所だろ?と突っ込みいれたくなります。)
その憎しみ感情が量刑に悪く反映されてしまうなら、言い逃れをして嘘付いた方が有利となり、裁判の公平性は保たれない事になります。
この点に付いては自分のHPでも再三、問題として取り上げているトピックです。
なので、私的に「死刑は絶対に有り得ない」と思っていますし、もしこれが死刑になったら裁判の公平性が崩れる時だと思います。
これに付いて、せっかく1審で公平性は保たれたと安心したら2審開始が決定してしまい、またもや不安です。
投稿: Toshi | 2009年5月26日 (火) 01時30分
>星島は死刑でも軽い
本当にそうですよね。
死刑なんて楽な死に方ですよね。
被害者が受けた殺されるという恐怖、無念、痛みを味わって死んで欲しいためには
猛獣の檻にいれたままにするとか、冬の八甲田に置き去りにするとか、熱湯に落とすとか、
とにかくあっさり死んで欲しくないですね。
彼の場合はそう言う事より、手紙なんて書いてる場合じゃなくて
早く自分で死んでくれ、ですね。
投稿: | 2009年5月25日 (月) 23時27分
死体損壊罪について、私見をもう少し書いてみます。先ほどの投稿で「証拠隠滅罪と同程度の量刑が相応しい」と書いたのは、住居の外側を警官に固められ被害者を殺害した時点で、死体損壊を思い止まるのは期待可能性が低かったろうと考えたからです。たとえば遺体損壊を目的に人を殺したなら、それは被告人の危険性を表す事実のひとつとして認定すべきです。しかし実際は、遺体をバラバラにしてトイレに流すという行為は被告人にとっても拷問に近かったのではないかと思いました。なので、それは被告人の危険性を示すエピソードではない、と判断しました。
以上はあくまで、「刑事裁判とは被告人の危険性を測るもの」というモノサシを使って限られた情報で私なりに事件を裁いた結果です。判断基準が異なればまったく違った量刑になることも否定しません。実は私はTV報道をほとんど見ていなかったのですが、新聞記事などを検索した印象では、「性奴隷にしたかった」「遺体を切断、トイレに流した」といった事件の異常性ばかりが取り沙汰されていたようです。しかし実物大の被告人はそんなモンスター像とは大きくかけ離れているのでは?と思いました。
億さん(5月25日(月)15時40分)へ。うえの下書きを書き切ったところで億さんの投稿を拝見しました。なるほどです。遺体損壊が被告人の残虐性の表れとする見方も理解できます。私と同じ方向から量刑判断をしている印象を持ちました(違ってたらごめんなさい)。
投稿: 英火 | 2009年5月25日 (月) 22時33分
死刑賛成派の方同士の討論があれば、という意見、なるほどとは思いますが、
2009年5月25日 (月) 02時19分の方もそうですが、あまりにも怒りだけがこみあげすぎて、一行で終わってしまっています
文章が短い方が伝わりやすいと思われているかもしれませんが、具体案を出す発展がありません。
今まではこうだったけれども、もっとここをこうしてと、具体的に述べていただけると、他の方も賛同したり、また反対意見なども出しやすいんではないでしょうか。
そうでなければ、星島被告は「死刑でも軽い」、具体的に死刑より重い刑罰を作るには今の法律を改正するためにどうしたらよいかと考えていかなければ、死刑賛成派の願いは永遠に届けられないと思います。
きっかけはなんであれ、具体案をどんどん書いてってくださるといいと思うんですが。
一行で終わっていると、ただ日頃のストレスがたまってストレス解消目的で書いているような見方しかされないと思います。
投稿: @ | 2009年5月25日 (月) 15時55分
Toshiさん、長文レスありがとうございます。
読解するのに時間を要し遅くなりました。
宗教概念から死者への冒涜の定義と死体損壊罪の意義が結びついた法律だとしても、稀に食べちゃう人もいましたので法律でカバーできる範疇も限度があると思ってます。それと、司法解剖を混同することは犯意の有無の違いからナンセンスかなとも思います。
証拠隠滅が目的ならば、ただ遺棄すればよいと思うし小田島確定死刑囚の事後放火となると思いますが、損壊となると部位を手当たり次第に工具で切断、粉砕しなければならないようですから併合罪とするには量刑規定が軽い分、その行為の特異性を本件量刑に重度に反映させて然るべきかなと思ってます。
というわけで英火さん。星島被告は死体損壊が本件量刑に反映された妥当な判決と思います。
検察も判例に沿った有期刑阻止の求刑死刑だと思ってます。
判決文の殺害方法と損壊に対する認定が浮き世離れしていて『変』だなぁと感じただけです。
投稿: 億 | 2009年5月25日 (月) 15時40分
星島は死刑でも軽い
投稿: | 2009年5月25日 (月) 02時19分
億さん(5月22日(金)15時17分)へ。星島被告の件、軽蔑されるだろうと思いつつ書いてみます。私が裁判官なら懲役20年です。判断の基準は「再犯可能性×保護法益の大きさ」です。つまり犯人が再び罪を犯す確率とその場合の被害の大きさ、もっと単純化すれば「被告人の社会的危険性」です。
星島被告のケースは、強姦未遂に関しては、拉致したものの結局勃起せず、AVを見て勃起を試みるも失敗。殺人に関して、ひとりの人間を殺害するという重罪を犯しましたが、これまで非行の形跡や前科がまったく無く計画性も無く本人が死刑を望んでいることからも再犯の怖れは小さいと判断しました。死体損壊罪については、証拠隠滅罪と同程度の量刑が相応しいと思います。
ただ審議の過程で、懲役20年では更生は不可能だろう、という他の裁判官の意見に説得力があれば、無期懲役を支持するかもしれません。厳罰を望むご遺族の感情は、申し訳ありませんが量刑判断に影響させないつもりです。常に最大限の厳罰を望むのがご遺族の心情です。これを考慮してしまえば、妥当な量刑というものが存在しなくなるからです。実質は大衆によるリンチなのに、遺族感情が恣意的に利用されるようなことも避けるべきだと考えます。
投稿: 英火 | 2009年5月24日 (日) 21時50分
早く刑が執行されますように
投稿: | 2009年5月24日 (日) 16時45分
億さん
丁寧な回答有難うございます。
>被告以前の容疑者段階から
なるほど、理解しました。
でもやはり、それが出来ないのが現状だとも思っています。
死体損壊罪について
億さんと明確な議論が出来るトピックで少し嬉しいです。(不謹慎でしたらごめんなさい。)
私は死体損壊罪について、億さんとは全く逆の考え方を持っています。
まず第一に、私は法律の制定には感情や宗教観を排除する姿勢が正しいと思っているんです。
死体損壊罪の意義は主に「死者に対する冒涜であり、遺族感情を踏みにじる行為」だと思っていますが、
これってかなり宗教観念や感情に偏ったものですよね。
感情的な側面では当然ながら億さんの述べられるイメージを否定する弁は持ち得ませんし、誰もが肯定する所でしょう。
私自身、死後にバラバラなんて嫌ですし、私は無心論者の立場でも死んでしまえばそれまで、宗教的立場で考えても私を殺した者を恨み彷徨いたくないとの思いから、社会責任を放棄して自分の事だけを考えれば犯人なんて捜さなくてもいいから司法解剖も勘弁してくれと思っています。
(むしろバラバラより司法解剖の方が嫌です。だって顔の原型さえ止めないほど解剖されるんですよ?ぅぅブルブルっ)
がしかし、そう言った感情論や宗教観念を排除し、合理的に事件解決に役立たせるのが司法解剖であり、これは正しいと思っています。
ただ、司法解剖に合理性を認めた以上は、死体損壊罪でも感情論や宗教観念を排除した合理性を求めないと整合性は取れないと思っています。
死体遺棄罪は社会形成に必要不可欠なので必要ですが、死体損壊罪の存在は非常に疑問です。
もっとも礎となる部品議論を経ないでこんな事言っても受け入れられる人はまずいないだろう事も承知の上ですが。
もちろん、殺人→バラバラなんて無い方が良いと思っています。
しかしこれは法律改正の運用面の問題だと思っています。
私は昨今の殺人事件を見て、億さんの言う所の「目的」は殺人と損壊、共に同じ所から来るケースが多いと思ってます。
例に挙げられている神隠し事件などは正にそれで、本来の目的は「拉致監禁」だったはずなんです。
それがなぜに「殺人・損壊」と言う目的を持ち得たのかと言えば、一重に「社会制裁、刑罰制裁」を怖れたからに他なりません。
暴論を言ってしまえば、もし「拉致・監禁」が軽犯罪として扱われ、公になる事も無く、社会がそれを許す社会で有ったならば、被害者は殺される事も、ましてやバラバラにされる事も無かったと思えます。
これは全ての犯罪に言える事なのですが、ひき逃げなども厳罰化されず逆に刑罰が緩和されれば、誰だって他人の命の尊さは知ってるのですから逃げないで救命活動をするケースが大多数を占めると思っています。
しかし、人は他人の命の重さを知っていても、己の保身が一番大切なんです。
厳罰化すればするほど保身に恐怖が沸き起こり人は「逃げる」「殺す」「解体する」んです。
なので、この辺は法律の厳罰化の流れと言う世論を反映した運用、国としての国民のリテラシー形成に於ける運用に問題が有ると思っています。
極上の理想論を言ってしまえば、法律だけ有って刑法の無い世界、刑法が無くても問題ないリテラシーの形成です。
それを目指すべきだと思っているのですが、厳罰化と言う逆方向に世論は向かっていて残念な思いです。
さて、それらの前提の元、全ての法律が合理的になれば福島県で起きた死胎分離埋葬事件などは問題ない事になり、人道的に正しいと思える様になります。
正直、これなどは司法解剖以上に許されるべき行為だと思っていますので。
なまじ法律が宗教観を持つと、それに縛られる人々の宗教観を否定し、いらぬ「罪」を形成する事例だと思います。
土建屋40才さん
私は上の億さんへのレスを読んで頂ければ分かるとおり冷徹な思想の持ち主です。
なので、余り感情的で暖かみの有る返答は出来ないので申し訳無く思いつつ、お返事致します。
私に取っての命の定義は哲学的に言えば「自然現象や物理法則を利用して自力で活動出来る物」です。
なので、この観点では有機生命体はおろか地球や宇宙も命を持っている事になりますし、私はせんずり一発で3億の命を殺しています。
が、法的観点では違う定義であるべきだと思っていますし、現に違いますね。
別にせんずりしても3億の命を犠牲にした!なんて動物保護団体から抗議は受けませんし、害虫を殺しても文句を言う人はいません。
全ての命は「知性・感情」の有無を礎に語られます。
よって機械的に述べてしまえば「脳」が命だと思っています。
そして、その脳活動を根拠に、「命の尊さ」や「人権」「動物保護」が唄われる訳です。
これは非常に意義有る議論で、司法界の方々も是非再考願いたい事なのですが、バイオケミカルな視点での命の定義はもう限界だと思っています。
ちょっと専門的な話になりますが、脳細胞は基本的にトランジスター集積回路と同じです。
ただトランジスターの結合方法がPCと脳に違いが有ります。
しかし、昨今のPCの大容量化のお陰で脳の集積回路をシミュレート出来る可能性も出来て来ました。
つまり、事故で救命が不可能な時に、電子頭脳に記憶や感情を移植してアンドロイドになる可能性です。
これは更に言えば、生きながらにして自分の思考をもつPC(頭脳だけクローン)も可能になりますし、
更に言えば、人間と同じ感情・知識を持つAIの登場も意味します。(これが真っ先だと思いますが)
この時に、人間と同じ知性・感情を持つ機械に対してバイオケミカルな視点では命や人権の認定は不可能です。
(これは自分がアンドロイドになったつもりで考えて下さい。)
いつもの様に事後問題対処になっては、またしてもつぎはぎで不合理な法律になりそうなので、今から検討して欲しい事柄です。
これは多分、前述提示した部品レベルの幾つかを否応なしに考えさせてくれるトピックだとも思えます。
投稿: Toshi | 2009年5月23日 (土) 22時51分
Toshiさん。
細分化して部品レベルから議論する事に関して思う事があったので投稿します。
?マークの下の方に書かれている「命の定義」って何?についてですが。
死刑存廃論の議論をとことん煮詰めて行けば最終的にはこの定義を無視出来なくなるような気がしております。
要するに、宗教観・有神論・無神論、死後の世界。
私は人は死んだらそれで終わりだとは思っておりません。
死刑を受け入れる事で罪を清算出来るのでは?と心の片隅で考えております。
しかしこのての議論は、証明のしようのない不毛な議論になりそうなので投稿を迷いましたが・・・・
Toshiさんはどのように考察されますか。
スルーされても結構です。
投稿: 土建屋40才 | 2009年5月23日 (土) 19時25分
Toshiさん。
>「そうしない被告は悪いのだ」ではなく被告以前の容疑者段階から、普通に防御するべきだ…といった方が伝わるでしょうか。
下手に否認して心証を悪くする慣習以前の問題として思ってます。
ToshiさんのHPは拝見してません(スミマセン)英火さんの紹介URAも閲覧してません(スミマセン)
死体損壊について。
私は全ての犯罪行為に正当化されるか否かは別として理由があると考えてますので死体損壊は文字通り殺害後の事後行為じゃないですか(稀に損壊目的の猟奇殺人もありますが)
なので、人を殺害する行為に理由があり目的遂行のため残虐になったとしても損壊する『行為自体』の方が残虐非道に思います。
行為を分けてイメージすれば、狂気の度合いもわかりますよね。
ですが事案によっては遺棄を量刑に左右されないからという理由で不起訴にしたり、損壊は遺体を隠して持ち運ぶ為の咄嗟の手段と認定する判決などは、実は遺族感情を逆撫でしているのに職業裁判官の認識の本質がズレているから星島被告の1審判決文が書けるのだと思ってます。
投稿: 億 | 2009年5月23日 (土) 18時23分
Toshiさん(5月23日(土)13時52分)へ。ありがとうございます。掲示板の趣旨からあまりはみ出さないようにできるだけ気を付けてみます(^^;
投稿: 英火 | 2009年5月23日 (土) 17時10分
最近思う事は、死刑の賛否を感情的に語る前に、死刑賛成派同士、死刑反対派同士でももっと議論が有っても良いのでは無いかと言う事です。
存置派とか撤廃派とかひと括りにして議論される事が常ですが、個々の人々は微妙に言う事が違いますので、良く見かける風潮を指摘してもそれは全体を現しているとは言えず不毛なやりとりに発展するケースが多いと感じます。
そう言う意味で、もっと死刑存置派の方々にもこの掲示板で活発になって貰いたいと思います。
お互いの派閥同士でコンセンサスを煮詰めた上で対決(良い言葉が思いつきませんでした)すると議論がもう少し進展するのかなぁ・・なんて思いました。
建屋40才さん
余談ながら、確信は全く有りませんが、私が思うに林死刑囚はそうそう滅多に執行されないと思いますよ。
比較的、裁判に於いて誰の目から見ても「黒」確定であり、本人も犯行を認めており、且つ、判決後も無罪主張をしていない優等生から率先して執行される傾向が強いと思っています。
たまにその時々の大臣によっては再審請求手続きの動きを察知して早々に執行する強引な人もいる様では有りますが。
億さん(やや長文です。)
どうも話が噛み合わない様です。
私も億さんの仰る事は間違っていないと思っていますし、被告となる人が皆、その様に対応出来れば全く問題も感じません。
(とまで言ったら極論ですね、それでも尚問題は山積みだと思っていますので。しかし被告の有るべき姿勢と言う点では全く同意しています。)
ただ、億さんの発言からは「そうしない被告が悪いのだ」とも受け取れますが、その点は異を唱えたい所です。
また、億さんの発言は「無罪の冤罪」を前提として語られていませんか?
私が懸念しているのは主に量刑不当などです。(むろん無罪の冤罪や部分冤罪も込みですが)
そして億さんが問題視している
>そして職業裁判官の心証主義によって死刑と無期懲役刑の境界線が違うこと。
を私も前提に置いています。
ご理解頂きたいのは、私は根底として「いじめ根性=魔女狩り姿勢」を問題視する姿勢をこの板では取っています。
被告は真実に基づいた罪が認定されるべきであり、必要以上に悪人化させる必要も必要以上に罪を軽減化させるのも好ましく無く、
しかしながら現在の法廷・検察・メディアに必要以上の悪人化(魔女化)をする傾向を鑑みての発言でした。
乱暴に言ってしまえば、検察やメディアは裁判官や民衆に対して「我々はウルトラマンであろう!そして被告は怪獣なのだ」と言うレトリックプロパガンダを展開していると言う事です。
いじめの基本は相手を人間として認めず、「悪人」と言うモンスターを作り、自分はウルトラマンになる心理ですから。
そう言った風潮が厳罰化を叫ぶ人を作り、死刑を叫ぶ人を作り、いじめを正当化させる人を作り、犯罪を犯す人を作る負のスパイラルを形成していると思っています。
何度も言う通り被告には「責任と罪」は有っても「悪は無い」と思っています。これは言い換えれば、被告にも「正義」が有って然るべきだと言う事です。
人は、自分の「正義」は認めても「悪人」の正義は頭ごなしに否定します。(と言うか、意識すらしません)
つまり、相対価値の存在をないがしろにし過ぎていると思うのです。
この辺は学校などでのいじめ問題に直結する心理ですし、それは死刑を叫ぶ人の心理とも直結していると思っています。
話が更に脱線しますが(^^;
例えば高校生が新型インフルエンザを持ち帰った際に罵詈雑言の苦情が大阪市に殺到したニュースはご覧になりましたでしょうか。
私はこのニュースを見て、ここで罵詈雑言を浴びせる人は死刑を叫ぶ人と十中八九一致すると確信しています。
ちょっと話が膨らんでしまいましたが、かの私の発言はそれらの前提の元、検察の姿勢と現行裁判の在り方を問題視したものでした。
何が言いたいのかと言うと、世論形成と言う問題を踏まえての発言でも有ったと言う事です。
話は変わりますが、私の琴線に触れる話題を提供して下さいました。
死体損壊に付いてです。これは私のHPでも良く語ってる部分なのですが、ご覧になられた上での発言でしたか?
いずれにせよ、なぜその様に思うのか教えて頂けると嬉しいです。
@さん
アドバイス感謝致します。
なるほどと思える部分、難しいと思う部分、そうしてるつもりなんだけどなと思う部分、そうは思えない部分、色々と混在していました。
(特に、@さん投稿後に投稿した私の発言を見て頂ければ分かるとおり、私はもっと細分化した議論をすべきだと思っていますので、この辺は中々譲れない所だったりします。)
しかしながら、アドバイスは真摯に受け止めて今後も考えて行きたいと思います。
アドバイス本当に有難うございました。
英火さん及び@さん
私の問いかけにお応え下さり有難うございます。
英火さんの思想はほぼ私の物と一緒だと思っていますし、むしろ私の伝えきれない思いをいつも代弁してくれていると思っています。
「犯罪者も自分の家族、被害者も自分の家族」などは的確な代弁でした。
また、全くの余談ですが、私はメディアの悪質性は既知の前提で書く面倒くさがり屋なので、以前51さんが書かれていた様にメディアの罠に新たに気付いた人や英火さんの様に、まだ気付いていない人向けの丁寧な書き方も私の代弁となり感謝する所でも有ります。
@さんの本能に関する投稿も、全く同意致しますし、本能を語る際に重要視すべき側面を述べられたとも思いました。
が、ご両人には、私から話を振っておきながら非常に申し訳無いのですが、私はこれらのトピックをこの掲示板で展開するのは無理だと思っているんです。
それぞれ個別のトピックだけでもスレッドの一つや二つは必要な物だと思っていますし、また死刑の是非までたどり着くのに何十年も掛かかるかも知れない手法だとも思っています。
もし私の主旨に賛同頂けるならば、それらの観点を踏まえた視野でこの掲示板の話題に触れるとまた違った発想が得られるかも知れませんし、一番望む事はそう言った議論を展開する以前に、そう言った所から見直そうとする風潮を作る事です。
もちろん私のそう言った願いを汲んだ上での発言だったとは思いますし、それは非常に嬉しい事でも有りますが、まずはもっと単純な啓蒙活動から入って頂けると更に嬉しく思います。
投稿: Toshi | 2009年5月23日 (土) 13時52分
土建屋40才さん。
私が勝手に執行予想をしないようにしてるだけで確定死刑囚→執行早い
死刑囚→再審請求中
元死刑囚→執行済み
と区分して考えてます。不謹慎かどうかは判らないです。
ただ第三者は死刑判決と執行を別ジャンルで括りがちですが、当事者関係者には確定から執行までの相反意志が対峙し続けていると思います。
不謹慎コメント連発の私ですが、これでも被害者遺族には配慮しているつもりです。
投稿: 億 | 2009年5月22日 (金) 22時53分
億さん。
「2年位で執行・・・」の発言は不謹慎でありました。
加害者家族にとっては辛い言葉でありました。
それと
特定の事件を語る事はささいな言葉でも実に重たく影響してしまう事をあらためて感じています。
投稿: 土建屋40才 | 2009年5月22日 (金) 21時09分
>人間の本能って何? について、私は以下のように思います。
「○○をしたい」という欲だと思います。
殺人犯は故意だったならば「殺す」というより「殺したい」
という欲を持ち行動していると思います。殺人欲?というのでしょうか。とにかく欲があって人は生きています。
食欲、性欲、物欲。それらのものが生きる糧となって生活していると思います。
ローマにコロッセオという巨大な競技場があります。
バチカンにもフィレンツェにも名だたる都市には競技場が存在しました。
その時代の支配者が民衆の不平不満を解消するため、ライオンなどの猛獣と死刑囚を戦わせたり、またはグラディエーター同士を戦わせて死者が大勢でました。
民衆はそれを見るのが快感で、政事への不平不満をあまり言わなくなりました。
何をいいたいかというと、人間には残虐性が少なからず秘められており、うーん、話が脱線するしすごく長くなるのでやめます。
とにかく本能とは「~したい」だと思います。つねにある渇望ですか。
投稿: @ | 2009年5月22日 (金) 21時07分
昨夜の万年筆(狭山事件)の件ですが、「この万年筆は細字なのに、脅迫状で文字を訂正した部分は中字の万年筆で書かれていた」とする新鑑定が提出されたと今日付けの日刊スポーツが報じています。「捜査機関が証拠を捏造(ねつぞう)した可能性がさらに高まった」と弁護団も勢いづいています。再審請求が認められればいいですね。それにしても扱いが小さい…ように思います。
投稿: 英火 | 2009年5月22日 (金) 21時02分
Toshiさん(5月22日(金)07時46分)へ。改めて問われるとどれも難しい問題ばかりですが、「罪を憎んで人を憎まず」についてできる範囲で書いてみます。
思うに犯罪発生の原因は、若干の生来的要因と残りは社会環境です。そうであれば極端な話、犯罪被害の責任をすべて社会に負わせることも考えられます。ではなぜそうしないのか? それは、"個人責任の原則"も社会環境の一部を構成するからだと思います。善悪の判断ができる人間に一定の責任を負わせることは、ルールを守らせる強制力として機能するからです。以上を簡単にまとめれば、人を憎んで刑罰を科すのではなく、罪を憎むからこそ刑罰を科す、という話にたどり着く…はずです。
もっと感覚的に書けば、犯罪者と私たちで敵と味方に分かれるのではなく、「犯罪者も自分の家族、被害者も自分の家族」と考えれば、いろんな意味でわかりやすくなるかもしれません。
投稿: 英火 | 2009年5月22日 (金) 20時36分
億さん(5月22日(金)15時17分)へ。思うに、主観的に考えれば人の命は地球より重いはずです。命を落すのは、世界を失うのと同義ですから。そして、自分の命より重い他人の命もたしかに存在します。他方で、「死んだ方がせいせいする」「むしろ死んでほしい」と感じられる無価値な他人の命も存在します。人類の歴史を振り返れば、人命が平等でなかった時代の方が圧倒的に長いです。昔の殿様は些細なことで農民を手討ちにしていました。
そうした長い時代を通過した後に、平等主義の考え方(「国家は国民を平等に扱え」という原則)を私たちは知りました。ただ、なんの前提もない方がこの思想に拒否反応を示すのはむしろ当然かもしれません。感覚的には「人命は不平等」の方が私たちにしっくりくるはずです。
しかし"一億総殿様"に陥らないために、その日常感覚を敢えて否定したところに人権論の意味がある、…と私は思います。私たちは、感情をそのまま行動に移すのが本当に良いことなのか、一呼吸置いて考えてみる習慣をつけるべきなのかもしれません。っていうか、釈迦に説法もいいところですね。自分でも誰に話しているのかわからなくなってきました。
投稿: 英火 | 2009年5月22日 (金) 20時34分
土建屋40才さん。
執行予想はしないと決めている私ですが…
林確定死刑囚の場合は、当局は最低1回再審請求理由が無いにも関わらず再審請求書を待ちますよ。
検察も執行指示書を子供が成人するまで作成しないと思いますよ。
僅かの批判さえ交わすように入念、緻密に企図しますよ。
投稿: 億 | 2009年5月22日 (金) 19時54分
英火さん。
確かに職業裁判官の死刑ありきの予断は否めないですね。死刑廃止論者の私でさえ、その確定判決にメディアのクローズアップ抜きで予見がつくのも事実です。
そして職業裁判官の心証主義によって死刑と無期懲役刑の境界線が違うこと。
これが私の死刑廃止の土台です。等価値である命を人が人を裁いて、その命の与奪権が公平でなく、人により違う点です。
例えば、性奴隷の星島被告の1審判決文(求刑死刑・無期懲役判決)などは判決は判例的に妥当としても疑問符がつきますね。
いちいち憤っていると私の場合は、この国の良い部分を忘れて住めなくなってしまうので…疑問符までで抑制してますが。
話材は違いますが死体損壊は重度に量刑に反映するべきだという私見を持ってます。
投稿: 億 | 2009年5月22日 (金) 15時17分
Toshiさん。
私が思うには刑事事件の被疑者、容疑者になること自体、そこに理由があると考えています。
(痴漢冤罪は難しいですが、その事に対して当局長官が異例の捜査倫理観をコメントしてます。話しが膨らみますので、この捜査手法については留めます)
ましてや勾留手続きを得て起訴されて抗告も棄却されて、前科1犯被告になる人は判例的に相当整合性のある人物、公判維持できる客観性が少なくともある実証できる人物とみてます。
これは逆を言えば公判維持が困難な人物は起訴されないという点で、日本の被告の有罪率が示されていると思いますし、同時に冤罪発生の根源にもなっていると思いますが、これも『キッチリ否認』の話材から外れますので留めます。
それらを前提に、例えいたずらに逮捕されたとしても否認主張して自らの権利を守るべきで真実を語るに知的精神障害者事件は別として、一般的に知識は要らないと思ってます。
投稿: 億 | 2009年5月22日 (金) 13時33分
しかし和歌山カレー事件は素人の私からみても、強引な死刑確定判決に見えます。
多分、2年位で執行されるのではないでしょうか。
マスコミも事件当時、公共の電波を使って世論を誘導するような不公平な取材を展開してましたよね。
私自身は林死刑囚を擁護するつもりはありませんがこの事件に関しては「魔女狩り」的な流れが露骨に感じられる事件だと思っております。
投稿: 土建屋40才 | 2009年5月22日 (金) 09時43分
億さん
>キッチリ否認すれば良いと考えています。
それは億さんだからそう思えるのだと思いますよ(^^;
被告となる人々の認識レベルは千差万別ですから、中には検察の高度なレトリックゲームを回避しつつ否認すべき事を否認出来る人もいるとは思いますが、多くの人はそれが出来ないのが現実だと思っています。
>一般的に量刑を安く、心証を良くしようと思うから検察立証技術に隙を突かれて
これも検察のレトリックスキルが高い事からやむを得ない点だと思えます。
検察はそのレトリック技術でまず被告に「これを認めないと心象が悪くなる」的な脅迫観念を抱かせ、
どんどんと被告に矛盾証言をさせる様に誘導した上で矛盾を突くレトリックを更に展開する魔女狩り姿勢は如何ともし難い物です。
逆に余談ながら、日本の弁護士はレトリックスキルが弱過ぎるとも思っています。
がしかし、そもそもレトリックゲームで裁判が成り立つ事自体が司法界のリテラシーの低くさを感じる部分です。
まぁこれは米国を始めとする世界的な風潮なので問題は難しいのですが。
裁判ネタの洋画などでも弁護士がレトリックを駆使する姿をカッコ良く描いていますしね。
英火さん
そうですね、以前から英火さんの主張は本質的に私と同じだと思っています。
ただ私の言う所の「魔女狩り姿勢」は「いじめ根性」とほぼ同意で使っています。
つまり、真犯人で有っても無条件に「悪人化」させる心理、必要以上に「悪人化」させる心理です。
実は私、いきなり死刑の是非の議論をするのは世論リテラシー的に無理だと思っていまして、そもそも
人間の本能って何?
モラルって何?
常識って何?
平和って何?
平等って何?
自由って何?
人権って何?
善悪って何?
差別って何?
迷惑って何?
いじめはなぜ起るの?
恨みや悲しみの心理システムはどうなってるの?
命の定義って何?
などの部品レベルから議論を開始しないといけないんじゃないかなと兼ねてから思っているんです。
それらのコンセンサスを得た上で、じゃぁ現行の法律は正しいの?となり、法律の是非についてのコンセンサスが得られて初めて死刑の是非に持って行かないとダメな気がするんですよね。
現行の法律は先人たちがこれらの部品レベルのコンセンサスを経て法哲学を構築して出来たものですし、私個人的には8割がたが納得出来るもので有り、2割がたは納得出来ないものです。
が、それらに対する教育が全く無い日本では、根本から議論を始めないと不毛な感情論に終始してお終いって気がしてるんです。
少なくとも人々が「罪を憎んで人を憎まず」と言う近代刑法の原点を心から理解出来るレベルまで法哲学の歴史をなぞった議論の必要性を強く感じますし、
逆に、これらのプロセスを経ないで死刑が廃止になっても世の中良くならないとも思っています。
ハンムラビ法典の引用した上で報復論を正当化させる主張や罵倒を書く人も多く見ますが、これなんかも日本の教育不足を感じる良い例です。
投稿: Toshi | 2009年5月22日 (金) 07時46分
億さん(5月21日(木)14時58分)へ。その辺り、「真実に基づいた判決」では無く「コミュニケーション能力に応じた判決」が下されるというToshiさん(5月15日(金)18時15分)のご意見と共通するところがありますね。ただ、オウム事件など他の重大事件と同じように、職業裁判官も死刑ありきの予断を持っていたと思います。なのでこれを覆すには、推定無罪を超えるウルトラCが必要だったかもしれません(真犯人を見つけるとか)。
投稿: 英火 | 2009年5月22日 (金) 02時15分
連投すみません。
感情論の方も、「それはおかしい」という意見をお持ちなら、ではそのおかしい部分をどうしたらいいか、現在ではどうなってるのかを理解しつつ意見を述べる必要があると思います。
怒ってらっしゃるなら尚のこと、絶対に直していかなきゃいけないことあるはずです。
それには、他の方が詳しく「今の国の法律がどうなってるか」などの説明を書いてくれている内容、または今の刑法などの書物を読むなど、真摯に受け止め考えなければ、一歩先には進めないと思います。
投稿: @ | 2009年5月22日 (金) 00時17分
>もはや、感情的な意見は世の中出尽くしていると思うのですが、それでも尚、心に訴えて世論を変える事が本当に可能でしょうか。
昔からポエムが作れない私には余計に難解な要望ですし、もし可能ならば是非御教授頂きたい事でも有ります。
私は関西弁の方ではありませんが、感情論もあわせもち、なおかつ皆さんの今までの意見に納得されている部分が多々ある者です。
事件が起きた際、どんな事件であれ被害者は傷付き、それに対して現在ではこうなっている、それはおかしいんではないか、だったらどうしたらいいか、考えるだけではなく、実際行動するにしても、どんな方法があるのかということを両派で考えていくのがいいかと思います。
そしてそれらの意見が今までここでさんざん議論されていたとしても、新しく来た方にとって、最近の書き込みでそういう内容が書かれないで、例えばですが冤罪の話ばかりしていたりすると感情的な部分を無視しているように見え、憤りを感じてしまうのではないでしょうか。
だったら最初の書き込みから読んで欲しいとも思いますが、もはや書き込み数は400を超え、今までのくだりを全て新しい方に理解してもらうのは難しく、怒りを感じている方に返答するたびに昔の書き込みを引っ張り出すのも大変なことです。
ですからこれから書く際には、加害者なら加害者のことだけを書くのではなく、加害者側、被害者側双方についての具体案のようなものを書いていけば、攻撃されることは少なくなると思います。しかし大変面倒なことですが。
それは一人の書き込みの中でかならず二種類の事柄を書かなければいけないといってるのではなく、ひとつの議論に集中するとその他の事柄がどうでもいいのかという中傷をうけるので、議論がひとつの内容にかたよらない、というようなことを気をつけていけばいいのかなと思いました。
例えば今は加害者のことばかり書かれていますので、被害者のこととして、被害者は実際なにが毎日の生活の中で傷ついているのかとか、マスコミの心無い報道が原因なら、どうしたらそれはなくなるのかなどの具体案を出すとかそういうことが書かれるとまた違うのではないかと思いました。
つまり全体を考えた上で、今はこの内容について議論してますってことが伝わればいいんではないでしょうか
かくいう私が書き込めばいいって話ですよね。
でも私はあまり議論に参加せずに読ませていただいてます。
Toshiさんが真剣に心に訴えて世論を変える事ができるならばと思われているようなので、コメントさせていただきました。
あくまでひとつの案として受け取ってください。
投稿: @ | 2009年5月22日 (金) 00時09分
すみません。確認を怠ってURLを間違ってしまいました。
名張毒ぶどう酒事件:歯型鑑定
http://www5a.biglobe.ne.jp/~nabari/mujituda-1.htm
狭山事件:被告人宅で発見された万年筆
http://www.bll.gr.jp/sayama/syutyo-396.htm
投稿: 英火 | 2009年5月21日 (木) 19時48分
そもそも、DNA保存されていない再現不能な鑑定結果を裁判の証拠としてよいものか、私は疑問に思います。なぜなら、鑑定結果をでっちあげる可能性さえあるからです。そんなことがあるわけない、と思われる方も多いかもしれません。そこで捜査機関や公的機関の証拠捏造が疑われる事例を探し回ってみました。もちろんこれらを鵜呑みにする必要はありません。私たちが普段目にする報道のほとんどは警察サイドの発表やリークでしょうから、それ以外の情報をということです。
袴田事件:犯人の衣類とその切れ端、裏木戸の証拠写真
http://gonta13.at.infoseek.co.jp/newpage117.htm
飯塚女児2人殺害事件:ジャンバーとトレーナー
http://gonta13.at.infoseek.co.jp/newpage448.htm
名張毒ぶどう酒事件:歯型鑑定
http://www5a.biglobe.ne.jp/~nabari/index.htm
狭山事件:被告人宅で発見された万年筆
節子さん事件:被害者のものとされる指輪
http://sayamajiken.com/html/01/05.html
高知白バイ事件:スリップ痕
http://www.news.janjan.jp/living/0810/0810159503/1.php
道庁爆破事件:モンタージュ写真
http://homepage2.nifty.com/shihai/report/040612shimatani/3.html
横田めぐみさん拉致事件:DNA鑑定
http://shinka3.exblog.jp/1779707
遠藤事件:調書
http://enkoku.soc.or.jp/4-voice/4-1-messages/endou.html
投稿: 英火 | 2009年5月21日 (木) 19時25分
億さん(5月21日(木)00時32分)へ。すみません、誤解を招きました。再鑑定するだけのDNAが保存されていないという話です。仕方がないので弁護団は足立事件の結果を根拠に、「当時の鑑定は信用性が低い」として再審請求する方針のようです。久間さんは存命中すでに再審請求の準備中を進めていましたが、再審に必要な新証拠をおそらくは「当時の鑑定レベルが低いことの証明」とする予定だったのではないでしょうか。もしかしたら、足利事件で再鑑定が認められるのを待って、その結果に賭けていたのかもしれませんね。
Toshiさん(5月21日(木)04時52分)へ。当時、流行病や飢饉で人が死ぬことを受け入れられない大衆は、魔女狩りによって溜飲を下げていました。教会や王様も、被害の責任を魔女に転嫁することで立場を守ってきました。思えば「犯人(らしき者)をとにかくひとり決定してその者に厳罰を」という風潮は、魔女狩りと同じ心理が働いていそうですね。社会科学の発達などによって死刑問題は克服できそうなものですが、先祖返りを起こしているような最近の世論に不安を感じずにいられません。
投稿: 英火 | 2009年5月21日 (木) 19時23分
誹謗中傷を書く人は、何かのストレスを感じ突発的に書いているようにみえます。
皆さんがその後丁寧に色々説明されても読まないんじゃないでしょうか。
吐き捨てるということはその後を考えていらっしゃらないからだと思いますので。
投稿: | 2009年5月21日 (木) 18時45分
2009年5月18日 (月) 21時30分の関西弁名無しさん
どうしうようか迷ったのですが、幾分心に響く物が有ったのでお尋ねします。
>精神異常を言うたら、通り魔は精神鑑定せんでもはじめから異常じゃ・・(以下略)
この辺の主張は受け入れがたいです。
>議論に勝ちたいだけに聞こえるぞ
これに対しては、現在の法律の状況を説明したに過ぎず、それを是とした場合の考え方を提示したまでで、それが正しい事だとまでは言ってるつもりは無いのですが、もしそう聞こえたのなら私の表現不足なので今後気をつけたいと思います。
ただ、他の場所も含めて感じる事は、法律を是とするのか否とするのか明確にしないで話す人が多いと言う事です。
法律を是としてそれを盾に死刑を正義とするならば、やはり司法原則も否定すべきでは無いと思っています。
逆に司法原則を否定し、法律を否とするならば精神鑑定の制度に文句を言えますが、逆に死刑の存在意義に法律を盾にする事には説得力が無くなると思うので。
個人的には不毛な感情論に終始したやりとりを嫌になる程見てきていますので、やはり死刑に賛成だろうが反対だろうが建設的な議論に誘導したいと言う思いは有ります。
>もっとみんなの心に訴えてにたらどうや、
>知識だけでは世の中はかわらんで!!
これが一番心に響きました。
これは私がここで初書き込みをした時にも共感した事柄なのですが、やはり難しいです。
例えばどうしたら良いのでしょうね?
もはや、感情的な意見は世の中出尽くしていると思うのですが、それでも尚、心に訴えて世論を変える事が本当に可能でしょうか。
昔からポエムが作れない私には余計に難解な要望ですし、もし可能ならば是非御教授頂きたい事でも有ります。
投稿: Toshi | 2009年5月21日 (木) 16時00分
Toshiさん、英火さん、横レス失礼します。
新判例適用のカレー事件本件の起訴前の完全黙秘は有効戦術だと思います。
1審でも有効戦術だと思いますが結果的に裏目にでました。確定死刑囚側弁護団はスプリング8が誤算だったはず…この時点から戦術変更して反証しても良かったのかな。とも結果論としては思います。
『なので職業裁判官の前では』無実ならば検察のテクニカルな立証質問の全てに『普通に反証』できると思いますので、キッチリ否認すれば良いと考えています。
一般的に量刑を安く、心証を良くしようと思うから検察立証技術に隙を突かれて墓穴を掘るように感じます。
従って本件の場合は1審もしくはスプリング8登場時点で
『今まで黙秘をしてきたのは、司法警察員、取り調べ正検、マスコミの描いた虚像のストーリーに巧みに導かれる危険性を感じたので真実は裁判でのみ明らかにしてもらえるものと考えてますので供述します』
と言って全面否認していれば…結果論ですが。
本件の場合は特殊戦術ゆえに高裁から供述開始は必至ですが後手に回るのは明らかですよね。
大阪高裁は黙秘権を『しんはんにん』と読むのかもしれないですが…
投稿: 億 | 2009年5月21日 (木) 14時58分
英火さん。
判決訂正申し立てが棄却され死刑が確定した件に付いて、私も非常に憤りを感じています。
被告の証言に関して理論的に有罪性を導いたとは言えない中で、判決は動機が解明されていない事が犯人の認定を左右されるものでは無いと断定するものでした。
これは明かにおかしいです。
心情的にいつもの私の言葉で言えば「魔女裁判化」の推進で有ると思っていますし、マスコミ、世論、最高裁の間で魔女裁判化を加速させる背景に、影にサタニストでもいるんじゃないの?と言いたくなるほど理不尽さを感じます。
以前コミュニケーションの能力の限界について述べ、その際に億さんから「法律の知識の有無に関わらず言いたい事を言えばいい」との反論を頂きました。
この時は話を膨らませるつもりが無かったのでそれには答えませんでしたし、今尚詳細な反論を書くつもりも無いのですが、この判決が一例にはなっていると思います。
被告が仮に真実を語っていたとしても、それが犯行を否認する内容だった場合、又は整合性の取れない矛盾した曖昧な証言だった場合「反省していない」と判断され判決に不利になる理不尽さです。
これもやはり1審では調書に沿った整合性の取れる悪人を演じる傾向が強くなる一因だと思っています。
被告の命が掛かった裁判では特に、否認内容や不明内容を精査して白黒はっきりさせた上で断罪すべきだと思っています。
投稿: Toshi | 2009年5月21日 (木) 04時52分
英火さん。
『東の足利・西の飯塚』ですか。
証拠物件、資料は無くても鑑定人(科警研でしたっけ)の証言と新鑑定結果が別人のDNAならば再審は受理されると思いますよ。
投稿: 億 | 2009年5月21日 (木) 00時32分
敢えて、釣られますけど 『あなたのような人が云々…死刑は是』って人。
どこの存廃議論でも見かける叩きつけ吐き捨てコメだけど…同一人物なのかな。
一辺、言いたかったんだけど、そのあなたの何を指しているのかが、いつも不明ですよ。
また、仕切られた感を持っちゃったんなら不愉快だろうから私には無い顕示欲なので、多分見ない方が良いのではないかと思います。
そもそも死刑志願の最近の通り魔事件を挙げて(宅間元死刑囚の事犯本質は別)死刑是と言うなら死刑の抑止力って何を指すのかって話しですよね。
私は死刑抑止力も冤罪同様に一つの死刑廃止理由にすぎないと考える者ですが。
もっと肝心なことが沢山あるでしょう…
犯罪人引渡条約を締結していない死刑存置国の外国人の凶行が懸念されるから死刑廃止は無理だ。
とか、外患誘致は国家存亡=公共社会の崩壊に即直面・直結するから死刑回避を一考する余地はない。
司法が死刑相当とした犯罪を犯した人物は公共社会から排除しないと、現在の刑事施策が民主主義の上に成り立つ以上、健全な公共社会が形成されないとか。
概念的なものも含めると、もっとありますけど。
そっちにベクトル向けた方が相互に有益だと思います。
投稿: 億 | 2009年5月21日 (木) 00時24分
Toshiさん(5月18日(月)01時42分)の話題から少し外れるかもしれませんが、林真須美さんの事件では、動機が解明されないまま死刑判決が下ったのも納得がいきません。動機を説明できないということは彼女が仮に本当に毒物を混ぜたとして、極端な話、それが故意なのか過失なのか、本人の自由意思なのか誰かに脅迫されたのか等、いっさい明らかにされていないということです。裁判官は、状況証拠や被告人の経歴などから動機を認定する作業を怠ったのではないでしょうか。
投稿: 英火 | 2009年5月20日 (水) 20時43分
特定個人を誹謗中傷する時点でかなり理性の薄さを感じてしまいます。
(特に長文の方は冷静にご自身の書き込みを眺めて見て下さい。突っ込み所満載なのが分かると思います。)
攻撃的な方には犯罪者にならない様に気をつけて頂きたいと切に願います。
さて、嫌味や中傷は流すとして一部「じゃぁ法律を変えないといけないね」と言う意見が有りましたが、これはいいと思いますよ。
少なくとも冤罪の定義を認識した上で「法律を支持する立場」なのか「支持しない立場」なのかを明確にした意見なので主張として正しいと思います。
ただ私はその主張には反対ですが。
冠さん。
そうですね、私もそう思います。
なので、無罪冤罪、部分冤罪、量刑不当を視野に入れて冤罪を語る人とそうでない人の間にいらぬ混乱が起る事が多いのだと思い、ちょっと拘って見ました。
投稿: Toshi | 2009年5月20日 (水) 19時11分
最近この掲示板つまらないよな・・
モグラ叩きしようって待ち構えている香ばしいやつがいるからだな コメントする気もなくなるさ 別に思ったこと言ったっていいじゃん 何いたって関係ないだろ!俺は5月17日 (日) 17時50分に賛成だね そうおもって何が悪いんだ?
ブログ管理者だってセンスのないコメント以外は全部受け入れるっていってるし
Toshiって何者だよ?
お前の言うこと全て正しいのかよ!
お前が法律作ってんのかよ!
偉そうなんだよお前 ここはお前がブログ主じゃないんだぞ空気嫁 お前の余計なお世話が迷惑なんだよ
新参者のくせに勝手に仕切るな
投稿: | 2009年5月20日 (水) 12時12分
>Toshi
じゃー法律変えなきゃいけないね
あなたみたいな人間がいるなら、私欲による人殺しは事実確認された時点で、精神状態の有無を問わず死刑ということにしないとね。
投稿: | 2009年5月19日 (火) 22時36分
先ほどの投稿の2番目のURLがなぜか目次頁に辿りついてしまいます。私が指定したかった頁は、目次で「28 取調技術・かく乱する」の項目です。失礼しました。
投稿: 英火 | 2009年5月19日 (火) 01時25分
そのDNA鑑定ですがたとえば読売新聞は当時、「100万人の中の1人を特定できるほど、精度が高い」などと報じてます。足利事件で誤鑑定が判明した今日と言ってることが全く違います。
それに、菅家さんを支える会のサイトで「足利事件の問題点」「DNA鑑定の問題点」などの項目を読んだ印象が、新聞報道で得た印象とずいぶん違いました。鑑定の精度不足から来た間違いというよりも、日本の警察が抱える構造的な問題…でっちあげに近い感じがします。田園調布資産家殺人事件・元服役囚のブログを読んだときも同じ感想を持ちました。もちろん、本当はどうだったかなんて、本人(被疑者)以外は知りようがありません。それでも第三者が判断を下さなければならないのが裁判の難しさなんですね。昨今は厳罰化が叫ばれていますが、必要最小限の刑罰というものをもう一度見直してみたい気分です。
おヒマな方は読んであげてください。
足利事件の菅家利和さんは無実です(菅家さんを支える会)
http://www.watv.ne.jp/~askgjkn/index.htm
警視庁代用監獄136日間の記録・21(雪冤闘争宣言)
http://blogs.yahoo.co.jp/orisen0706/7825809.html
1番目のURL、「警察庁の運用指針に反した手法」による鑑定等、久間三千年さんの事件と類似点が多そうです。弁護士の間では「東の足利、西の飯塚」などと言われているみたいです。2番目のURL、まず136日間も取り調べが続くなんて、考えただけでぞっとします。もし事件に巻き込まれたときは、下手に口を開くのはやぶ蛇だと思いました。供述はすべて弁護人を通してください、と言いたいところですが…。どうもそういう仕組にはなっていないらしいです。
投稿: 英火 | 2009年5月19日 (火) 01時10分
億さん(5月17日(日)23時41分)へ。毎日新聞によればどうも、「鑑定で資料がなくなり再検証は不可能」だと検察側は言っているようです。本当だとすれば、DNA鑑定の証拠能力の有無が再審請求での争点になりそうです。そしてもし再審請求が認められれば、DNA鑑定抜きで立件できるかを再審で争うことになるのでしょう、あくまでド素人の憶測ですが。
投稿: 英火 | 2009年5月19日 (火) 01時02分
TOSHIさんへ。私も冤罪と言えば無実なのに罪を着せられた人を差すのだと思っていました。殆どの方がそう認識しているのではないでしょうか。
投稿: 冠 | 2009年5月18日 (月) 21時53分
精神異常を言うたら、通り魔は精神鑑定せんでもはじめから異常じゃ、まともな奴が通り魔なんかするか、そんなもん言うてたら通り魔全員セーフじゃ!それと脅されて殺した場合も死刑判決が出ると思うか、極端なことばかり言うたら、話も進まんぞ!!
議論に勝ちたいだけに聞こえるぞ、変えたかったらそうじゃないやろ! もっとみんなの心に訴えてにたらどうや、
知識だけでは世の中はかわらんで!!
投稿: | 2009年5月18日 (月) 21時30分
わざわざ本来は不要な確認のやりとりをしたり、私や億さんが解説染みた投稿をしても板をちゃんと読まないでコメントを投稿する人は如何ともし難いですが(_ _:
2009年5月17日 (日) 17時50分の名無しさんへ
ちゃんと板を読んで投稿しませんか?(^^:
くどい様ですが、再度説明致します。
冤罪と言うのは無実の冤罪と部分冤罪、そし量刑不当と言う冤罪が有るんですよ。
いわば裁判と言うのはポイント制だと思って下さい。
10の罪が有れば死刑だとした場合、9の罪である所を10の罪と認められた場合、冤罪で死刑判決になったと言う事が出来ます。
アキバ事件の場合の様に、明らかに最初から30の罪が分ってる人に関しては、それが冤罪により32の罪が被せられようと余り問題では無いかも知れませんが、それでも冤罪の可能性は有ります。
それは精神状態についてです。
法律では精神異常が有った際には罪を問われない事になっておりますので、仮に精神異常が有ったにも関わらずそれが認められなかった場合、これもまた冤罪と言えます。
これを責任能力の有無と言います。
これには二通りの種類が有り、心神衰弱の場合はポイントが大幅に減点され、心神消失の場合はポイントは0になります。
投稿: Toshi | 2009年5月18日 (月) 01時42分
英火さん、
クマ元死刑囚の代理人が再審請求を準備しているのは私にとり朗報です。
個人的には確定死刑囚個人を擁護するつもりは無いのでクマ元死刑囚の鑑定結果がシロならば支援する。
というのも英国の死刑廃止国の道のりの中で冤罪執行による全面死刑廃止という事例があるので、これは、意味深いものがあると期待します。
クマ元死刑囚の死に意味があるように、どんな人間でも産まれた意味があり死ぬ理由がある。
総選挙前に執行があるかなとみてましたが…
これでは森法相に執行指示書を持っていけないですよね。
もし執行されたら、知らぬは法相だけで事務方のルーティングワークに、めくら判子の最悪法相になるでしょう。
投稿: 億 | 2009年5月17日 (日) 23時41分
冤罪の起こりようの無い、池田や秋葉原は死刑でええんやな、こう言う事件も冤罪の可能性あるやったら、速く犯人さがさなあかんな!!
投稿: | 2009年5月17日 (日) 17時50分
元祖何様さん。
お返事有難うございます。
ご理解頂けているならば結構です。
プライドを傷つけてしまった様子ですみません。
尚、自分は細かい事に拘っているとは思っていませんし、私も一般向けの書き方を普段心掛けてるつもりです。
現行犯の冤罪の有無に付いて拘ったのは、頻発した罵倒コメントを抑えたいからです。
誤った知識を是としたまま話を進めるのは余計な誤解と罵倒を生み出す弊害を感じたからです。
その辺をご理解頂けると嬉しく思います。
>Toshi氏は理解されているだろうか?
元祖何様さんのテーマ自体を否定しているつもりは有りません。
(むしろ私の言ってる事とニアーだとさえ思っておりますが)
逆にそう言った誤解を防ぐ為に、賛辞を述べた上で指摘させて頂いた事もご理解下さい。
投稿: Toshi | 2009年5月17日 (日) 17時01分
Toshi氏へ
不特定多数が読む掲示板において、わかりやすさを優先にし、あくまでも『極端な例』を挙げて、一般的に理解してもらえるように述べただけである。
自分の文章のあのparagraphの主旨が『‘人間が間違いのない判決を出すことは絶対に不可能’それだけに囚われていたら、法治国家はありえない』と指摘している'だけ'であることを、Toshi氏は理解されているだろうか?
‘現行犯における冤罪’についての議論をしていたのなら、貴方の仰るとおりであろう。状況によっては、現行犯逮捕でも様々な不当逮捕・誤認逮捕がある。痴漢冤罪など良い例かもしれない。
逆に、Toshi氏のように、細かい部分に拘っていたのでは、読む人に本来の主旨が伝わらないとは思わないだろうか?
投稿: 元祖何様 | 2009年5月17日 (日) 15時43分
元祖何様さん
お返事有難うございます。
しかしながら、ご返答の内容は「現行犯」の定義ですよね?
お尋ねしたかったのは、その様な現行犯であっても調書の作成→起訴→裁判と流れるならば、冤罪の可能性は有る事の確認です。
正確に言えば、私も「現行犯逮捕であり且つ反則金制度や略式(起訴)手続き制度の範疇」で有れば冤罪はほぼ無いと思っていますが、少なくともここでは「裁判に於ける」が前提の議論だと思っていますので。
土建屋40才さん
署名活動及び30万人以上の署名が集まった事は知っておりました。
社会性改善の観点から言えば、やはりいつも言ってる通り「いじめ根性」とそれを助長する「善悪二言論」「勧善懲罰」「歪んだ人権主義」が諸悪の根源かなと思っています。
マスコミがその様なリテラシーを形成し、社会がその様なリテラシーを持つからマスコミが益々その様な方向性で動く構図だとも思っています。
ここのブログで小田島死刑囚の日記に対するコメントを読んで一番感じるのは「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」です。
もはや、死刑囚のあらゆる行動・思想・家族、全てが「悪」だと考える人が多いのでしょう。
しかし、私は責任比として親の責任の重さや小田島死刑囚及びその親を取り巻く社会に責任の有を感じますが、子供の責任は全く感じません。
被害者遺族が悲惨なのは言うに及ばずで、全ての人が「過剰」に認識している事でも有りますから敢えて言及しませんが、「人の悲しい気持ちを汲む事」を正義と振りかざす以上は、加害者の子供などの気持ちももっと考える社会であるべきですし、現状の世論にそう言った整合性が感じられないのも事実です。
しかし、私個人的には遺族にしろ加害者側家族にしろ必要以上の感情論で考えるのは危険だと考えています。
根本問題から考えれば、やはり「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」が異常なんです。
人々がもっと犯罪者心理を探求し、良くも悪くも「事実」だけをしっかり認識し、その様な事態になった社会的要因を分析し、自らの社会性責任追及を怠らず、また人々の社会教育と犯罪者の更正プログラムの同一性を意識し、客観的に社会を改善出来る様になれば「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」などの現象は有り得ず、加害者の家族が必要以上に虐げられる事も無くなると思っていますし、その様なリテラシーの形成は遺族の心のケアにも繋がると思っています。
極論を言えば、私は個人に対して(犯罪者に対しても)「責任と罪」は有っても「悪」は無いと思っていますし、私が唯一「悪」と考えるのは報復論や命の軽視などの社会形成崩壊や人類が絶滅する可能性を秘めた「思想」です。
つまり社会性こそが唯一の悪だと考えています。
そういった観点から、土建屋40歳さんの感性はとても素敵だと思います。
尚、スプリング8の信憑性に関しましては専門では有りませんのでコメントし兼ねます。
ただ私はカレー事件に付いてスプリング8の信頼性云々は余り問題視しておらず、やはり前述の状況証拠に関する懸念が全てです。
投稿: Toshi | 2009年5月17日 (日) 04時19分
Toshi氏へ
極端な例として、
『現に罪を行い、又は現に罪を行い終った者を現行犯人とする。』(刑事訴訟法第212条)における現行犯人を逮捕すること。を言っただけであるが。
投稿: 元祖何様 | 2009年5月17日 (日) 01時30分
Toshiさん。
返答ありがとうございました。
闇サイト殺人事件に関しましては2月頃に被害者である磯谷さんが生前開設していたブログで母親が死刑を求める署名を募集しておりまして、私はネット上ではありますが署名をした経緯があります。
その後、億さんを始めとするここに集まる皆さんと「死刑」を語り合う中で少しずつではありますが、死刑制度に対する視野が広がり、3ヶ月前と今では死刑制度に対する考え方がかなり違います。「どう違うの?」と聞かれてしまえば表現に困りますが、簡単に感情だけで死刑存置派を選択する事の危険さと浅はかさを学習させてもらった。みたいな感じであります。
カレー事件に関しましては、スプリング8の信頼性についてどのような考察をもっているのかが知りたいところでもありました。それと余談ですが林死刑囚は3人の母親でもあるんですが末っ子はまだ中学生で健気に母親を応援する手紙を大阪留置所に送っている事実を支援HPで見てしまい加害者家族もこれから世間の冷たい目と共に生きて行く事を思うと、なんとか国で保護できないものか。と感じております。
投稿: 土建屋40才 | 2009年5月17日 (日) 00時20分
いま福岡の方で、業務上過失致死傷罪か危険運転致死傷罪かで争われている刑事裁判があります。控訴審では一転、危険運転致死傷罪が認められましたが、問題は報道のあり方です。条文から明らかなように両罪の量刑が異なるのは、犯罪事実に表れた加害者の危険性が異なるからです。そうした観点から争われる分には異存ありません。しかし巷では例のごとく、「遺族の処罰感情を酌み取った」「被害者感情も酌み取る法律であるべき」等の報道がされています。日本は本気で近代刑法を捨て、このまま人民裁判の国に成り下がるつもりでしょうか。
投稿: 英火 | 2009年5月17日 (日) 00時11分
今月のナックルズのひが編集局長の連載にて小田島が過去を振り返りたくないと繰り返し発するくだりや面会の際、精神が狂ってきているようだとのくだりを読ませて頂いて、なんとも言えない気分になった。このブログでは読めない小田島の語り口を読んで、北海道の方言が抜けないでいる事も知った。
投稿: 冠 | 2009年5月16日 (土) 23時35分
実弾さん。
起承転結が起承転承になって終いに起承転起になってますよ。
キーボード叩いているうちに深層心理を叩いてしまってますね。
初コメの意見は、それはそれで弾丸さんの感じることで問題ないと思いますが、何か後ろめたさがありますか?
投稿: 億 | 2009年5月16日 (土) 17時17分
冤罪の門戸が広すぎてコメントできないです。
丸ごと冤罪と部分冤罪と量刑不均衡の冤罪と違う観点からみないと命の境界線における死刑存廃論に繋がらないと考えています。
また、再審請求制度は冤罪のための第4審的制度でもないです。
死刑廃止論者の私が冤罪を、その第一理由に挙げないのは無辜の命の救済はもちろんですが近代刑事行政(割と容疑者取り調べの悪しき慣習は改善されていると思うので)において容疑者になりえる時点で少なくとも客観的整合性のとれた人物であることを言いたいですね。
その客観的整合性なしに逮捕状が直接請求されることはないと考えています。
別件逮捕て自白を待って本件再逮捕の手法は有りだと思いますので、本件容疑者線上に浮上する人が無実であるならば、法知識に関係なく赤裸々に真実を職業裁判官の前で語れば良いと思います。
ついでに代用監獄問題は留置所と拘置所の収監場所の違いだけで、根本的に双方の利害得失には直接影響ないと考えています。
投稿: 億 | 2009年5月16日 (土) 17時08分
億さん(5月16日(土)00時36分)へ。言われてみれば、同じような事件でもマスコミの扱いがずいぶん違います。大人の事情みたいなのがあるのでしょうか。久間さんの事件も「第二の足利事件!!冤罪被害者は処刑済み」ぐらいの感じで連日取り上げてくれればいいのに。
元祖何様さん(5月16日(土)06時46分)へ。人を殺すことへの抵抗感が薄くなっているのかもしれません。「悪い奴だから殺せる」建前だったのに、いつのまにか違う理由でも殺せるようになっている印象を受けます。
久間さんの件について補足です。菅家さんを支える会のHPに「飯塚事件と足利事件」という項目がありました。それによると、明日5月17日(日)24時30分~25時30分に関西のテレビ局で久間さんのことが報道されます。他の局も続いてくれればよいのですが。あと、死後再審という制度があって弁護人がいま、準備を進めているそうです。これはおそらく、相続人が原告ということでしょう。足利事件で結果がシロと出なければご遺族も踏み出せなかったかもしれませんね。
投稿: 英火 | 2009年5月16日 (土) 13時45分
初めての投稿です。
亡くなられた被害者及びご家族の方、関係者の方、不道徳な発言があれば謝ります。
正直このようなブログの存在に驚いています。これが「人権」というものなのでしょうか。
私はずっと死刑存続論者でした。他人の物を盗む者は手首を切られる、殺人を犯したら死刑になる、そんな刑罰が抑止力なる、単純明快な発想です。
最近、死刑執行にはさらに殺人者を生む、ということを知りました。3名の担当官が一斉にボタンを押す、死刑囚を殺す、現実があったのでした。誰のスイッチに電源が入っているか分からないそうですが、指名された彼らは執行前後食事も喉を通らず、法の正義について深く悩むそうです。殺人者になる/なったという感覚は拭えない、事務的に押せることじゃない、という。
自分がその立場だったら……押せません。
さらなる殺人者を生む、という事実を今ごろ知って、私は今、死刑存続論者でも死刑廃止論者でもありません。経費の問題を抜きにして、終身刑論者です。
話は変わりますが…
検察/警察/TVマスコミによる「冤罪」発生の根幹ともいうべき事実です…
皆さんご存知でしょうが…
先日の「朝まで生テレビ」での、小沢・西松建設事件討論でのこと。番組冒頭の「小沢党首は辞めるべきか」の視聴者アンケートでは「約70%が辞めるべき」だったのが番組終盤のアンケートでは「約70%が辞める必要なし」に反転した。そして翌日、同局の「サンデープロジェクト」では…同じ司会者の田原氏は「約70%が辞めるべき」だけを強調し、討論の終盤に反転した事実を両番組に出演した民主党議員も含め、一言も発しなかった。これは田原氏の、或いはTV局の姿勢なのか、TV局に圧力がかかったのか…
マスコミによる世論操作はこうして行われる…
そして「冤罪」はどこで、何故生まれるのか?
(因みに民主党支持者でもありません)
既に小沢氏は辞任しましたが、このような世論操作がある中で裁判員制度が開始されてしかるべきなのかどうか…
浅はかな知識ですみません。
投稿: 51 | 2009年5月16日 (土) 10時07分
元祖何様さん
2009年5月16日 (土) 04時15分の投稿を読んで、個人的に「wikiの様な方だ」との印象を持ちました。
中立的・客観的な視点は素晴らしい事です。
もしかすると、存置派と撤廃派を取り持つのは元祖何様さんの様な中立勢力なのかも知れませんね。
これからも中立的視点で双方の意見に突っ込みを入れたり架け橋になったりして貰いたいと思うと共に、元祖何様さんの様な人だからこそ余計に正確な観点で物事を考えて頂きたいと言う気持ちから一つ懸念を言わせて下さい。
それは、元祖何様さんの投稿で「現行犯に冤罪は無い」と受け取れる記述が有った点です。
これについて私の投稿を読んで頂けてるとは思いますが、一応再確認させて頂きたく、宜しくお願い致します。
投稿: Toshi | 2009年5月16日 (土) 09時48分
億さん
他の類似事件とは例えばどの様な事件でしょうか。
また、私はこの事件の詳細を把握していませんので、億さんが疑問を直接持ち得たソース(ネット閲覧可能ならば)を提示して頂けるとより具体的なコメントを付けられるのでお願いしたいと思います。
ただちょっと思ったのは、「全国振り込め詐欺撲滅集中月間」は少々深読みし過ぎでは無いかな・・と思いました。
死刑判決と言う厳罰判決に於いて詐欺罪の抑制にはならないと思います。
(詐欺罪が死刑適用法ならそうかもとも思えますが・・)
土建屋40才さん
え、また特定事件に対するコメントですか(^^;
えと質問自体は一向に構わないのですが、出来ましたら懸念されている内容と、それに連動するソースの提示をお願い致します。
基本的に産経ライブの様な詳細記事が無い限り無責任発言な傾向が強くなってしまうと思いますがそれでも宜しければ・・と言う断りも入れさせて下さい。
現状私の知りうる範疇で一応答えておきます。
闇サイト事件に付いて
これは裁判官が女性だから・・・と言う見解を私は持っていません。
概要だけを見て疑問に思える点は、主犯認定と強盗強姦未遂罪の適用度です。
ぶっちゃけて言えば、公平性の観点で川岸殺人犯が死刑になるのは納得出来ますが、判決は全くの逆でした。
また、共犯格二人を死刑とする動機付けが少々弱いかな・・とも思えます。
公判のやりとりを見ていないのでなんとも言えませんが、恐らく検察は頭の殴打を残虐性の一環として強調した事は容易に想像付きますし、それが判決にも影響を与えていると思える点です。
しかし、実際の殺害方法は窒息死で有って、頭部の殴打は死体損壊の一環だと思っています。
また被害者が一人で有る事から考えると死刑を選択した理由は社会影響度と遺族感情がメインと考えられてしまい、合理性に疑問が有ります。
(特に事件後の情状及び反省度の観点及び3人の供述の食い違い点が精査されていないとも思えます。)
なので、あくまで概要だけを見た限りでの感想は「納得できない判決」の部類に入っていると言えます。
ただ情事的な犯行では無く「強盗殺人」ですから微妙な所では有りますが。
和歌山カレー事件について
どの様な観点で答えれば良いのか判りかねるのですが、この事件に於いて個人的に一番納得出来ないのは、「推定無罪」の原則がないがしろにされているんじゃないか?と言う点です。
状況証拠だけで有罪判決を導いたのは判例として非常に良くないと思っています。
特に現在捜査されている「舞鶴・少女殺害事件」の様な捜査方法を誘発する判例です。
この捜査方法は最悪だと思っていますので、益々和歌山カレー事件の判決は悔やまれます。
投稿: Toshi | 2009年5月16日 (土) 09時26分
英火氏が指摘されている内容も含め、再審請求制度に関して自分は憤りを感じている。
国家権力による封じ込めとしか思えない。億氏が『まさに闇に葬りたいのが当局の本音』と呟かれた言葉に自分は頷くばかりである。
刑事裁判に建前はいらない。
再審請求が通らない、通さないということは国による背任行為ではなかろうか。
判決を信じて、理不尽な気持ちを押さえられ、強引に納得をさせられてきた遺族に対しても不誠実ではなかろうか?
再審請求が通り、もし冤罪であったら、冤罪であった本人、そして遺族、国民に対して威厳を失うという建前を重視してないか?
公正な判断であると確信するのであれば、現行法におけるハードルを下げて再審請求を受け入れるのが裁判所としての真のあるべき姿勢だと思う。
投稿: 元祖何様 | 2009年5月16日 (土) 06時46分
法学生氏へ
まず、貴方の丁寧な説明、返信に感謝する。
法学生氏の仰るとおり、自分は『冤罪の問題は死刑の存廃どうこうをいうよりは、手続きの上で冤罪を徐々に減らして行くべきである』という主張である。そして法学生氏の言われるように、手続きの不備を改善し、冤罪防止措置を整備したとしても、『現実問題として誤判の可能性はゼロにはできない』という事実がある以上、誤判の可能性視野に入れて、その事実を前提として制度論の議論をしないといけないともおもう。
ここで、(法学生氏に限らず他の人も含め)誤解の無いように一言述べておきたいのであるが、
以前自分は『死刑制度の是非と誤判による冤罪の問題とは別だ。』と述べた。『誤判の可能性を視野に入れて制度論の議論をする』とも述べていて、一見矛盾しているように思えるかもしれない。だが、『冤罪によって取り返しがつかない事態が生じるのは何も死刑に限った事ではない。』と主張したかったので、冤罪と死刑廃止は別に考えると述べたまでである。例えば、獄死した後に冤罪が立証された場合や何十年もの刑期を終えた後に冤罪がわかった場合など、どちらも人生をやり直す時間が与えられないのであるから取り返しのつかないことに変わりはない。
『同じ取り返しがつかない冤罪でも「死刑」と「それ以外で亡くなる」のとでは人為的行為で命を絶つのか否かといった大きな違いがある』と反論されるとおもう。であるからして、終身刑の導入あるいは、法学生氏の述べられた方法『冤罪の可能性がある場合の死刑制度の休止、手続きの問題を解決してから、死刑制度を改めておく』という政策論は検討されていくべき課題だと考える。
自分は、今まで述べられた死刑反対派の意見からも法学生氏の意見回答からも、死刑廃止論には一応の理解をしているつもりではある。
その一方で、死刑存置派の主張も無視できないと思っている。
世間一般で死刑支持が多いのは何故だろう?と考えると、今までもこのブログで議論されてきている、『被害者遺族の応報感情』『量刑に相当する刑罰としての処罰感情』がまず、挙げられると思う。(もう何度もこの件では議論されてきているので省略する。)
次に『死刑による犯罪の抑止力』。死刑による抑止力の有無は、実際のところ確かめる方法がないので、どちらとも言い難い。だがしかし、少なくとも死刑存置賛成派の国民意識の中には、『死刑になりたくないから、人殺しはやめようというブレーキが利いている』、『死刑が存置されていれば抑止力が発揮される。』との考えや意見があり、そして、『死刑賛成派が世論の過半数以上を占めている』という現実がある。それは、即ち、『死刑による犯罪の抑制力』の実際の有無とは無関係に(根拠の有無は重要ではなく)、大勢に支持されていることが大事なのではないのか?と自分は思う。別の表現をすれば『死刑廃止後の社会秩序の悪化』といった漠然とした不安が世論にあるのだと思う。
更に付け加えるならば、法学生氏が自ら論破された、死刑廃止により無期となった場合を想定したとき。『死刑相当であった確定者が出所し、更に殺人を重ね犠牲者をだす。=死刑にしていればこの被害はありえなかった。』というものがでてくる。(実際過去に死刑か無期刑かで争われ、仮出獄後に、再び殺人を犯した事件があったとおもう。)
法学生氏は、『すべての前提として、「冤罪による死刑者をださない」ということ』を優先順位としてあげている。ここは、法学生氏も自ら指摘されているように自分とも意見が分かれる。
極端な話、自分が死刑存置を捨てきれないのは、『死刑の抑止力』によって犠牲にならない人数が、冤罪で亡くなる死刑による犠牲者の人数より圧倒的に多いと思うからである。言い換えたなら、『死刑存置には、冤罪で死刑になる犠牲者がでたとしても制度上しかたがない。』という部分がどうしても付随する。だが、矛盾しているようであるが、自分は死刑による冤罪は絶対出してはならないとも思ってもいる。この、矛盾を解消するために、『手続き上の問題点を解消して冤罪を減らす。』という考えなのである。
現在の日本は死刑存置派が多数を占め、死刑廃止には消極的である。廃止派がどんなに説得しようとも、冤罪を訴えようとも、直ぐに世論が傾くとも思えない。であるから、存置派と存廃派、双方から理解を得られそうな部分から変えていく方法が、案外現実的ではないかと思い『現行システムの問題点を解消すること』を自分は最優先に掲げた。
自分がどちらにもつかない、根底のぐらついている中立派であるが故、わかり難い文章になってしまったことを、最後におわびする。
投稿: 元祖何様 | 2009年5月16日 (土) 04時15分
英火さん。
クマ・ミチトシ元死刑囚は執行も素早かったですね。
執行するなら今しかないと事務方が薦めたのでしょう。
罪名も国民感情受けしますし。
事件は宮崎勤元死刑囚や小林薫確定死刑囚級な割に報道機関が食いつきませんでしたね。
事件現場が麻生財閥の拠点という点は、もし報道規制が敷かれていたならば…と勘ぐりたくもなるほど国民認知度が薄いですよね。周辺住民のクマ犯人論支持は根強かったようですし。
第1次再審請求を起こしてない以上、元死刑囚は居ないのだから新DNA鑑定不一致の結果が出ても公開しないでしょう。
逆転の発想で政府が冤罪執行を認めて執行停止をして死刑制度を本格査問するという意図的流れを作った…
なんてわけないだろうけど、これも犠牲者を出すが死刑廃止の道のりの一つとは考えてます。
なかなか忘れ難き名前ですよね。
投稿: 億 | 2009年5月16日 (土) 00時36分
Toshiさん。
今までのコメントを拝見させて頂きとても読みごたえのある投稿に毎回感心しております。で、私が関心を示して追い続けている事件についての考察を伺いたいのですが。
死刑判決の出た2つの事件。和歌山カレー事件と闇サイト事件であります。
反感を買うかもしれませんが、判決を下した闇サイト殺人事件の裁判官がもしも男性であれば、同じ判決になっていたであろうか。
よろしければ御願いします。
投稿: 土建屋40才 | 2009年5月15日 (金) 21時55分
ちょっと驚きましたが、前述の久間三千年さんが処刑されたのは、足利事件の抗告審で「再鑑定する方向で考えている」との連絡がニュースになった昨年10月17日からわずか10日後のことだったんですね。足利事件が再鑑定されるとなれば、久間さんの事件も再鑑定せざるを得ないだろう、ならばその前に殺してしまえ、という動機があまりにリアルに感じられすぎて寒気がしました。そうだとしてもこの国ではそれが合法なので致し方ないわけですが。
関連新聞記事
http://rorie2006.blog113.fc2.com/blog-entry-288.html
遺族感情を盾に自身の動機を隠す法務大臣臨時記者会見(平成20年10月28日)
http://www.moj.go.jp/kaiken/point/sp081028-02.html
※足利事件:先月20日、DNA不一致の再鑑定が取りざたされた事件です。
投稿: 英火 | 2009年5月15日 (金) 21時44分
Toshiさん。
事件全体においては判決の妥当性はあると思うのですが判例主義において他の類似事件と量刑不均衡だと思ってます。
今月は全国振り込め詐欺撲滅集中月間だけに、当局のどちらが迎合したのかわかりませんが高裁で死刑判決が増えたのは事実です。
弁護側の控訴趣意書は、よくできてると思ったのですが『元リーダー』の肩書きは重く、完全ダメ出しを喰らいました。
投稿: 億 | 2009年5月15日 (金) 19時54分
冠さん。
通りすがり派さんに奮起してもらおうと思ったのですが『論破』という単語が、どうやら不本意な表現と不適切な掲示板の使い方で誤解を与え、予期せぬ波紋になり申し訳ないです。
また眼鏡にかなうかなど上目姿勢でもないです。匿名掲示板なので基本的にコメントが誹謗中傷の類であっても承認されている以上は受け止めてますが、名無しコメは読み捨てて初コメは勝手にスルーしてます。
2回目のコメントから健全な参加姿勢を感じ、そこが質を高める重要な点だと思いますので冠さんの仰る素人感覚は不要に思います。
投稿: 億 | 2009年5月15日 (金) 19時26分
法学生さん
話に割り込む失礼お許し下さい。
法学生さんの意見を見ていてふと思ったのは、冤罪を理由に死刑に反対される方は、基本的に死刑賛成派?と言う事です。
法学生さんは、もし冤罪がこの世から無くなれば死刑賛成ですか?
仮にそうだとしたら、やはり私も死刑と冤罪は分けて議論しないと整合性が破綻すると思いました。
例えば私は「死刑=悪」「冤罪=悪」と思っている人間ですが、法学生さんの主張を見る限り「冤罪により死刑=悪」「死刑=正義」「冤罪=正義」と受け取れてしまうからです。
整合性を取るなら「死刑=正義」「冤罪=悪」とならなければなりませんし、それならば、死刑と冤罪は分けて考えるべきだと思えます。
ちなみに、冤罪について私の意見も書いておきます。
冤罪は「全ての事件」に於いて、多かれ少なかれ必ず発生していると思います。
手続き上の問題が解決する事は有り得ませんし、仮に解決したとしても冤罪は無くなりません。
それは、「人間のコミュニケーション能力の限界」が有るからです。
また、現行の裁判システムが根底から変わらない限り、改善すらされないでしょう。
なぜなら、「被告は法律素人」で有りながら「被告人質問」が有るからです。
また乱暴ながら事実なので申し上げれば、知識や知能の薄い人ほど不利になるのが現行裁判です。
司法倫理をもっと見直す事で多少改善される面も有るかとは思います。
例えば、もっと人間心理や知能を考慮したシステムにするとかです。
前も少し横槍を入れましたが、捜査官は「詳細で具体的で整合性の取れた調書」を作らねばなりません。
被告が幾ら曖昧な記憶しか持っていなくても、かならず作られる調書は正確なんです。
そして検察官は必ず言います。「調書は具体的で整合性が取れているから信用出来る」と。
また、調書の信憑性を語る際に、仮に被告が調書を一部否定したとしても、検察官は必ずこう言います。
「被告は調書作成段階に於いて否定する所は否定しており、その上で作成された調書だから信頼出来る」と。
しかし、現実は「はっきりした記憶が有る部分は強く否定出来るが、曖昧な記憶は流されて調書を書いた」でしょう。
そして、知能が低かったり法的知識が無い被告は必ず1審では調書に沿った「整合性の取れた悪人」を演じる傾向が強いんです。
それが判決に於ける刑罰軽減になると思ってしまうからです。
しかし現実は厳しい刑が言い渡されて後悔し、2審で「曖昧な物は曖昧だと主張しよう」と判断するんです。
それでも現状の裁判制度は1審での供述と矛盾した供述は「後退した発言」とみなされて不利になるだけです。
真実は1審が整合性の取れた「うそ」であって、2審での「曖昧な記憶」が真実で有ってもです。
また、検察官は相手を陥れるプロですから、巧みな言葉や技法を使いますが、素人の被告はその様な技術を持ちません。
しかし、巧みな言葉や技法で結果が変わるとか、被告がどれだけ上手くそれに対応出来るかで結果が変わる事自体が、
「真実に基づいた判決」では無く、「コミュニケーション能力に応じた判決」だと言えます。
以上、元祖何様さんに対して法学生さんの代弁としても構いません。
投稿: Toshi | 2009年5月15日 (金) 18時15分
まったくもう・・・
通りすがり派さん。もうやめていただけませんか。
これで二回目です。私の名前を出さないでください。
私は争うために書き込みをしたのではありません。
何度も書くのが疲れるので省略しますが、
通りすがり派さんはこのサイトにいらっしゃってからは最初に私をおばさん呼ばわりし、それに対し億さんから「デリカシーがない」というようなことを書き込まれ、それから怒ってらっしゃいますよね。かなり前のことなので不確かですが。
つまりことの発端は通りすがり派さんにあります。
他のサイトでは随分億さんをたよりにされていて、このサイトで冷たくあしらわれ、いわゆる「逆ギレ」ということなのでしょうか。
それからは個人に対し怒りのコメントをずっと書いていらっしゃいますね。
しかしここは個人に対する誹謗中傷をするサイトではないのです。人に対し、「殿」という言葉を使われているのでもしかして私よりずっと年上の方かもしれませんが、はっきり申します。
通りすがり派さんのコメントが私にとって一番いやです。
「意見 対 意見」 ではなく、「人 対 人の悪口、または勝手な人の代弁」 になってます。
私は億さんという人に対し意見をしているというよりは、皆さんに意見を求めたのです。そしてそれにたまたま返してくださった億さんのコメントは、「一人の意見」として受け止めてきました。
通りすがり派さんは違うサイトで論破されたということですが、論破されるということは納得されたということではないのでしょうか。勝ち負けではなく。
>ねじ伏せられない意見を投稿すればよいと思いますけど。
あなたのおっしゃったとおりです。もし悔しさが残っているのであれば、ねじ伏せられない投稿をされればよろしいんじゃないでしょうか。
私は何回も申しますがねじ伏せるとかそんなのはどうでもいいのです。納得するところまでいったのでそこまでなのです。理解いただかなくても結構ですが。
とても「低レベル」な書き込みをしてしまいすいませんでした。
投稿: 母 | 2009年5月15日 (金) 15時15分
ももやさん
文句ばかりいってるようだけど、自分の書き込みが他の人の迷惑になっていることわからない?
詩じゃないんだからさ、無駄な改行やめろよ。
書き込み場所は一番下なんだぜ。
投稿: | 2009年5月15日 (金) 05時16分
ももや殿
自分は以前閉鎖された存廃サイトで億殿に論破されたトラウマを持ちます。
論破というコメは自分への億殿の叱咤激励と受け止めてるつもり。
掲示板占拠の良し悪しは管理人の承認コメ裁量にもよると思いますけど億殿は執拗に現状の壁を組み立てるリード技術を持っている。これは以前から言ってることです。
基本虐めっこですから。
同じく母殿も億殿からトラウマと存廃サイトコメの反響恐怖を感じてコメ入れずらいのならば、ねじ伏せられない意見を投稿すればよいと思いますけど。
こういう性質の掲示板は流れ1つで変わりますから、変えてみるようにすればよいのでは。
投稿: 通りすがり派 | 2009年5月15日 (金) 00時29分
憶さんへ。私は以前にもコメントしましたが、この分野にて素人であります。この国が死刑という制度をもつ限り基本は死刑制度に賛成です。殆どの国民が私と同じ考えであると思います。勘違いであったら恐縮ですが、もし、死刑存置派が意見して、憶さんの眼鏡に叶わないコメントは通りすがり派さんに振るということでしょうか?幸いにも私に対して、憶さんは丁寧なコメントを頂いております。残念ながら国民の殆どは死刑や死刑制度に興味がありません。裁判員制度も人事です。死刑廃止や存置の議論の前にいかに国民にこのような現実があるんだと認知させる方が重要ではないかと考えます。罵倒コメントに怒りをぶつけてこのブログから追い出すのも、そういう人達を真面目なコメントを書いて頂けるようにするのも、専門知識を持つ方々しか出来ません。通りすがり派さんが憶さんを煽るのも今までのコメントを見ていれば流れは掴めます。任務を与える、論破されるなど悲しい事はナシでお願いします。死刑廃止存置、恐らく正確は限りなくどちらでもないと思います。とりあえず私は今、国がそう決めているから賛成というその他多数の国民の意見派です。
投稿: 冠 | 2009年5月14日 (木) 22時20分
ももやさん。
余計なお節介かも知れませんが、恐らく特定個人への誹謗中傷にならない様にお気を使っての書き込みなのだとは思うのですが、具体的な指摘をしないのは逆効果かと思いました。
これでは、誰もが自分の何が悪いと指摘されているのか分らず、ただ「非難された」と言う印象しか持てないと思うんです。
私自身も分りません。私の書き方にも落ち度が有ると感じられたのだろうなぁ・・・とは思えますが、では何が悪いんだろう?と正直分りません。
それとも全体の空気の様な物に違和感を感じたと言う事なのでしょうか。
ちなみに私も最近この掲示板にお邪魔する様になったばかりですが、私は特にコメントし辛い空気には感じられませんでしたし、むしろ書きやすかったので参加出来ています。
ですので、個人的には具体的に誰のどの様な発言に対し、違和感を感じるのか具体的にご指摘して頂けると前向きに改善される余地が生まれるのでは無いかと思いました。
億さん
なるほど、判決自体に妥当性を感じないと言うお話でしたか。
4人殺害事件の詳細を知らないので的を射ているかどうか分りませんが、例えば私が昔から主張している事に以下の様な事柄が有ります。(今回のコメと判別する為にですます調を割愛します。)
昨今の「人を殺したら無条件で死刑」「犯罪者には厳罰化を」と言う短絡的な意見が多く有るが、ある種の恐怖を感じる。
人々はもっと司法を理解し、裁判の必要性をもっと考えねばならないのでは無いだろうか。
それは各々の事件にはユニークな事情・背景が有ると言う考察を行う事だ。
最近は短絡的な厳罰化世論を受けて最高裁判断が厳罰化を迎合している様に見受けられるだけに、今の世論に危機感を覚える。
例えば、レイプ事件を例に挙げた場合、レイプした奴はちんちんをぶった切る位の刑をしても良いとする意見を多く目にする。しかも有無を言わさず無条件にだ。
これも背景を勘案しないで厳罰化を叫ぶ危険例として挙げられる。
仮に気の弱いいじめられっ子がいたとする。
ワルのグループに囲まれて、目の前の女を犯せと命令されたとする。
いじめられっ子は泣きながら、ごめんね、ごめんね、とささやきながら目の前の女の子を犯した。
この場合、周りのワル共は「犯罪幇助」、そしていじめられっ子は「実行犯」となり実行犯が一番重い罪を着る事になるが、個人的には整合性を感じられない。
世論が背景を考えずにやみくもにヒステリックになると、益々この様な方向で司法が厳罰化しそうで非常に怖いのだ。
また、強姦罪の正当性、その根拠になる貞操観念の是非に付いて語られた事も無いのだ。
個人的には貞操観念と言う社会通念そのものにも悪が有ると思っている。
と言う物です。
億さんが懸念されている事柄よりシンプルな話になっているとは思いますが、ちょっとニアーな懸念なのかな・・と思いました。いかがですか?
投稿: Toshi | 2009年5月14日 (木) 22時15分
法律の知識もなければ、文才もない私ですが死刑は絶対に必要だと思います。それは簡単にそれだけの事をしたのだから当然、という答えしか出てこないから。難しい事は考える必要はなく、自然に思い、感じる事を私は大事に思いたいです。亡くなられた方の事を考えなければならないと思います。
投稿: ky | 2009年5月14日 (木) 22時10分
ももやさんに同意。
投稿: かつや | 2009年5月14日 (木) 21時47分
元祖何様さんの丁寧かつ的確な答えにフムフムなるほどと思いながら読ませていただきました。
元祖何様さんのご意見は、冤罪の問題は死刑の存廃どうこうをいうよりは、手続きの上で冤罪を徐々に減らして行くべきであるという事でよろしかったでしょうか。
確かに、元祖何様さんが以前挙げられたような手続き上の問題がどんどん解決していけば、冤罪もどんどん減っていくかもしれません。いや、むしろ常にそれに向けて、動き続けるべきなのですね。
この点、私の「手続き上の問題を解決しても冤罪で死刑になる人がいる可能性がある」意見に対して、「そのような実例を挙げてもらわないと」とありますが、かなり難問ですね。
というのも、「手続き上の問題を解決できた法律」というのを想定できないと考えるからです。私が「手続き上の問題を解決しても」といったのは、「暫定的な解決をしても」ということであり、完璧な解決はできないと考え、その点で冤罪の可能性を言ったのもあります。つまり、法律(またそれにのっとった手続き)というのは、常に不完全なものであり、その意味で常に改善していくべきものだと考えていたのです。
例えば、これが完璧な手続法だと示していただければ、冤罪の可能性の実例を挙げれると思うのですが…。私の能力では、元祖何様さんの要求に答えることができません。申し訳ないです。
端的にいいますと、私の考えとしては、すべての前提として、「冤罪による死刑者をださない」ということにあります。
これは、手続きの問題を解決するから待ってほしいといわれても、真の極悪人を死刑にする機会を逸してもいいのかといわれても譲ることができない事柄なのです。いくら社会が正常に機能していくためのシステムを確保するための避けられない犠牲といわれても納得いきません。(この時点で、意見が分かれる人も多いのではないのでしょうか)
なので、死刑の話についての冤罪問題は、「手続きの問題を解決していく上で減らしていく」のではなく、「まずは冤罪の可能性がある場合の死刑制度を取りやめ、手続きの問題を解決してから、死刑制度を改めておく」という考えとなります。(しかし、手続きの問題を解決するということが観念できない以上、そのまま冤罪の可能性のある死刑制度は停止したままとなりますが。)
この点、自分で論破してしまいますと、死刑となるべきだった人は無期懲役になりますが終身刑ではない以上、出所する可能性があり、さらに殺人を重ね、死刑制度があった上での冤罪による犠牲者よりもさらに多い犠牲者がでるかもしれません。
これでは、元も子もありませんね。
しかし、冤罪者を守ったがために、他の命が犠牲になるという以外の場合は、冤罪者の命を何よりも優先して考えるべきだと思うのです。
ここまでが死刑についてのみの話です。以下、死刑制度以外の話をします。
この点、「人間が間違いのない判決を出すことは絶対に不可能’という前提に立てば、極端な話、’現行犯逮捕以外は全員無罪’のような法律にしなければ冤罪者は以いなくならない」とあります。
これについて私は、「人間が間違いのない判決を出すことは絶対に不可能」という前提にたった上で、死刑制度以外の冤罪者は出てもいたしかたないと考えます。いやいや、誤解しないでください。でない方がもちろん、それに越した事はありません。しかし、死刑以外の場合は「冤罪者を出さないために全員を無罪とする」という利益と、「社会システム、ルールの秩序を守るために、(冤罪の可能性を残した上で)刑罰を課す」という利益を衡量した場合、後者の利益を重視するからです。
以上より、私は、命というものにとらわれすぎなのかもしれません。特別視しすぎなのかもしれません。
にもかかわらず、死刑賛成派に傾きつつあるのですから、本当にもう困った子ちゃんです。
長々とまとまりのない文章を書いたこと、お許しください。
投稿: 法学生 | 2009年5月14日 (木) 21時36分
死刑廃止が間違ってる事は明確
投稿: | 2009年5月14日 (木) 20時54分
論破って言い方
おかしくないですか?
別に
死刑反対派と死刑擁護派が
勝ち負け競って争ってるわけでないんだし
そうゆう物言いだと
余計に罵詈雑言の水掛け論とか荒らしが増えると思うんですけど
件の現行犯に冤罪はないっていう論争ですけど
なぜ
ないって確証できます?
逆に
なぜ
あるって確証もてます?
仮定の話でまで決着つくまで
口汚い論争繰り返すのなら
もっと他の人もコメしやすいような
書き方もできるんじゃないでしょうか
掲示板は
今よく書き込みされてる常連の方だけの物ではないですし
言論の自由を以前主張されてた方もいましたが
自由には責任が必ず伴います
一定の人達の自己満足の掲示板にしたいなら他に行くべきかと思います
もう少し普通にコメできる掲示板にしてください
私
最近のコメ見て
無理矢理持論で捩じ伏せる意見が
多く感じます
死刑にも冤罪にも
明確な答えはないと思います
人間が作った法律ですから
矛盾があって当然です
意見を書く事と
勝つために持論で相手を捩じ伏せる違いを
どうか考えてから
コメなさってください
投稿: ももや | 2009年5月14日 (木) 19時49分
Toshiさん。
試していると思われたらスミマセン。
そんなつもりは更々ないですし、丁寧な返答もありがとうございます。
なかなか伝わりにくい部分は私の文才の至らぬ点で歯痒く感じてます。
リーダーに死刑判決と報道されると『あたり前だ』という風潮になっているのであえて…
私は、この事件の一連の分離公判判決で一審の首謀者認定が覆ったことから逆転判決が下されてもおかしくないとみてました。
殺害の経緯はグループ内で作用した集団心理の臨界点突破が要因であると考えてますので、首謀者への逆転極刑が言い渡された時点で被告はリーダーながらも従犯扱いで減一刑されるのではないかともみていました。
投稿: 億 | 2009年5月14日 (木) 16時26分
億さん。
出来ましたら、もう少し論点を絞って質問して頂けると助かります。
また、これまで質問のみに止まっておりますが、少し一方的に試されている感じがしてしまい余り良い気持ちはしませんので、ご自身の見解も述べて頂けると嬉しいです。
取り合えず質問の前提が不明なので、考えられる幾つかの観点で答えて見ます。
まず、事の是非と言う観点では、これはどちらかと言えば「人殺しは無条件に死ぬべき」とする死刑賛成派に質問して頂きたい事柄です。
まぁ、もしかすると「双方とも死んでいいんじゃないの?」って単純なオチしか返って来ないのかも知れませんが。
私の意見は、何度も言うとおり社会性改善の立場から「死刑反対」です。
次に、現行法や判例の範疇で判決が妥当かと言う観点ですが、これは全く問題無い司法判断だと思えるので、そう言う意味では死刑は妥当だと思います。
よって判決を支持し「死刑賛成」です。
そして、本来の質問の前提に有った「本人が望むなら死刑も是か」と言う観点で言えば、私は「本人が望み、且つ誰も悲しまないならば是」と答えました。
このケースに於いては恐らく被告は死刑を納得していないと思えるので、同じく社会性改善の立場から「死刑反対」となるかと思います。
(ただこの事件に付いては産経ライブなどの詳しい情報を得ていないので断定は出来ませんが)
次に法律・判決の整合性と言う観点での話です。
私は元々法律の整合性の破綻を自分のHPや知恵袋の回答などでも主張している人間です。
最近この掲示板でも「教育更正刑と報復刑の混在」が話題になっていますが、この辺も実は昔からトピックにする事が多いんです。
この4人殺害事件に絞って法律・判決の整合性の観点から論じても、かなり語れる自信は有るのですが長くなりますので膨大に端折ります。
まず、主犯格とそうでない人間との区分け、及び刑の重さに対する判断は昔から納得行かない点です。
特に、ライブで状況を良く知る所の痴漢でっちあげ事件などの判決は男性と女性の刑比に全く納得していません。
その様な観点で言えば、無期懲役判決となった者と、死刑判決になった者との違いに於ける妥当性には大きな疑問が有ります。
また、判例の視点でも昨今の厳罰化による判例の変化、そして遺族感情に於ける量刑の違いなどには少なからず違和感を感じていまして、
例えば、現状死刑判断に於いて一人の殺人者<二人の被害者と言う算数的な根拠を持つのならば、4人の被害者<10人の懲役者又は死刑者は整合性が取れていないとも思えます。
逆に、複数の殺人者で有っても二人以上の死亡被害がいるなら死刑は是とするならば、集団いじめによって死に追い詰められた事件に於いて現状、いじめた側を取り締まれない法整備は倫理が破綻しまくりだとも思えます。
その様な観点では、二人に対して死刑判決を下した事に対して正当性に関する疑問は大きく有ります。
投稿: Toshi | 2009年5月14日 (木) 12時35分
死刑反対派の心理こそ犯罪者の心理に近い。
投稿: | 2009年5月14日 (木) 02時32分
通りすがり派さん。
現行犯コメは君が理路整然と反コメにレスしなさい。
それぐらい役立ってもいいんじゃないの。
そろそろハッキリしよう。君が私にへばりつくなら私は任務を与える。
君は私のシカトするであろう罵倒コメを解ってるはずだから理路整然と闘ってきなさい。
まかり間違っても論破されそうな時は原則擁護する。
それが君の死刑廃止派として成長する最短の道だと思うが自己傲慢かな。
投稿: 億 | 2009年5月14日 (木) 01時59分
Toshiさん。
仁侠世界の死刑事件に対しての考えを質問した返答は私にとっては意外な返答でした。
逆に見識の幅広さを伺えもしました。
唐突なその質問の前提が、今回の振り込め詐欺の事件の高裁判決になるわけですが、質こそ違えど基本的には主判決においては、一般人に迷惑をかけていない内輪の事件ですよね。
連赤などとは思想的な趣も違うのですけど独自の連帯意識下での内ゲバ凶行、そこは如何ですか…死刑に値しますか?
投稿: 億 | 2009年5月14日 (木) 01時45分
英火さん。
やり直しの効かない刑罰の為に確定判決をフォローするような再審制度が唱われていることは、最高裁確定判決にも間違いがあることを前提にしているということと理解しましたので了解です。
ありがとうございます。
投稿: 億 | 2009年5月14日 (木) 01時19分
冤罪を根拠にする反対派は冤罪ではない犯罪の事を考えないんだな
都合の悪い事は考えない卑怯者だから論も破綻するのか
投稿: | 2009年5月14日 (木) 00時54分
現行犯、現行犯と投稿してる人。相手にしてもらってよかったね。それとも池田や秋葉の現行犯に冤罪はないことは子供でもわかることだから死刑を認めろと言いたいのかな?この掲示板で冤罪を第一理由として死刑廃止を言ってる人はいないけど。
投稿: 通りすがり派 | 2009年5月13日 (水) 23時26分
調べたところ、例外はありますが再審請求中は法務相の判断で死刑執行されないケースがほとんどです。しかし、再審請求の「準備」中に処刑されたケースは相当数あるようです。最近では2008年10月28日に処刑された久間三千年さんがこれに当たります。皆さんご存知のとおり、外部の人間と死刑囚との連絡はすべて刑務官に筒抜けです。「再審請求の準備を始めたから処刑された」と勘繰られても仕方のないタイミングだったと思います。
そもそも再審請求の直前・直後の処刑は、再審請求することをほかの囚人に躊躇わせる見せしめ効果が懸念されます。確定判決が万一間違っていたら…という後ろめたさを払拭するためにも、再審制度と死刑制度が並存する矛盾は意識していかなければならないと思います。
投稿: 英火 | 2009年5月13日 (水) 19時15分
億さん(5月13日(水)01時07分)へ。レスありがとうございます。言いたかったのは、確定判決の正当性についてです。処刑後に確定判決時の条件が変更される可能性を否定できないと思いました。真っ先に思い浮かぶのは死刑が執行された後に新しい証拠がみつかる場合です。それから435条7項のようなケースも刑事訴訟法は想定しています。それらのケースで受刑者がもし生きていれば、新しい条件下で裁判をやり直すことが可能です。再び有罪判決が下ることもあるでしょう。しかし囚人が処刑された後となっては、あの裁判は本当に正しかったのか?という疑念だけが残りはしないか、という疑問を投げかけてみた次第です。
5月13日(水)03時45分の方へ。制度論として通用しない話はあまり有益ではないと思います。「現行犯だけ死刑」というのは制度上できないでしょう。事実認定の問題はあくまで、無罪か有罪かの局面での判断材料です。あと蛇足ですが現行犯と言っても、裁判官の全員がその場で見ていたわけではありません。目撃者が多いか少ないか、またそのなかに逮捕者(警察官など)が含まれるかの違いでしかありません。植草一秀さんら痴漢容疑の方たちはほとんど現行犯です。
投稿: 英火 | 2009年5月13日 (水) 19時02分
罵倒コメを投稿している方へ
本意では無いのですが、済みませんがしばらく流させて下さい。また以降の私の書き込みは見ないで下さい。
冷静な議論が出来る方へ
罵倒コメを見てふと思う事が有りました。
義烈さんの時にもちょっと思った事では有ったのですが、
罵倒を書く人々をなんとかしてあげるのも犯罪抑止に繋がるんじゃないかなぁ・・と言う事です。
個人的には、やはり彼等は犯罪者予備軍(とまで言うと言い過ぎですが、可能性の大きい人々かな?)だと分析しているんです。
まず、理性の薄さが挙げられます。
恐らく彼らも罵倒する事は人情上、良くないと知っているはずなんです。マナー上も良くない事だと知っていると思うんです。
つまり知っていながらにルールを守れないと言う点に於いて犯罪者に近い特性を感じます。
次に、「我侭性」です。
例えば
>現行犯には通用しない話するな!
などは、言論の自由と言う原則を知っているのかどうか分りませんが、他人の価値観や行動を否定・命令する行為ですし、癇癪に近い物も感じますので、やはり犯罪者心理に近い物を感じます。
そして「知識の薄さ」も挙げられます。
法律や社会ルールなどを知らないが故に、相手を否定してしまう行動です。
例えば、
>現行犯に冤罪ねーだろ
>現行犯には通用しない話するな!
と言う罵倒は、まず、現行犯の定義を理解していないと考えられます。
現行犯逮捕は一般市民でも出来ると言う事実です。
これにより冤罪の可能性は有りますし、現に痴漢冤罪事件などの事例も有りますので、そう言った知識さえ有ればこの様な罵倒は生まれないと思えます。
また、「冤罪」と言う言葉の定義も知らないのでは無いかなとも思えます。これも「冤罪」には「事実以上の罪を着せられると言う冤罪の存在」も有る事を知っていれば、やはり「現行犯だから」などと言う理屈は出てこないはずなので、この様な罵倒を抑止出来ます。
知識が無いが故の怒りの爆発と言うのも、犯罪に於ける類似性を若干感じます。
そして、少なくとも今この掲示板では「冷静な議論が紳士的に行われている」と言う空気が有る程度出来ていると思うのですが、その様な空気を省みない点に「アスペルガー」の気配を感じます。
これも昨今の殺人事件に於ける「犯行の要因」として増えて来ている事柄です。
2chの様な罵倒する人々を減らし、もっと和やかな人たちになってもらう為に、何か良い方法は無いものかと思っていますし、それがもしかしたら犯罪抑止に繋がる社会を作る事の一旦になる気がしてるんです。
彼等をただ黙殺するのでは無く、なんとかしてあげる良い方法は無いものでしょうか?
尚、誤解が無い様に申し上げますが、別に上から目線で言ってるつもりは有りませんし、私自身にも潜在的犯罪者要素は有ると思っています。
なので、逆に私自信をも救ってくれる社会にしたいと言う観点も含まれています。
投稿: Toshi | 2009年5月13日 (水) 18時33分
現行犯には通用しない話するな!
投稿: | 2009年5月13日 (水) 03時45分
反対派は都合の悪い質問には答えない
投稿: | 2009年5月13日 (水) 03時38分
英火さん。
刑訴法435条のコメントの論旨をサラッと教えて下さい。
再審請求は地裁・高裁の確定判決後にもできますよ。
但し、再審請求が棄却された場合の上級審での確定判決棄却に対しては再度、再審請求できないので(436条)自ずと被告は3審で審理した上での最終防御手段となりますよね。
請求理由は335条を含んだ確定判決に対するものなので量刑不当や、判例違反は認められてませんから、確定判決を覆す理由として再審が開始されるケースは435条-2の新鑑定(科学鑑定の進歩)がほとんどですよね。
一応、再審請求中は刑の執行停止となりますが、棄却されても即時抗告ですね。
投稿: 億 | 2009年5月13日 (水) 01時07分
刑事訴訟法の435条(再審請求)を読んでの素朴な疑問ですが、あの条文は死刑制度の存在と矛盾するのではないでしょうか。
大まかに言えば435条は、新たな重大証拠が発見されるなど一定のケースに限って再審請求を認める条文です。刑事訴訟法は、裁判官の合理的判断を信頼し2回の上訴で裁判を打ち切る一方で、裁判当時の前提が後々に覆った場合に備えて再審請求の制度を設けています。言い換えれば、裁判時に提出された材料が何も変わらないまま「あのときの判断はおかしい」といくら訴えてみても、再審請求は却下(門前払い)されるしかありません。
というわけで私が言いたいのは、完璧な審議がされてもその審議の前提ごとひっくり返るケースがあることを訴訟法は認めているのに、裁判の正当性が絶対に覆らないかのごとき刑罰が存在するのはおかしいのでは?ということです。言わば、ひとつの法律に近代刑法と復讐法が混在しているような印象を受けます。
あと、私はつい最近まで、冤罪の疑いさえあれば再審請求が受理されるような錯覚をしていました。普段は法律に縁のない方もできれば検索して、刑事訴訟法435条の条文をご自分で確認していただくようお願いします。
投稿: 英火 | 2009年5月12日 (火) 19時42分
冤罪は死刑廃止理由の一つ
反対派は馬鹿だろ
現行犯に冤罪ねーだろ
投稿: | 2009年5月12日 (火) 16時37分
犯罪には加害者がいて被害者がいる。
もし自分の周りに加害者ができたら、被害者ができたら、私はどんな行動に出るのだろうか。
いろいろ読ませていただきましたが、感情表現だけでいいのだろうか、これが一番に感じました。
死刑囚は黙れ、贅沢しているんじゃない、そんな言い方が見受けられましたがそれじゃぁ書いた周りに加害者ができたら?死刑囚ができてしまったら?
それが身内だったら?
そんな表現ができるのだろうか。
死刑囚にも人権はあります。生きている人間なのだから。誰でもいいです。考えてみてはいかがでしょうか?
投稿: 倉庫番29 | 2009年5月12日 (火) 16時06分
>土建屋40才さん
当ブログの性質上ともすると被害者遺族のことを見失いがちになることもあります。犯した犯罪には被害者がいるという当たり前のことを改めて考えさせられたご意見でした。土建屋40才さんだけではなく、多くの読者の方が気になっていることだと思います。これからも疑問やご意見をよろしくお願いします。
投稿: ブログ管理人 | 2009年5月12日 (火) 14時56分
法学生の書き方は、法学に携わる人にとってはその前提はわかるけど、一般人には、わかりにくいと思う。
法学用語をわかりやすくしてるのはいいけど、もっと誤解のないようにかかな〜。
一般人向けではない。
投稿: 神田 | 2009年5月12日 (火) 14時22分
冤罪は死刑廃止理由の一つであると思いますが、それだけで存廃を決めるのは早計だと思います。
冠さんが仰った点が一番見逃しやすい点で『真犯人を取り逃がす』という、元被告以外にも副次的被害が発生する点だと思います。
ちなみに代表的な冤罪執行事件ではないかということで福岡事件は有名ですね。
例に挙がった袴田確定死刑囚は社会復帰させられない精神状態の報告がされているぐらいですから、まさに闇に葬りたいのが当局の本音と思います。
帝銀の画伯無罪派も731部隊論を推してますし…
少し、議論提起から外れました。
それにしても、通りすがり派さんは…今日、病院に行くことを薦めます。
投稿: 億 | 2009年5月12日 (火) 07時36分
2009年5月12日 (火) 01時35分の通りすがり派さん。
ぅーん、それは困りましたね・・・
私の文章にそんな意図を感じてしまいますか。
私はグローバルな視点ではもちろんながら政局的な点を気にしますが、
この様なローカルな場所を政局的視点で考えた事は無いのですが・・・
私は、存置派の意見や私の意見に対する反論など「原則」歓迎します。
罵倒や感情的なコメントに終始しているものなど意義を見出せない物は流しますが、
実のある意見、特に私を追い詰めてくれる様な意見こそ、私を成長させてくれると思っていますので大歓迎です。
むしろ反論を貰いやすい様に極論調で書く事も多いつもりなのですが・・・
出来ましたらどの辺がそう言う意図を感じさせてしまうのか、もう少し詳しいご指摘を頂けると助かります。
私の意図する所では有りませんので、改善可能でしたら改善したいと思います。
2009年5月11日 (月) 19時50分の無名さん
ご指摘感謝致します。
結構、間違って日本語を覚えている事が多いんです(^^;
最近も「ぼちぼち」が標準語だとばっかり思っていたら「ぼつぼつ」が標準語だと知り驚愕したばかりです。(^^;
お陰様でまた一つ賢くなれました。有難うございます。m(_ _)m
投稿: Toshi | 2009年5月12日 (火) 07時06分
法学生氏へ (続き)
書き落としてしまったので、またしても補足で申し訳ない。
2009年5月10日 (日) 08時04分における自分の発言における『現状の冤罪濃厚の可能性を秘めている死刑囚の待遇』と、『死刑制度廃止された状態での冤罪濃厚の可能性を秘めている死刑囚(元)の待遇』との比較で同一視したのは、死刑存置であれ、廃止であれ、どちらのシステムにしても ’冤罪を減少あるいは消滅させるための改善にはならない’と主張したかったからである。
死刑囚の心情面での比較であれば、確かに法学生氏の指摘のとおり、冤罪の者にとって、執行に怯えるか命が保証されるかでは気持ちの持ちようが全く違う。
どちらの確定囚であれ、『冤罪を訴えて立証する唯一の機会』であるところの再審制度においては、再審開始の機会がほぼ閉ざされてしまっている現状なので、たいした変わりが無いといいたかった。
結局、(何度も繰り返すようであるが)制度上システム上の欠陥、不備、不都合な部分をひとつひとつ解決していくことが何より先決であり、それが出来た上で、初めて法学生氏の質問に自分は答えられるのだと思う。
というか・・法学生氏の質問『「現在の」日本の死刑制度で、冤罪で死刑になることがあるのなら』に対し貴方の知る学者や学生や教授がどのように語っているのか興味があるのだが・・
投稿: 元祖何様 | 2009年5月12日 (火) 05時38分
ブログ管理人さん。
返信ありがとうございました。
考えてみれば野暮な質問でありました。死刑確定囚の手紙を世間に問うという事は世間の関心を引くというメリットがありますが、メリットがあるという事は当然デメリットを生み出しますよね。遺族感情とは死刑制度を語り合う上でもっとも難解な部分ではないでしょうか。
そういう部分の質問をした自分に浅はかさを感じています。
私もコメントに釣られて勢いで投稿した質問だったと後から気付いた次第です。
投稿: 土建屋40才 | 2009年5月12日 (火) 03時06分
法学生氏へ
まず、はじめに自分死刑賛成反対については、論点によって立場が行ったりきたりと、曖昧なので、あえて立ち位置を決めない(決めることの出来ない中立派)ということで、ここで意見を言わせてもらっている。その点法学生氏の『公平の見地から物事が見られなくなっている』という気持ちは、理由はともかく理解できる。
『「現在の」日本の死刑制度で、冤罪で死刑になることがあるのなら(といいますか、あいうるのであるから)、それをどのように考えるのか。』の答えになるかどうかはわからないが・・
まず、自分は、冤罪で死刑になることがあってはならないと思っている。
『冤罪で死刑になることがあるのならそれをどのように考えるのか。』の答えとして、まず、冤罪の起こりうる原因、要因として現行システムの欠陥不備を思いつくまま、前回あげてみた。
自分が挙げた欠陥不備の問題点が解消され、改善されれば、おのずから’死刑求刑,判決死刑’の言い渡しに慎重になり、死刑にかかわる冤罪に関しては最小限度まで押さえることができると思っている。
『元祖何様さんが挙げた欠陥を仮に廃止したとして、冤罪がなくなるでしょうか?』の回答として、’人間が間違いのない判決を出すことは絶対に不可能’ であるから、残念ながら’冤罪の100%根絶’は不可能だろうとおもう。
『したがって、「現在」の死刑制度においては、たとえ手続き上の問題を解決しても、冤罪で死刑になる人の存在があるということになります。そのような人について、どのように感じるかを聞きたかったのです。』この質問に関しては、実際『手続き上の問題を解決して
も死刑になる人』という実例を挙げてもらわないと、可能性として起こり得る漠然とした質問であるので、現時点では誰も答えられないのではなかろうか?
(逆に だから、『死刑廃止という結論に結びつける』ことは簡単なのであるが・・)
’人間が間違いのない判決を出すことは絶対に不可能’という前提に立てば、極端な話、’現行犯逮捕以外は全員無罪’のような法律にしなければ、’冤罪’それ自体はなくならないとおもわれる。当然そのような、雑な大雑把な法律では国の治安は守られないわけで、ならば、『冤罪発生を最小限度にとどめるためには』、といった部分で議論していくしかないのではなかろうか?
投稿: 元祖何様 | 2009年5月12日 (火) 02時34分
最近、DNA鑑定の冤罪問題が話題になったが、すでに事件は時効になっており、結局真犯人を取り逃がしたばかりでなく、罪を被された人は20年近くも拘束されていた。このようなケースの場合、警察や検察はちゃんと間違えました、申し訳ありませんと世間、犯人にされた人、被害者遺族に謝るのだろうか?富山の冤罪とは訳が違う重大な冤罪事件だと思う。このような件があるとやはり現在の死刑囚、すでに執行されてしまった死刑囚の中にも冤罪はあるのではないかと疑わざるを得ない。法学生さんが仰ることは良く分かります。
投稿: 冠 | 2009年5月12日 (火) 02時20分
億殿へ
見事に僅かの期間で廃止派色に染めましたね。死刑賛成派が掲示板で簡単にコメントできない雰囲気を作ってしまうあたりは大したもんです。レス返の絶妙なタイミングと的確な人選。
賛成派の締め出しかたもさりげない。Toshi殿へのレスでabc殿、英火殿とで連携をとりつつ議論を広げていくテクニカル面は死刑廃止論調つくりのMCに相応しい。特にToshi殿とのレス交換と億殿の質問は意図的に感じるものの、それも匿名掲示板の廃止論調リード技術なのだなと学びました。
本当に大したもんです。
アジには笑いましたが。
投稿: 通りすがり派 | 2009年5月12日 (火) 01時35分
>土建屋40才さん
こんにちは。前にいただいたご質問ですが、
その旨を比嘉に伝えておきました。ブログ管理人としましてはシステム的な質問以外はなかなか回答はできませんが、ご了承ください。
朝日新聞に当ブログの記事が掲載されたとき、遺族の見解がのっておりました。参考までに。
2009.3.18 朝日新聞より抜粋
マブチ事件の遺族らでつくる「事件の捜査に協力する会」事務局長は、「ブログのことは知らなかった。自分に同情を集めるような内容なら怒りを感じるが、犯した罪を見つめているのであれば、読者にとっても、このような事件の再発防止を考える機会になるのではないか。そんな内容であってほしい」と話している。
投稿: ブログ管理人 | 2009年5月11日 (月) 23時58分
最近テレビでこのブログの存在を知りました。
今日初めてこのページに訪れて、少し気になったのですが、このブログでは小田島死刑囚から贈られてきた手紙をそのまま掲載する体をとっているんですよね。
僕はその事にとても好感を持ったのですが、それに対してブログ中で使われるフォント弄り(一節の文字の色を紫色にするなどの編集)、これは小田島死刑囚の手記に編集者の私見・思想等を介して閲覧者に伝えることにはなりませんか。
それはこのブログの本来の目的に沿っている事なのですか。
色々と不足で申し訳ないですが、これが僕の第一印象でした。
投稿: | 2009年5月11日 (月) 23時14分
おそらく「死には死を」の名目で死刑に賛成されている方ほど、冤罪問題において死刑という刑罰を特別視せざるを得ないのではないでしょうか。処刑された人間がもし冤罪だった場合、相続人への金銭賠償で済ませることができるのか、それとも私たちの誰かが死をもって償うしかないのか。償いの手段としての死を肯定するなら、私たちだけが安全地帯にいるわけにはやはりいかないと思います。
例を挙げれば、被疑者を長期間に渡って拘禁し取り調べを行う日本の代用監獄制度が国際社会から批判を集めています。法務省の見解と国連の批判どちらが正しいのか私は知りませんが、もし仮に国連の方が正しかった場合、「不当に長く抑留若しくは拘禁された後の自白(憲法38条2項)」として過去の裁判における被告人の自白はほとんどすべて証拠能力が無かったことになります。では、いままでの判決の正当性は?…という非常に怖い現実と近い将来向き合わざるを得ないかもしれません。
投稿: 英火 | 2009年5月11日 (月) 22時11分
>Toshiさん
専門的なご指摘、アドバイスありがとうございます。
自分でも原因がわからず困っていたのですが、これから修正していきたいと思います。助かりました。
投稿: ブログ管理人 | 2009年5月11日 (月) 21時33分
済みません、書き忘れた事が有りましたので、億さんへ追伸書き込みをさせて下さい。
顔文字使用に付いてのアドバイス有難うございます。
基本、私も間違いを犯すことが有ると思いますので、この様なご助言・ご指摘は歓迎致します。
しかしながら、顔文字の件に関しましてはせっかくのご助言ながら、今後も私は顔文字を使う事を皆様に予め宣言して置きます。
当初、顔文字の件は本掲示板の主旨に外れた話題だったので、億さんのご指摘に対する反応を控えさせて頂いたのですが、ある程度この掲示板に沿う回答方法を思いついた為の返信です。
昨今の顔文字使用に対する人々の認識は、戦時中の正義と現代の正義の変移に近い物を感じていて迎合する気になれないのです。
私は「常識」がある種の「悪」だと思っている人間です。
文字だけのコミュニティに於いて意思疎通のトラブルが多発し、顔文字を積極的に使う事が正義だった時代は長いです。
逆に、昨今の顔文字を使う事が悪だとの風潮は歴史が浅いです。
しかし、そんな「風潮・常識」を、私は迎合する気が持てないのです。
私が顔文字を使う理由は、自分の経験則からたまたま昔の「常識」と一致した結論を自ら得たからです。
ましてや、ビジネスと離れた場所に於いては特に顔文字を使う有効性は高いと考えています。
もし私が「風潮・常識」を迎合する人間でしたら、逆に死刑制度反対を主張する事も無い人間になっていたと思います。
風潮・常識の全てを否定する訳では有りませんし、むしろ殆どの物は自分の経験則で得た結論と一致しています。
しかし、中には人々の「魔女狩り」姿勢を助長するだけの物も少なくなく有ると思っています。
また、長年ネットに参加していると、ネットモラルの中には「歴史は繰り返される」物も多く有ります。
一重に「ユーザ間でトラブルが多発しモラルが確立する」→「爆発的にユーザが増える時期がある」→「これまでのモラルが崩壊し、正義と悪が入れ替わる」→「過去と同じトラブルが多発する」→「再度、当初のモラルが確立する」です。
この様な「常識・風潮」が抱える問題は戦争や死刑存廃問題にも大きな影響を与えていると思っています。
ですので、顔文字の件に付きましてはたまたま「迎合不可能な常識」だったのですが、お気を悪くなさらずまた何か有りましたらご助言・ご指摘の程、宜しくお願い致します。
投稿: Toshi | 2009年5月11日 (月) 21時13分
元祖何様、とあともうひと方、返答ありがとうございます。
確かに冤罪の存在自体が直接死刑廃止に繋がるわけではありませんよね。私もその意見には賛成です。
ですが、私の言葉足らずだったのですね。私は死刑廃止論者でではありません。言葉たらずの書き方で申し訳ないです。
私は「現在の」日本の死刑制度で、冤罪で死刑になることがあるのなら(といいますか、あいうるのであるから)、それを皆さんはどのように考えるのかについて知りたかったのです。
そしてこのことは、「現在」の死刑制度の存続、廃止、またその在り方について論ずる時、学者や学生や教授からかならずステレオタイプ的に語られるものであるのに、言及がなかったものですから、質問しようと考えたのです。
この点、元祖何様さんのおっしゃった通り、冤罪の発生は他のシステムの欠陥(再審という手段は存在しますが)にもあります。刑事訴訟法を3年学んだだけでも、明らかになるほどです。
もちろん、私も死刑制度を廃して解決するなどとは、毛頭思っていもいませんよ。
しかし、これらの元祖何様さんが挙げた欠陥を仮に廃止したとして、冤罪がなくなるでしょうか?
私は、なくならないと感じます。
したがって、「現在」の死刑制度においては、たとえ手続き上の問題を解決しても、冤罪で死刑になる人の存在があるということになります。
そのような人について、どのように感じるかを聞きたかったのです。
この点、元祖何様さんは、「現状の冤罪濃厚の可能性を秘めている死刑囚の待遇とどこが違うのだろう?」とありますが、冤罪の者にとって、「明日執行されるか」と待つのと、命が保証されているのでは、気持ちの持ちようがちがうと思います。プレッシャーで精神障害に陥った人までいます。また、命あれば、何か新証拠がでてきて再審となったときに、解放の可能性があります。命あればのことだと思っています。
この点、現行犯などの確実なものに対しては、冤罪における問題は通用しませんね。その通りです。
だから、私は「現在」の死刑制度の冤罪の可能性自体を示唆しており、「現在」の死刑制度について、このままでいいと思うのかをお聞きしたかったのであり、包括的に死刑廃止そのものをいいたかったのではないのです。
本当に言葉たらずで申し訳ありません。
元祖何様さん、丁寧に2回も書いていただき、本当にありがとう御座いました。
実際、私は、あえて言えば、どちらかというと死刑賛成派なのです。これは、私の近しい人の事情にかかわる私の個人的な感情に左右され、もはや、公平の見地から物事が見れなくなっているということもあります。
読んでいただいている皆様からしたら、立場が行ったりきたりしていると思われたかもしれませんが、少し賛成派に傾いている私が、無理に公平の見地から書こうとしたため、逆に死刑反対派の方に取られがちな内容になってしまたこと、大変申し訳なく思っています。
投稿: | 2009年5月11日 (月) 20時25分
的を得てない×的を射てない○
投稿: | 2009年5月11日 (月) 19時50分
2009年5月10日 (日) 02時56分の
通りすがりさん。
ご質問の件ですが、正直言って「的を得ない質問」と感じてしまいました。
私が主張しているのは、「命」は万人が「等価であり同一」であり、性格・思想による「個性」が後天的に環境に拠って作られているだけと言う事です。
近代法哲学が、なぜに「罪を憎んで人を憎まず」と言う所まで進化したのかを人々にはもっと考えて頂きたいと思う次第です。
つまり、既に私の思想・性格は「他人に殺意を持つのは相手が犯罪者で有っても有り得ない」と言う人格形成をしており、
もし私が殺人加害者として法廷に立つ事が有るのならば、それは私が精神を蝕まれたか、又は事故でしか無いと考えます。
となれば、当然ながら現行法に則り、しかるべき対応をすると思います。
が、これでは余りに質問の答えになっていないと思いますので、ぶっちゃけた話をします。
正直申し上げて、昨今の不況の煽りを受けて生活に窮しています。
食事もまともに取れていません。
感情的では無く、選択肢の一つとしての自殺も考えていたります。
そんな私が、もしも悪意を持って人を殺した自覚を持つなら、法廷にて多分生に執着した悪あがきはしないんじゃないかな・・・
とは思います。
こんな所で質問の答えになったでしょうか。
億さん。
レスありがとうございます。
任侠世界での件、億さんの仰りたい事は良く分りますし、共感もしています。
コンクリ事件についての私のコメントを読んで頂ければお察しいただけると思いますが、
私も「命」そのものは全ての人が同じで有ると思っています。
任侠世界に付いてもう少し私の考えを詳細に述べるならば、本来の「任侠道」は「徳」だと思っていまして、
近代社会で失われつつ有る「人間性」「社会性」を鑑みれば「任侠道」の思想は大切だと考えます。
しかしながら、現代のヤクザ社会では任侠道の本質は失われ、人に悪意を向ける人々の集団と言う性格が強くなってきています。
(但し、私はヤクザ世界の人間を偏見で見たり毛嫌いはしていません。)
私は犯罪者が生み出される件に限らず、厳罰化を叫ぶ人々が多かったり、死刑を叫ぶ人が多かったり、凶悪なヤクザな人がいたりするのは、全て共通する要因から来ていると思っているのです。
私が思う要因を全て列挙すると多分、本一冊くらいは書けると思いますので割愛しますが、単純に言えばやはり「いじめ根性」なんです。
モラル向上も時には悪だったり、法律さえも悪だと思う部分も有ります。
また、人々のいじめ根性を一番増大させているのはマスコミだとも思っています。
もしも、これらの要因を払拭出来れば、ヤクザになる人々の周りの環境も変って来ているはずです。
(=犯罪者の人格形成もされず、ヤクザの人格形成も変わってくる)
そうなった際には、ヤクザは本来の任侠道を復活させ、人々に愛される存在にさえなれると思っています。
しかし私は基本、自殺を肯定する人間ですので、現代のヤクザ世界と言う物を十分に理解して、その世界に入る人はお互いに自殺の助け合いをする事に同意している事に近い覚悟が有ると思うんです。
ならば、やはりカタギに迷惑を掛けない限り、納得した者同士で自殺を助け合うのは尊重されるべきだと思う訳です。
もちろんこれは暴論極論ですが、なんとなく言いたい事を察して頂けると幸いです。
更にぶっちゃけて言えば「仕方が無い」事だとも思います。
「戦争」による殺し合いも無くしたいですが、実際に行われている現状に付いて「許せない」と凶弾しても始まりません。
「仕方が無い」です。(だからと言って是認する訳では有りません。)
ヤクザ世界の殺し合いは、国同士の殺し合いである「戦争」よりは性質が悪く無いと思っています。
なので、これも同じで、無くしたいですが、現状は「仕方無い」なんです。
やはり全ての問題の根本要因を取り除く事が一番大切だと思っているのです。
元祖何様さん
横槍失礼します。
ついでに、
「捜査官は必ず詳細で具体的で整合性の取れた調書を作らなければならない習慣」
も冤罪誘発の大きな要因として追加させて下さい。
kaiさん。
普段私が考えない視点での意見、面白く参考にさせて頂きました。
有難うございます。
管理人さまへ
http://knuckles.cocolog-nifty.com/blog/cat13784500/index.html
などを開くと、張られている画像のURLが一部間違っている様子で、
DDNSへの認証ダイアログが毎度開かれてしまいます。
例えば
http://knuckles.dyndns.tv/entries/641698591128565120595111104261317d2.jpg
などは、
http://knuckles.tv/entries/641698591128565120595111104261317d2.jpg
の誤りだと思います。
出来ましたらFIXの程、宜しくお願い致します。
投稿: Toshi | 2009年5月11日 (月) 03時48分
5月10日(日)17時47分の方へ。現行犯の場合でも責任能力や情状酌量などの問題が残るのではないでしょうか。たとえば東京裁判の被告人も、多くの人を殺したのは動かし難い事実です。にもかかわらず、今では昭和殉難者などと祭り上げられ、あの裁判は間違いだったと主張する人たちがいますよね。本当に人を殺したとしても、その罪が死に値するかどうかというのはあくまで私たち人間が判断することであって、そうである以上、その判断が間違いである可能性は常に存在すると思います。
投稿: 英火 | 2009年5月10日 (日) 23時24分
だから、冤罪が有るから死刑反対なら冤罪の生まれようの無い池田や秋葉原のような現行犯なら死刑にしてもええんやな、冤罪があるから死刑は無しは死刑廃止のはなしじゃないで。
投稿: | 2009年5月10日 (日) 17時47分
死刑制度の存続に関する議論に、新たな視点を投げかけてみたいと思います。
私の所見においては、裁判制度とはあくまでも社会秩序を維持するためのシステムであり、その内の死刑制度が問題となるのは、次の点においてです。
1)暴力装置としての国家にどこまでの暴力を行使する資格を与えるか。
2)死刑制度は犯罪抑止として刑罰の重度に見合うだけの成果を及ぼしているのか。
3)復讐法としての性格について
1)において、例えば中国は社会秩序維持のために人民の殺害が軍によって行われることもありますが、ここではその善悪はさておき、中国という国家においては、国家の暴力はかなり認められていると云うことはできます。一方、ヨーロッパ諸国においては、ご存知の通り、それは厳しく制限されています。死刑廃止もその一貫にあると云えるでしょう。
この観点から見ると、比較的治安の安定した国家においては(国家が暴力を振るわずとも秩序が維持されるという意味において)、国家の暴力は制限されている一方、不安定な国家においては依然暴力は必要とされていると同様に云えるでしょう。
これはあくまでも決断主義的な選択の問題であり、死刑制度の存続か否かという議論において、同様の論理を組み上げて一方を支持することは可能ですが、推論的に確かな結論を下すには不十分です。
2)について。
死刑制度が犯罪抑止に繋がるという主張は、一見整合性がありますが、依然議論の余地があるようです。突発的な犯罪に関しては効果は薄いでしょうし、実際に死刑制度の存在を知りながらも、残酷な殺人を犯した死刑囚を我々は知っています。
むしろ私には、死刑制度を撤廃すれば犯罪率が増加する、という論理には、ほとんど説得力が欠けているように思われます。死刑制度はきわめて重要な刑罰の一つであるにもかかわらず、刑罰の重度にみあうだけの効果を及ぼしているとは、にわかに信じられません。
この議論に関しては、実際に死刑制度を既に廃止させた国々の統計データが有効であるでしょう。(浅学ながら、私の手元にそれはありませんので、これ以上の言及は差し控えます)
ところで、上記の他の方々の記述を伺うかぎり、多くの人々は死刑制度に復讐法としての性格を期待しているものと思われます。多くの殺人を犯した人間には、死で以ってしか釣り合わない、という寸法です。
少なくとも無神論国家の日本には、罪の重さを量る天秤は何かと申せば、これは人々の主観に他なりません。性来、日本民族が復讐劇を好むことは、多くの海外の知識人から指摘されてきました。
この論点において重要なことは、罪の重さは直接的な問題点ではないことです。なぜなら神を想定しない以上、罪自体は”我々があると想定するもの”という枠を出ることはありませんから、罪の重さは厳密に六法全書に依拠する以外にはないのです。ところが、仮に死刑制度が廃止されたとすれば、そのときには六法全書の内容自体が改変されることになります。この限りでは、我々は制度の定める刑罰にただ首肯するしかできません。
では何が重要なポイントであるかといえば、”ある刑罰が罪の重さに対して不当に軽い”とみなす人間の当然抱くフラストレーションが、社会秩序にどの程度の悪影響を及ぼすか、ということです。刑罰に満足いかず、「ならば私刑を!」と多くの遺族が望み、それが頻繁に行われるのであれば、これは制度に不足があると云わざるをえないでしょう。
しかし日本においては死刑制度が廃止されたとて、それが原因で私刑が企てられることはおそらく少ないのではないでしょうか。
上記三点を私なりに検討した結論として、死刑制度は比較的必要ではないと思われます。ご意見があれば聞かせてください。
投稿: kai | 2009年5月10日 (日) 15時28分
自分の前記投函が表現不足と感じるので、補足としての連投を容赦して欲しい。
法学生氏がもし、冤罪を理由に死刑廃止派に傾き、冤罪を主軸として死刑廃止を訴えたとして、それで問題は解決するとおもわれるのだろうか?
冤罪による死刑を失くすことを最重要目的とし、死刑制度がなくなったとしよう。とりあえずは、冤罪の疑いのある死刑囚の命は保障される。そしてそのまま終身刑状態に置かれる。死刑を廃止したところで、冤罪が追及されるわけでもなく、とりあえず命の保障だけ確保されるのではなかろうか?
それは現状の冤罪濃厚の可能性を秘めている死刑囚の待遇とどこが違うのだろう?
やはり『冤罪を生み出す制度の問題点を解決し、誤判をなくす努力』といった根本における部分に視点を向けなければ、意味が無いのではなかろうか?
投稿: 元祖何様 | 2009年5月10日 (日) 08時04分
法学生氏へ
自分は死刑制度の是非と誤判による冤罪の問題とは別だと思っている。
そもそも、何故冤罪が発生するのかを考えてみると明らかではないのか?
1、警察・検察・裁判所には証拠や調書を見直す機能がない。
2、警察・(検察・裁判所)は上部からの圧力など縦割り社会に織化されている為、誤りの修正ができない。
3、警察はマスコミに対する守秘義務が徹底してない。
4、密室で行われる取調べ
5、被疑者無警戒のまま取調べや裁判を受ける
6、マスコミ情報(商品)を競い合って売るという構造と評価の偏った報道
7、冤罪支援人権保護団体迅速に対応しない。冤罪濃厚の結果をみきわめて活動する
8、裁判官、検察官、弁護士、マスコミも含めて責任をとらない構造が蔓延
9、弁護士、弁護士本来の義務 ‘’依頼人の利益を守ること’に徹底していない
10、裁判官が結論を出す前に、マスコミと世間が結論を出す風潮であり、『疑わしきは被告人の利益に』の原則が蔑ろになっている
上記原因を解決せずして、死刑制度存廃論に直接結び付けるのは強引過ぎる。それでは、何の問題解決にもならない。
確かに、『死刑の場合は死んでしまうのであるから冤罪の場合取り返しがつかない』のは事実である。しかしながら、冤罪(部分冤罪ではない)を懼れる為の死刑廃止では、現行犯、確信犯までも量刑相当の判決を与えられなくなる。根本的原因を解決せずに冤罪回避のための結果重視では、何の解決にもならないと自分は思う。
袴田事件(66年)を引き合いに出されているが、他にも名張毒ぶどう酒事件(61年)、三崎事件(71年)など冤罪の可能性が濃厚である事件が多い。自分の個人的意見であるが、自分が問題視したいのは、これら冤罪の可能性が濃い事件を直接 死刑存廃論に結び付けるよりも、科学的捜査が未熟であった(30年以上も前の)当時の事件をもう一度審理しなおす姿勢が裁判所に必要なのだと思う。一度出した判決を覆せないといった裁判所の建前や権威を重視するより、本来裁判のあるべき姿‘公正な判断’を重視すべきではあるまいか?
法務大臣が執行サインを拒んでいるのは、冤罪の疑いを感じているためであると思うし、事実上終身刑並みの待遇になっている。であるのなら、何故、きちんと審理をし直さないのか?その曖昧な姿勢に自分は憤りと腐敗した日本の制度を感じる。
投稿: 元祖何様 | 2009年5月10日 (日) 05時59分
Toshiさん。
解答、ありがとうございます。
1点目は自殺容認等、相反する感想もありますが総体的に一定の理解ができ、参考にもなりました。
2点目は仁侠界の倫理観念で凶行を起こした仁侠界同士の加害者のことで、一般人に迷惑を掛けてないという点でということでしたが、私は人が人を裁く万能感と命の等価値(平等、公平、守るべき優先順位とかではないです)
その命の与奪権を同じ人間が行使することに異論を持つので、やはりこれは異世界の事象なんでしょうか難しいですね。
仁侠界の人の命も、私からすれば同じ命なんですが…
あと、どうでもいいことだと思うのですが掲示板で顔文字を使うと軽い意見と見なされて非難対象になってしまいます…
投稿: 億 | 2009年5月10日 (日) 02時58分
すいません。初投稿でやり方がよく分からず同じ内容を2回書き込みしてしまいました。
Toshiさん御意見ありがとうございます。確かに犯罪に至る経過は環境によるものも大きいと思います。
社会の流れや家庭内不和などが最もたる部分だと思います。
逆にお聞きしたいのはToshiさんがあのような犯罪を犯されたら、どうしますか?
日本に死刑制度がある以上仮に死刑確定となった場合延命を望み再審請求しますか?
自分なら犯した犯罪の責任を取り潔く刑に服すと思います。それが刑罰だと思うからです。
このブログで皆さん討論してますが自分なりに思う事は何か線引きをして、ある一つの事柄に対して死刑制度を継続・廃止するかを決めてから討論しないと堂々巡りな気がします。
①被害者感情②冤罪は有り得る・・などの事柄です。
しかし死刑問題って本当に難しいですね。賛成派・反対派両方の主張は間違っていないと思うんで。
投稿: 通りすがり | 2009年5月10日 (日) 02時56分
義烈さん。
ここで議論されている内容を見て「死刑囚の一方的な情報発信に左右され支配されている」と何故思うのだろうか。
百歩譲って、殺人犯は被害者が思いを伝える術が無い故
に一切の表現を封鎖するべきと考えたとしても、何故、皆の情報交換の場でもあるこのブログを否定するのだろうか。
貴殿が考える「人の道」とはあまりにも狭すぎると感じる。
より多くの情報を皆で研鑽し、皆が共感できる裁判の在り方・死刑制度等語り合う事の方がよほど人の道の構築に貢献出来ると私は考えています。
投稿: 土建屋40才 | 2009年5月10日 (日) 00時37分
億さん。
私も自分のHPでは遠慮無い口調で色々書いてます(^^;
もちろん、URLを掲載してる事からも自分のHPの宣伝は兼ねています。
自分のHPでもこの手の話はいじめ問題と絡めて色々書いており、
やはり一人でも多くの人に読んで貰って考えて貰いたいと思っているからです。
さてご質問の件ですが、1件目は・・・
前述の通り、私に取って最大の反対理由は「死刑を望む群集心理」です。
よって、例えば死刑制度が完全廃止にならなくても、遺族以外の人々、
出来れば遺族でさえも死刑を望まない世界、もっと言えば、
誰もがどの様な形であれ、他人の死を望まない世界、そして寛容の精神が
溢れる世界を欲しています。
人権とは自由意志の象徴でも有りますので、私は「自殺」は周囲に迷惑を
掛けたり悲しませたりしないので有れば、その自由意志は尊重されるべきだと思っています。
つまり、裁判で一方的な死刑判決が下されるのではなく、被告・原告双方が望んだ上での死刑判決が出る分は構わないと感じます。
唯一の問題は「死刑を望む犯罪」の抑止をどうするかの一点に集約されると思います。
死刑を望む犯罪の最大の理由は「自殺は難しい」「死刑は楽」だと思います。
ならば、強制的な死刑執行様式を撤廃し、死刑判決を受けた者は自ら自殺する様式にすれば問題ないと感じます。
当然ながら、被告が死刑を望む=自殺を望むと言う意味になります。
次に、2件目の質問ですが、ちょっと質問の意図が良く分らなかったのですが、
これはヤクザでも死刑に反対ですか?と言う意味でしたでしょうか。
でしたら、反対です。
ヤクザ同士の殺し合いはカタギに迷惑を掛けない限り問題視していません。
ただ、国家によるただの殺人である、現行の「死刑制度」が有る限り、国民のリテラシーはいつまで経っても向上できないと思っているからです。
別の言い方をすれば、私が望むのは死刑制度の撤廃と言うよりも、人々の心に有る「いじめ根性」の払拭です。
それが実現されれば自ずと死刑制度は必要ないものとなると考えています。
ただ、卵が先か鶏が先かと言う話になってしまいますが、数あるリテラシー向上阻害要因を少しでも減らしたい為、死刑反対なのです。
ですのでもっと突っ込んで言ってしまえば、裁判関連に絞ったとしても死刑制度だけに反対と言うよりも、現在の善悪二元論、勧善懲罰による魔女裁判的な傾向自体が大反対なんです。
ついでに言えば、司法・刑法、基本的人権についての教育をもっと徹底すべきですべきだと思っています。
さすれば、犯罪者に向けられる無意味な罵倒(犯罪者に精神鑑定なんかいらないとか、人権はいらないとか)も減るでしょうし、いじめ根性払拭の観点でも非常に良いと思っています。
それと、心情的には「マスコミ・メディアに人権はいらない」と訴えたい。
すみません、ちょっと長くなってしまいました。(^^;
コンクリート事件の話を出してる方へ
あの事件だけは、私から見ても実行犯達は「悪魔的」だと感じますし、心情的には「生かしておく意味無い」とも思えてしまいます。
しかし、私は死刑反対の立場を取る人間なので、敢えて冷静に発言させて頂きます。
人の性格は先天的な物に有りますが、思想など殆どのものは後天的に作られていくものです。
単純に言えば、もし貴方が、あの犯人と入れ替わって生きてきたとしたら、貴方が犯人になっていたと言う事です。
つまり、犯罪者を作り出してしまう「環境」と言うのは絶対にあるんです。
その反省なくして、とかげのしっぽ切りばかりしていては、結局第2第3のコンクリ犯を作り出すだけだと思っています。
一向に社会は改善されません、むしろ年々、益々酷くなってきています。
人々は、自らの社会性責任を放棄し、罪を犯した人間に全ての罪をかぶせ、断罪しておしまい・・・が現状だと思っています。
厳罰化ばかり叫んでいてもダメだと思うんです。
なぜ、あの様な人間が作り出されたのか、それは阻止出来なかったのか、今後もそれは阻止出来ないのか・・
などの議論が、犯人の有罪性を語るより優先されるべきだと考えます。
投稿: Toshi | 2009年5月 9日 (土) 22時38分
簡潔に糾弾しておく。
己の価値判断が中立で、このブログとはまるで関係がないというのであれば、時も場所もこんなブログとは独立して主張ずべきであろう。
自分の価値判断が、ことの最初からこのブログの死刑囚の一方的な情報発信に左右され支配されているという客観的自覚を持ちたまえ。
自分はひとつのことだけを何度も言う。
被害者の死後の死刑囚の情報のみで踊ること自体が偏向である。
殺されてしまった被害者は、死刑囚の情報発信に対して、反論も抗弁も含め一切の情報と価値観を発信できないからである。
「死人に口なし」をいいことに、罪科や死刑囚の印象操作をするこのブログの価値を認めてはならない。
それは、人の道としてあってはならないことである。
投稿: 義烈 | 2009年5月 9日 (土) 20時55分
死刑問題に関して今まで我々一般人は情報も乏しく、不特定多数の人と死刑制度に関する問題を真摯に議論出来る場所が無かった。つい最近まで被執行者の名前さえ国は公式発表せず、秘密裏に全てが処理されてきていたといっても過言ではない。国による姿勢は暗に国民に対して、『死刑問題議論はタブーである。』という間接的な印象を与え、国民もその国の姿勢に安易に胡坐をかいていたのではないのか?と感じている。
更に、今まで我々国民はメディアによる一般受けを重視した商売戦略中心の偏った情報を受信し、国民の多くは当然受け入れやすい内容であるから、その情報を鵜呑みにして判断してきている。
しかしながら、裁判員制度導入が決まり我々が『被告を死刑にするのか否か』の決断を迫られるようになった。国民は死刑制度に対して見て見ぬ振りが出来なくなった、他人事ではなくなった。このブログも時期を同じくして注目されるようになったのは自然だろう。英火氏の言葉を自分なりに変えて引用させていただけば、『死刑囚による情報発信については、受刑者がいまどんな状態なのか知る権利と義務が裁判員として、判決をくださなければならない私たちにはある』ということだと思う。
国側ももっと死刑制度に対して米国のように透明化すべきだと思うし、メディアも様々な立場からの正しい情報を発信すべきだと思う。そして、裁判員になる我々も、様々な意見を見聞きし、考えを深め判断できるようにする必要があるのではなかろうか?
ウコン氏が言われるように、『自分とは違った意見から学ぶこと』はそういった意味においても自分にとって重要であると考える。
投稿: 元祖何様 | 2009年5月 9日 (土) 17時55分
私は、死刑賛成、反対、決めかねています。
しかし、みなさんは袴田事件をご存知ですか。
死刑判決確定し、その後冤罪とわかり、死刑判決を下した裁判官までもが死刑確定者の親族とともに、その取り消しをもとめて活動しています。
この点、今までに冤罪でありながら死刑執行になった者はいないといいます。
しかし、本当にそうでしょうか。死刑執行されたのち、冤罪とわかった人がいないだけなのではないですか。
また、冤罪は、死刑以外の場合でもあるのだから、死刑のみに冤罪をもちだすのはおかしいという反論もあるかもしれません。
しかし、死刑の場合は死んでしまうのであるから、懲役などとちがい本人に対する賠償のしようすらありません。つまり、他の犯罪における冤罪とは質がちがうのです。
また、冤罪を無くすような裁判をすればいいという反論もあると思います。
しかし、過去の事件について、残った証拠、犯人の自白などから、「人間が」「現在」裁判をする以上、どうして確実に冤罪をなくせる裁判ができるのでしょうか。
たしかに、99.99パーセントの確率で確からしい裁判が仮にできたとしても、残り穴になっているところへ入り込んだらどうするのでしょうか。
どうか、愚者である私に、死刑賛成の方、教えてください。
冤罪である極僅かな可能性があり、かりに、運悪く冤罪で死刑執行になる数人を犠牲にする可能性があっても、再生不可能な極悪人を死刑にするため、死刑制度をのこすべきなのでしょうか。
どうか、教えてください。
投稿: 法学生 | 2009年5月 9日 (土) 17時34分
いつもブログを興味深く拝見してます。
皆さん色々な意見主張があって当然だと思います。
小田島死刑囚と直接関係ないですが「女子高生コンクリート殺人事件」について皆さん、どう思われますか?
自分はこのブログを拝見するようになって某サイトで改めて事件の凄惨さに驚愕しました。小田島死刑囚とは殺害した人数・犯行時年齢など一概に比較出来ないと思いますが‥
一つ言える事は殺人と言う点で共通していると言う事。
よく被害者遺族の感情は当事者でないと分からないとの意見を聞きますが本当にそうでしょうか?
コンクリート事件など最もたる例ですが自分の家族・友人などが同じ目に遭っても死刑制度反対と言えますか?
自分には言えません‥
まとまりのない文章ですいません。
このブログは億さん言われる通り今まで闇の別世界でしかなかった死刑囚の処遇が分かる貴重な場だと思います。
このブログをきっかけに良い意味で国民全体で討論出来るような風潮になれば。。と思っています。
以上、駄文失礼しました
投稿: 通りすがり | 2009年5月 9日 (土) 15時10分
5月8日(金)22時23分の方へ。風さん(5月8日(金)05時57分)が書かれたのは「仮定」の話、既成概念を一度取り払ってみては?という提案だったと私は解釈しています。たとえば死刑廃止国で囚人を殺すのは重罪です。私たちはそれと同じことを国家ぐるみでやっているにすぎません。
Toshiさん(5月9日(土)01時39分)へ。私もToshiさん達の意見に非常に勇気付けられています^^
ウコンさん(5月9日(土)02時50分)へ。始め数行の煽りだけは余計でしたね。ところで、徒にご遺族の感情を傷つけるのはもちろん避けるべきだと思います。しかし、ご遺族が見ているからとご遺族の要望どおりの国会運営が行われればそれはそれで奇異に映るでしょう。ご遺族の要望どおりに社会制度を組むわけにはやはりいきません。また、現在の日本の裁判がそうであるように、死刑判決を下すときだけご遺族の感情を利用する、といった行為も本来は許されるべきではありません。である以上、たとえご遺族の感情に反しても、言うべきこと、正しいと思ったことは積極的に口にすべきではないでしょうか。
投稿: 英火 | 2009年5月 9日 (土) 14時43分
初投稿の者です。
毎日このブログ拝見してました。皆さんの意見主張は千差万別で大いに考えさせられる意義のある場だと思います。
ただ最近「コンクリート殺人事件」の凄惨を某サイトで拝見し改めて驚愕してます‥‥
人間って変われると思いたいですが犯人達の所業を考えると、とてもそんな気にならなくて。
小田島死刑囚はどうでしょう?自分的にはブログの内容を見る限り変われそうにない人間に感じます。
仮に恩赦などで出所したとしても同じ事を繰り返すような・・
自分は基本死刑賛成派ですが本当に更正の見込みがない人間を再び野に放つ事を恐れます。それに被害者遺族の感情を考慮すると、やはり死刑制度は必要かなと。
まとまりのない文章ですいません。億さん言われる通り今まで闇の別世界でしかなかった死刑囚の処遇が分かると言う点だけでも非常に意義のあるブログだと思います
投稿: 通りすがり | 2009年5月 9日 (土) 14時11分
muさん。
そこまでの主張がなされるならば国民の死刑囚(執行まで未決囚)に対する税金負担も肯定すべきではないでしょうか。
その税は社会秩序維持のため国家が確定死刑囚を健全社会から隔離するためのコストと、私は考えますので税金の無駄と言う人には『支払わなくても良い代わりに執行まで、貴方の家で同様に管理して下さい』
とまで言える類のものではないでしょうか。
少なくとも私は、そんなことを請け負えないので具対的に何に使われているか開示されない税法ならば優先的に社会の厚生保護に使ってもらいたいクチです。
投稿: 億 | 2009年5月 9日 (土) 13時51分
Toshiさん。
はじめまして。
前コメ拝見しております。
失礼ながら、丁度時期的に初コメが集中されたこともあり、一過性のご自分のHPの宣伝のような気がしたので反応しませんでしたが、コメ自体は攻撃的な私より柔軟に対応されていてると思いました。
私自身は廃止論者として何事も応酬できるものを備えたと自認してます。そこに、決定権もなければ勝敗もありませんが、少数派の廃止論調維持の為には存置派から廃止破綻論に思われることは横レス入れても、釣ってでも擁護します。
そこで、元来存置派から受ける質問なんでしょうが、突っ込んで2点伺いますが、求刑が死刑を予測される被告に遺族が『この事件に対して命でケジメをつけて欲しい』と言った場合に被告が『ケジメをつけます』と言って死刑判決を受け入れた場合の是非は如何ですか。
また、その場合の執行のに関しての考えも聞かせて頂けるとありがたいく思います。
もう1点が仁侠世界における事件の死刑判決です。
投稿: 億 | 2009年5月 9日 (土) 12時39分
アジにはアジをです!
仰る通り反論せず批判をしましたが。
ウコンさんの仰る通り、遺族感情に充分配慮するならば当サイトでIDを配布して別掲示板でやるしかないと思います。
ココログは、その機能があるはずです。
そして、マイノリティの死刑廃止論者として一定の廃止論層維持のために特定コメを擁護してきたことは事実です。
勿論、書き込んだ後に、これを投稿すると炎上必至なコメは控えてきました。
廃止論者への批判、税金、遺族、感情などに関してです。
絶対に存廃論議は両陣営が構図化される中でABCさんとウコンさんの質疑の流れが予測できた誘導質問だったものですから、横レスで矛先を替えようとした思惑は否めません。
『愚か者』アジでスイッチオンになり、ここ数日は上目視線だったこと、その傲慢さと非礼を皆さんにも詫びます。
投稿: 億 | 2009年5月 9日 (土) 11時42分
様々な視点を、私なりに考え現在まで拝見してきました。
ここで意見を熟考する事は、少なくとも私にとっては、死刑に対して深く考えさせてもらう場所であります。
死刑に対して、反対と賛成及びにどちらとも理解しがたい意見は、人間が存在するだけあるのだと理解させていただきました。
これ以上、無惨に殺されてしまう被害者を生まないように、残酷な行動を犯してしまう殺人犯を生まないように、この場所で議論をし、そして傍観者の方々も含め真剣に考えているのだと感じています。
死刑について、考える機会をいただきありがとうございます。
私個人的には、死刑は反対ですが様々な意見を考慮し、更に深く熟考してゆきたい。
投稿: 風 | 2009年5月 9日 (土) 11時14分
愚か者という 言葉が 最近、よく出ていますが、
この掲示板は、死刑囚のブログについて 語る場であって お題とずれている気がします。
ここで、死刑や死刑囚について語る事は 良いのか悪いのか ?
それは 正直なところ 正解はない気がします。
ただ、 こうして 死刑や死刑囚の会話をすることは
無意味なものであっては いけないと思います。
偉そうな口調になってしまいましたが、死刑や死刑囚について 意味のある議論をしたい、 私はそう思いました。
投稿: 通りすがりの者 | 2009年5月 9日 (土) 11時03分
小田島
投稿: 前吉 | 2009年5月 9日 (土) 06時36分
漫画ゴラクにこのブログをモチーフにしたと思われる漫画の連載が始まりました。あらゆるメディアがこのブログを注目しています。
投稿: 冠 | 2009年5月 9日 (土) 04時05分
億さんへ
億さんの今までの主義主張の発言は「吐き捨て」のコメントだったのですか?義烈さんのような自己満足のみの全否定、吐き捨てのコメントと同じだったのですか?
億さんのコメントは、それとは違いますね・・・。
中には吐き捨てのコメントも多数ありますが、億さんのコメントからは、自分なりの主張、死刑制度に関する見識が伺え、真剣に投稿されていらっしゃるはずです。
吐き捨てのコメントでは無い以上、そこには真剣な主義主張があります。少なからずともこのブログには凶悪犯罪で犠牲になられた被害者の遺族の方々及び現在死刑判決に向けて裁判中という方々が見ていらっしゃるという前提が必要です。そういう方々は見ていない、関係ないとは言わせません。死刑廃止論の真剣な意見がアップされ、それを遺族の方々が見られ感ずるものは様々でしょうけど、少なからず何かを考えさせられるはずです。当然に意見交換は難しいでしょうが、その時点でれっきとした「機会」ではないでしょうか。確かに「適切の機会」ではありませんが、「適切ではない機会」ではあると思います。
最後に、機会として推奨できるか?推奨する権利があるのか?というご質問ですが、当然そんな権利は無いですし、そもそもそんな権利があったのも知りませんよ。
ここで権利という言葉を持ち出すのは疑問に思います。ただ、このブログには億さんを初め、元祖何様さんやABCさん多数、見識ある方々がコメントが寄せられるてので、「新しく違う考え方を考える」という部分では推奨できるのではないかと個人的には思います。但しそこには考えられるうる遺族の方々の感情に配慮した前提での主義主張が必要条件と考えます。
投稿: ウコン | 2009年5月 9日 (土) 02時50分
我々を『愚か者』と指摘している者に告ぐ。
我々は、
近代刑事行政が長らく公開を拒んできた国家の闇。
すなわち確定死刑囚に関することが表記された当ブログを日本国憲法の自由権が保障している以上、原則支持する。
そして、そのコメント内容がブログの表題に外れたとしても著しく脱してはいないと確信する。
繰り返すが、
日本国憲法の自由権が保障しているブログに、コメントを投稿することも公序良俗に反さない限り、いかなる弾圧下におかれても、その言論の自由は何人からも妨げられてはならない。
また我々が、
そこに各人一定の価値を見いだし、議論することに関しても同憲法に言論の自由は勿論、思想・信条の自由が唱われている以上、一方的な叫弾により妨げられてはならない。
断固言明する。
我々が、
当ブログの、それぞれ異なる情報から遺族感情や人権等まで発展と展開をさせてきた議論に対して、その各人なりの意義の有無は第三者には計れる問題ではなく、人道を語る当人が、その本質の趣意である我々の人道の領域を侵害することは、もはや錯誤の何ものでもない。
仮に客観的にみて不毛な論議だと仮定しても第三者に弾圧、叫弾されることを断固拒否する。
繰り返す。
断固拒否する。
投稿: 億 | 2009年5月 9日 (土) 02時16分
義烈さん
大丈夫ですか?
ご自身の意見を述べられ、反応が悪かった
→敢えて傲慢で挑発的な書き込みを再度行った
と言う風に見受けられ、ちょっとアキバ無差別殺人事件の犯人に通じる心境を感じたものですから。
くれぐれも間違いは起こさないで下さいよ?(^^;
そのた私の意見と似た様な主旨の書き込みをしてくれた方へ
他のサイトなどでは、何百人と言う死刑賛成派の中で私の様な意見を言うのは私一人だけ・・なんてシーンばかりでしたので、ここで同様の主旨の書き込みを散見する事が出来て「あぁ、世の中まだ捨てたものじゃないな」と思えて嬉しく思います。ありがとうございます。
投稿: Toshi | 2009年5月 9日 (土) 01時39分
義烈さんへ
愚か者は貴方ですよ
小田島死刑囚とかブログの価値とか私にはどうでもいいんですよ
死刑に対して反対ですと述べてるだけです
信頼のおける投稿者である億さん以外で、上目線やめてください。
投稿: ABC | 2009年5月 9日 (土) 00時18分
風さん
この世の話をしてるんで、ほんとすいません、勘弁してください。
投稿: | 2009年5月 8日 (金) 22時23分
ここで死刑の是非論や裁判員制度について議論をやりたがっている「愚か者たち」に言う。
このブログの価値と意義を根本から全否定することこそ人道である。
あなた方愚か者たちはわからないようだから、今一度重ねて言う。
被害者は一切の思い、意思、意見を表明する機会を死刑囚に永久に奪われたのである。
その事実こそがあらゆる前提にあり、認識のもっとも基本になければならない。
それが全ての始まりなのであるから。
この事実を無視するのであれば、そもそも「殺人の罪」など存在しないことになる。
であるのに、なぜあなた方は死刑囚の言葉に「のみ」耳を傾け、議論を始めようとするのか?
それはあなた方が、「被害者は一切の思い、意思、意見を表明する機会を死刑囚に永久に奪われた」事実を全否定し、全く存在しないものとして認識していることに他ならない。
反論は認めない。
もしこの事実を認識しているのであれば、死刑囚の一方的な意見など、まして被害者が死んだ後の、被害者には絶対に反論できない環境で放たれる加害者の一方的な自己主張などに、一切の価値を認めてならないと、おのずからわかるはずである。
なぜあなた方愚か者たちは、死刑囚の意思表明だけが一方的に行われるこのブログに意義と価値を認めるのか?
断言する。
前提の認識から偏向しているあなた方の議論からは、決して正しい結論が導かれることはない。
このブログの一切の価値を認めてはならない。
それが人間としての道である。
投稿: 義烈 | 2009年5月 8日 (金) 19時52分
ブログ管理人様へ。
要望を聞いて下さりありがとうございます。
これまでにかなりの人数の受刑者を取材してきた斉藤さんの考察をブログで拝見出来れば幸いですが・・
元祖阿様。
ご指摘ありがとうございました。
投稿: 土建屋40才 | 2009年5月 8日 (金) 18時54分
億さん(5月8日(金)02時03分)へ。ご遺族の投稿が本物なのかという点ですが、本当を言えば私も半信半疑でした。なぜそう思ったかは私の場合、もし本物だった場合の非礼さが半端じゃないので書きませんが、どちらかわからないなら本物だという前提で投稿した方がよいと判断しました。
事件の当事者が匿名の投稿者と語り合えるわけはない、というのは一般的にはそのとおりだと思います。しかしそれでも参加される方がもしおられるなら私は歓迎します。
投稿: 英火 | 2009年5月 8日 (金) 18時39分
ABCさんへ
ご指摘ありがとうございます。間違い失礼しました。
投稿: ウコン | 2009年5月 8日 (金) 18時15分
快楽殺人犯、強盗殺人犯、強姦殺人犯など人間か?
檻の中にいる間に考えるのは次はどうやったら捕まらないかを考えて、檻の外に出たときに実行するだけじゃ!
人間と鬼畜はちがいます。
投稿: | 2009年5月 8日 (金) 18時10分
億さんへ。私が言いたかったのは少し違う。犯罪被害者遺族が果たしてこれだけ注目を集めてしまったブログを容認するか不愉快だから即止めて欲しいのかのコメントがききたいのだ。メディアに紹介されればされる程、様々な人が様々なコメントを寄せる。中には小田島頑張れ的なコメントもある。なにが良くてなにが悪いかは分からないがこのブログがすでに多くの人が認識している以上、事件に関わった人達がどう思っているのか聞いてみたい。興味本位と映るならそう思ってくれて構わない。
投稿: 冠 | 2009年5月 8日 (金) 15時57分
ウコンさん。
それはウコンさんの私見ですよね。
匿名スレ主が吐き捨てるコメントのどこが機会と言えます?
それこそ遺族感情に無認識な意見なのではないでしょうか。
決して、この掲示板が適切な機会とは言えませんよね。
そして私への質問と同主旨のことを敢えて伺いますが、ウコンさんこそ遺族に、このブログを『機会』として推奨できるのですか?
勿論、そんな権利はないですよね。
投稿: 億 | 2009年5月 8日 (金) 15時43分
土建屋40才さん
質問ありがとうございます。
「このブログが被害者遺族に対して不愉快な思いをさせているのではないか?」
という質問への斉藤充功氏の見解を聞いてみます。
投稿: ブログ管理人 | 2009年5月 8日 (金) 13時58分
億氏へ
趣旨が飲み込めないのだが・・。
どう質問してよいのかもわからない状態なのでとりあえず、ここまでということで。自分から、質問をしておいて勝手な打ち切り方で申し訳ない。
土建屋40才氏へ
『「そろそろブログ辞めようか。」とのコメント』は、小田島が斉藤氏に話したのであって、それを、斉藤氏が動画で我々に報告しただけ。小田島が、『このような状況を想定してのコメント』をするとはとても思えないので、土建屋氏がたぶん勘違いされていると思う。
投稿: 元祖何様 | 2009年5月 8日 (金) 12時14分
億さんへ
このサイトで主張を発信している以上、もう非現実的な仮想批判ではなく、その仰る機会はもう既にここに設けられていると思うのですが…。
投稿: ウコン | 2009年5月 8日 (金) 11時14分
ウコンさんへ
附属池田小事件の死亡者数は8名ですよ
横やりすいません。
投稿: ABC | 2009年5月 8日 (金) 09時46分
死刑存続派の方々…
あの世が在ると仮定したとして、どんなに非人道的な犯罪者でも己の罪を己の命で償える死刑という機会を与えて、あの世で非道窮まりない罪を、己の死をもって償ったからと赦されたとしたら…と考えたりはしませんか?
死刑が妥当だと犯罪者の死を切望した人間は、赦されないとしたらどう感じるのでしょうか?
人間が人間の死を望む事に、人間としての抵抗は感じませんか?
投稿: 風 | 2009年5月 8日 (金) 05時57分
書き込みを読んでいると、自分は加害者にも被害者にもなるような人間ではないと思っている人がいるように思えます。例え殺人を犯さなかったとしても、自分は正しい罪のない人間だと皆さんは言えるのでしょうか?
投稿: 千里 | 2009年5月 8日 (金) 02時45分
ABCさん。
解るだけに…
残念だけど、その指摘されたコメント主旨からだと大多数の死刑賛成派からは廃止論の一部にすぎなく逆に批判の対象になりますね。
英雄と英霊の違いがを指摘され兼ねないです…
方程式のコメントに対しても、アジってるなら東拘でハンドマイクを持って廻れぐらいの腹の据わりようが必要ですよ。
(いつも上目視線でスミマセン)
投稿: 億 | 2009年5月 8日 (金) 02時43分
冠さん、英火さん。
日頃から被害者遺族を尊ぶ割には関係者の参加を希望するというのは…
絶対死刑廃止論者の私が意見するのも変ですが興味本位の何者でもない気がしてなりません。
被害者遺族の末代まで続く深い闇は匿名の私達と語り合うほどの精神力が有り得るわけがありませんよ。
たった数年ばかり塀の中に入った親族でさえ、その辛苦と汚名を語りたがらないのが実状ではないでしょうか。
以前、元祖何様さんが犯罪加害者の身内を保護・支援する組織があっても良いのではないかというレスがありましたが…
返答を控えましたが、私は大いに賛同します。
だけど当該者にとっては忘れたい過去、世間的に触れられたくない過去ですから、その様な組織は第三者の理想論であり現実的に名乗り出る当該者が不在というのが現実で成り立たないのです。
ましてや確定死刑囚親族、被遺族がそんな寛容性と社会提議を持ち合わせてる人こそ稀有ではないでしょうか…
遺族のコメントがありましたが果たして本物なのかも疑わしいと思ってます。
もし当事者で、私がそのような気持ちを抱くならば掲示板のコメントなどに単なる非難投稿はしないと考えます。
阿斗さんが仰る通り公序良俗に反するという名目で被害者遺族の人権が侵害されていると東京地裁に差し止め請求を提訴しますよ。
非難覚悟で申し上げますが、お二人の死刑存廃の基礎になるものは余りにもエゴイズムすぎると感じました。
私達って心に映り、入るものだけを判断しがちですが本質を思考しましょうよ。
(超上目視線でスミマセン)
投稿: 億 | 2009年5月 8日 (金) 02時03分
ウコンさん。
決めたのではなく意見の主張です。
横レスだったらスミマセン。
それと遺族に対しても同じことを言えるかの問いですが、機会が設けられれば遺族感情に充分配慮した上で別の表現で言葉をかけます。
が、お答えですが、そもそも遺族に一個人が持論を投げかける権利も全くなければ遺族が聞く義務もサラサラ無いわけですから、コメントの主旨は非現実的な仮定批判と受け止めましたが。
投稿: 億 | 2009年5月 8日 (金) 00時11分
義烈さんへ
方程式で求められないから人間じゃ無いかと思います。
投稿: ABC | 2009年5月 8日 (金) 00時04分
ABCさんていったい何者ですか?
の投稿下さった人へ
当然私は何ものでも有りません。
加害者をいくら罰しても、いくら罵っても亡くなった英霊は帰って来ないと言うのが解りませんか?
やられ損なんて事を発想する自体が被害者を軽視している考えだと思います。
非業の人生を歩むしかない人々は世界に数え切れないほどいる中で、帰らない英霊を慈しむ言葉で綴った投稿です。
私には子供はいませんが、愛する人が非業の死を迎えた時どう思うかと考え投稿しました貴方の立ち位置がどうか解りませんが、あくまでも第三者なりの意見ですので御理解下さい。
投稿: ABC | 2009年5月 7日 (木) 23時57分
冠さん(5月7日(木)21時44分)へ。そうですね。当事者の方にも参加していただくのが望ましいと思います。ただ、私の投稿はおそらくご遺族の感情を少なからず害します。そのことだけは事前に了承されたうえで参加していただけると有難いです。
投稿: 英火 | 2009年5月 7日 (木) 23時22分
こんなところで、なぜ死刑制度の是非や裁判員制度について語っているのか。
何も言わないのであれば死刑制度は存続するし、裁判員制度は施行されるのであるから、そもそもこのブログの目的は、それに否やを唱えるためのものでしかないのは自明のことだ。
こんなところでその議論をすること自体がすでに偏向であり、このブログ主の思惑通りに踊っているだけと知るべきであろう。
法律はどうあれ、他人の人間性と人権を蹂躙しこの世から消去した人間の人間性と人権が保護されるなどということを求めてはならない。
この死刑囚が、被害者の人間性と人権を消去した時点で、死刑囚の人権を容認することは理にかなわない。その人間性と人権が那由他の広がりと重さを持とうとも、それは「1-1=0」という単純な方程式の問題であるからだ。方程式は宇宙普遍の論理であって、そこに人間性が介在する余地など微塵もない。
我々はコンピューターのごとくに、方程式のごとくに、死刑囚の人権と人間性は被害者のそれと価値相殺されたものとして一切を無視すべきである。それが人道である。
こんな単純なことがわからない人間は、そもそも偏向しているのであって、人権について議論をする資格はもとよりない。
投稿: 義烈 | 2009年5月 7日 (木) 22時41分
ABCさんていったい何者ですか?よくも寿命を全うしたと考えたい など言えますね 死刑に値する価値さえないって 生きてる価値さえないでしょうに 被害者はやられ損ですか?そこまでの死刑廃止って理解できません
投稿: | 2009年5月 7日 (木) 22時14分
英火さんへ。正直申しますと私はそれぞれがそれぞれの意見を議論しあうのがいいとずっとコメントしてきました。人それぞれ考え方が違うのも当たり前。ましてや人の命がかかるこのブログなので、賛否様々だと理解してきました。しかし我々は幸いにも部外者です。小田島の日記に対する以外の考え方のぶつかり合いが議論の中心です。しかしそこに傷つく意見があったのかもしれない。英火さんや億さんやABCさんの意見は貴重です。なんとかこのブログが存続して欲しいというのも私の本心です。出来れば当事者の方に、もっとコメントを寄せて頂いて、この難しいテーマをより多くの方々と議論できたらこのブログの意義も見いだせるような気がします。そして出来れば重要コメントを抜粋して小田島に渡す事が出来、その返信をこのブログで発信出来ればすごく価値が見いだせるような気がします。
投稿: 冠 | 2009年5月 7日 (木) 21時44分
冠さん(5月7日(木)16時23分)へ。死刑廃止を唱えるからにはご遺族の感情と対立する部分が必ず出てきます。それは以前から覚悟していましたが、実際にご遺族の投稿があってから、この掲示板の空気が明らかに変わったようです。実は私も、以前のように正面切っての死刑反対論を展開できず、比較的理解が得やすいだろう死刑囚による情報発信などの話題でお茶を濁していた次第です。
覚悟を固めていた私でさえこんな情況では、すでにご遺族の訴訟参加が認められ今月から新たに始まる裁判員制度。裁判所が「重大事件」と認めたか否かが死刑とそれ以外の刑の分かれ目になりそうです。もう何度か書いてきたかもしれませんが、ご遺族にとっては自分が巻き込まれた目の前の事件がすべてです。でも私達までご遺族と同化してしまってはいけないと考えます。他の事件・事故にも視野を拡げ、制度としての整合性を考えないといずれ袋小路に行き着くしかありません。ご遺族の目線で刑罰を決めてしまって本当に良いのでしょうか。
死刑囚による情報発信については、ご遺族ではなく私たちが囚人を殺すのですから、受刑者がいまどんな状態なのか知る権利と義務が主権者たる私たちにはあると思います。
投稿: 英火 | 2009年5月 7日 (木) 20時49分
管理人さんへ。
このブログが被害者遺族に対して不愉快な思いをさせているのではないか?
という投稿についての見解を斉藤さんに聞いて頂きたい。
冷静に考えてみれば、現在収監中で事件後間もない小田島死刑囚の日記というのは、大変興味を惹かれる題材ではあるが、事件に関わった当事者にとってはあまりにもリアルなブログであることは容易に想像出来る。
前回の斉藤さんの動画コメントで、さりげなく言われた「そろそろブログ辞めようか。」とのコメントを思い出しましたが、このような状況を想定してのコメントだったのでしょうか。
ここで議論されてきた内容は被害者遺族にとっては不愉快な内容も多々あったことは否めませんが、実際に起きた事件を現行法で解釈したり、この国の司法制度の矛盾を指摘したりと全くの無価値であるとは私は思っておりません。
そして、これまでここに数多くコメントを投稿してきた1人として被害者遺族に不愉快なコメントも多々あったであろうと反省しております。
投稿: 土建屋40才 | 2009年5月 7日 (木) 20時07分
宅間や加藤智大なんかは精神鑑定したら異常者にきまってるやん、まともなやつは、あんなことするかいや!精神鑑定に意味ないわ。
精神薄弱なんか関係ない死刑じゃ!
投稿: | 2009年5月 7日 (木) 19時53分
億さんへ
良いですよ。ってあなたが決めないでください。
児童9名の遺族の方々にこの意見が言えるのでしょうか。
投稿: ウコン | 2009年5月 7日 (木) 17時40分
このブログは無意味無価値である。
またそうであらねばならない。
なぜか。
殺された被害者はこうして自分の思いをつづる時間と機会を与えられたであろうか。
答えは否である。
なんの自己表現、訴えの機会もなくこの死刑囚に殺されたのである。
なのになぜ、死刑囚の死ぬまでの思いに、人々があれこれ思索をめぐらさなければならないのか。
またそれによってなぜ価値判断が揺らがなければならないのか。
しかもそうして形成される世論に対して、被害者には一切の反論も抗弁の機会もない。
それはまさしく不平等である。自分はそれに義憤を覚える。
このブログに書かれていることを我々が考慮する時点ですでに、被害者と加害者の扱いに不平等が生じているのである。
このブログに感化されている人間は、己のそうした不正義、不見識を猛省すべきであろう。
被害者の苦痛と無念を知れ。公平性を知れ。
自分はこのブログに書かれていることを一切存在しないものとして価値判断しなければならないと信じる。
このブログは無価値でなければならない。
このブログは無価値である。存在しないものである。
そのように扱うことが真の社会正義であり、被害者に報いる人道、人倫である。
投稿: 義烈 | 2009年5月 7日 (木) 17時24分
億さんへ
有り難うございます。億さんのように毅然とした投稿は逆に清々しいです・・
あまりにも悪質極まりない事件だったので投稿出来なかったです
自分が毅然としましょうとか言っときながら、お恥ずかしいかぎりです
投稿: ABC | 2009年5月 7日 (木) 17時21分
英火さんへ。私も冤罪等による不当拘束や不当バッシングを受けている方の発言の場は増えてもいいと思うし、あるべきだと思う。以前からこのブログで議論されてきた事だが、被害者遺族の気持ちを果たしてこのブログは傷つけていないだろうか?犯罪者家族の立場をこのブログはますます悪い立場にしないだろうか?遺族さんがコメントされていたが、小田島に家族を殺され、一刻も早く死刑を望んでいるとあったが、死刑廃止論は果たして正解なのか?家族が死刑執行された方もコメントを寄せられていたが、その方の気持ちを傷つけていないか?このような特異なブログを有意義であるブログにする為に、色々な立場の方々が読まれていると認識して意見を交換していきたいと思う。以前は殆どコメントもなく、全く注目されていなかった頃、私も好き勝手に書き込みをしていた。今後は気を付けたいと思う。
投稿: 冠 | 2009年5月 7日 (木) 16時23分
ABCさん。
宅間元死刑囚の刑罰は心神耗弱で現行法の『○特無期懲役刑』で良いですよ。
公判での精神鑑定書と検察サイドが後発表した精神鑑定書は重度が違います。
よって減一刑。
世論と刑事行政が治安維持のため死刑を回避すべきではないと判断した結果と考えるべきではないでしょうか…
宗教感から派生している死刑反対意見の中に肉社会の感情が入り込んでますよ。
(失礼だったらスミマセン)
投稿: 億 | 2009年5月 7日 (木) 01時16分
冠さん(5月6日(水)22時43分)へ。田園調布資産家殺人事件の犯人として懲役20年の有罪判決を受け満期まで服役した方が出所後に、「雪冤闘争宣言」というブログを立ち上げて冤罪を訴えています。私の印象ではおそらく冤罪かな…と感じていますがそれはともかく現状、彼らに比べて獄中死した受刑者や死刑囚が不利であることは否めません。小田島さんはいまのところ裁判に対して不平を述べていませんが、原則論として市民に直接冤罪を訴える機会は保障されるべきだと私は思っています。
投稿: 英火 | 2009年5月 7日 (木) 00時55分
5月4日にJWABEでこのブログの討論が行われていた。このブログが存在するべきか、あってはいけないブログなのか。その意見の中に小田島は他の死刑囚に比べ、意見を外の世界に発信できるので不公平だ。との意見があった。確かに。あらゆる意味で注目を集めるこのブログだが、被害者遺族の方や死刑囚を身内に持つ方のコメントが寄せられるようになった。以前は小田島に近しい方のコメントもあった。ここに書き込みをする殆どの方は無関係な人達である。果たして無関係な我々が議論をする事で不愉快な思いをされている方がいるのなら考えなければならないのかもしれない。今までベールに包まれていた死刑囚の日常を知る事が出来、大変興味深く見てきたが、第二第三の他の死刑囚ブログが出来れば冤罪を主張したり、被害者遺族を傷つける内容の日記が出ないとも限らない。例えば注目度抜群の林真須美のブログがあったとして、ひたすら冤罪を主張すれば同情や真犯人は別にいるなどの世論によって死刑が無くなるかも知れない。幸い小田島は罪を認めているのでそれは無いが。このブログの注目度が上がれば上がる程あらゆる危険があるような気がする。
投稿: 冠 | 2009年5月 6日 (水) 22時43分
このブログの担当者であります、斉藤さんの手のひらの上で、このブログをりようして、投稿する皆さんを踊らせているような感じがします。確かに憲法で表現の自由が認められていますが。私もですが、他の皆さんも小田島死刑囚について意見がありますが、もうすぐ裁判員制度がスタートしますし、死刑制度についても、このブログに投稿していますが、別の方向性にならないよう、みんなで、小田島死刑囚のことだけにとらわれないよう、冷静に意見を投稿した方がよいのかと思われます。憲法で自由権が保証されていますが、「公序良俗」というのがあることを注意してはいかがでしょうか?死刑制度について、皆さんの意見をいいように利用されないためにもです。ちなみに誤解のないように私は、弁護士ではないですし、公務員でもありません。三国志に出てくる諸葛孔明のように多方面のアンテナで意見を投稿した方がよいと思います。
投稿: 阿斗 | 2009年5月 6日 (水) 20時56分
先ほどの投稿の最後、「無駄な相談」は「無理な相談」の打ち間違いです。
それから、加害者の心理を追った記事(今年3月)を見つけました。当時のこのブログの様子についても触れられています。こんな記事を書けるのは、こういう小さな出版会社だけだろうな、と思いつつ紹介しておきます。もし気が向けば、先ほどのURLと併せて多くの方に読んでいただきたいと思います。
http://gekkankiroku.cocolog-nifty.com/edit/2009/03/post-090e.html
投稿: 英火 | 2009年5月 6日 (水) 19時16分
自分がやった事をな、「反省」出来る人間がおれにはわからない
お前のみてるせかいはお前だけのものだろ
何他人のことばっかし考えてんだよ
罪を罰する。それは、何の為にやってるのか、その時代遅れの脳みそでもう一度考えとけ
獄中でうじうじ文字かいて、他にやることねーのかよwwwwwwwwwwwwwwwwwww
引きこもりがwwwwwwwwwwwwwwww
まだお前は生きてるんだから、最後の最後のまで魂燃やせよ
まぁ史上初のブログおめでとう。
今お前は、かなりの人間に注目されている
だから、せめてかっこよく死ねよ
男が一番かっこよく見えるのは死ぬ時だ
ニュースとか全然見ない俺様に
もう一度このブログを開かせる事が出来たなら、
お前の名前をフルネームで覚えておいてやるよ
投稿: る。 | 2009年5月 6日 (水) 18時38分
彩さん。
皆の意見を聞くということは、とても勉強になると私は思っております。
そして、普段タブーとされがちなこのようなテーマでこれだけの意見を拝見出来るのはあまりないと思います。
投稿: 土建屋40才 | 2009年5月 6日 (水) 17時09分
彩さん(5月6日(水)08時34分)へ。私も、小田島さんについて普段感じていることを率直に書いてみます。小田島さんの記事内容は、事件のことに全く触れなくなり、日増しに自己愛(家族愛も含む)が大きくなっている感じです。恩義に誠実さをもって応える器量を備え、妻子や親族に愛され、一審の死刑判決をそのまま受け入れる潔さを持つ一方で、身内以外の気持ちを本心から思いやることが彼にはできないように見えます。
http://www.geocities.jp/yanbaru5555/jikoai.htm
一見不可解な個性であるように思えますが、彼の性格は実は、上記URLの自己愛性人格障害の特徴にほとんど当てはまります。何度か離婚を繰り返したのも他人との適切な関係が築けない表れだと思います。
ご遺族や多くの国民にとってはだからどうした?という類の話でしかないことは重々わかっています。自分の私生活を思い返しても、「相手にどんな事情があったとしてもこんな奴とは仲良くできない、早く死ねばいいのに」と思ったことが何度かありました。でも、そのように思うのはよくないことだ、と自分に言い聞かせてきました。もちろん自分が傷つかないように、その相手とは距離を取ります。しかし自己防衛を超えたイジメまではしたくありませんでした。書いてるうちになんだかグダグダになってきましたが、理性で考えたことと感性で思ったことはときにまったく別の結論を導きます。そしてどちらを正解とするかは、人によって場合によって様々だ…と私は思っています。死刑問題についても(私は死刑反対ですが)、理屈だけで割り切れ、と言うのは無駄な相談ですね。
投稿: 英火 | 2009年5月 6日 (水) 14時37分
英火さんへ
わざわざありがとうございます(^-^)
私は結構まわりに気持ち流されてしまぅこと多いんです。それに自分の意見をだらだら述べて終わってしまぅ人間で…。そういう面、私も成長したぃと思います。
てか
たくさん思うことがあります。
まずこのブログ自体について。
…最近たくさんの人の意見見ながら思ったこと。死刑囚の最近のブログの内容みて思ったこと。もうこのブログ存在するべきじゃないと思った。誰かのコメント見て気づいたけど、被害者の立場からみたら悔しいって思うと思う。それに死刑囚の心理公開して管理人さんわどうしたいの?って疑問が湧いてきた。
でも私はたくさんの意見見れる場所があるとこがあって嬉しいです。
べつの掲示板で話し合うのがベストかな(´・ω・`)
殺人…
被害者怖かっただろぅな…
包丁で刺されたり…
投稿: 彩 | 2009年5月 6日 (水) 08時34分
マダオさん。
確かに議論の火種を絶やさないという意味で国会議員の選出は大事になりますね。
法相時の死神ポッポは、何気に問題提起をしてくれたと思ったのですが、それを更に喚起する人が続きませんでした。
この論議は前にも書き込みましたがアメリカが完全死刑廃止国になった時の外圧を受けた政治判断で決着するしかないとは思ってますが…
投稿: 億 | 2009年5月 6日 (水) 00時05分
ウコンさんへ
すみません答える事が出来ません
正直私もわからないんです。
投稿: ABC | 2009年5月 5日 (火) 23時23分
彩さん(5月5日(火)16時32分)へ。前回の投稿で彩さん達(高校生)のことを利用してしまったみたいですね。深くお詫びします。
判決や制度の是非を検討することをご遺族の感情を理由に自粛したりすべきでないと私は思います。しかしそのことは、私個人の意見として表現すべきでした。彩さんや他の人は私とはまた違う意見を持っていることをこれからは尊重します。
投稿: 英火 | 2009年5月 5日 (火) 22時57分
億氏へ
だからこそ選挙に行ってきちんと国会議員を選ばないとならないと考えます。一応最高裁判事も罷免できると思いますし・・・
批判しても変わらないのなら、そもそも死刑反対を訴えても変わらないと思います。私は批判して訴え続けることが将来国民が死刑制度をみんなで考え直すきっかけになると考えます。
国家権力を批判することをやめれば極端な話ですが独裁国家を生む温床になり、そうなれば、死刑廃止とかの議論もできません。簡単に言えば今の北朝鮮でこの議論ができるか否か?です。
私はそうなりたく無いと思っています。
これでも死刑賛成派ですが、これが私が考える批判と議論することは必要の理由です。
投稿: マダオ | 2009年5月 5日 (火) 22時53分
ABCさんへ
宅間守の死刑はダメなんですねぇ・・・。
でわ、死刑がダメなら、宅間守みたいな犯罪者はどういう刑罰が妥当なのでしょうか?
投稿: ウコン | 2009年5月 5日 (火) 22時05分
死刑を今すぐにでも
実行すべきだという
気持ち強まる…
投稿: 彩 | 2009年5月 5日 (火) 16時32分
ウコンさんへ
残忍極まりない事件の宅間守、マブチモーター事件の小田島死刑確定囚、両者のみならず殺人事件をあえて比較しないようにしてます。殺人事件の案件等に感情を入れてしまう事こそ彼等の思う壷で、それこそ彼等のアイデンティティを認めてしまう危険性が有ると思います。
人の命は長く生きたから幸せで勝ちだとは少しも思ってません、短い人生を強烈に生きた英雄も沢山いますし。亡くなったかけがえの無い子供達も父母の愛情を一身に日々受けながら生きていたのですし強烈な事件の被害者と言うより子供達こそ英雄です。不幸な出来事でかわいそうと見るより、神様から与えられた寿命を全うしたと感がえたいです。
結論として難しい問題ですが、それでもやはり対局的に見て死刑にこだわる必要性は無いと判断してます。殺す(死刑)に値する価値さえ無いとおもいます。武力に武力では無く、偉大な先人達の知恵で次の世代を創造して行くのが何よりも得策ですし。
どの殺人事件も均一に考える事こそ私達が不条理に対抗する道かもしれません。
凄い事件だとか恐ろしい事件だとか定義せず、毅然とした気持ちでいたいです。
投稿: ABC | 2009年5月 5日 (火) 12時30分
マダオさん。
それならば裁判所の刑事部編成から確定判決アリキで各事犯の振り分けと任命がなされることからチェック機能を働かせるべきです。
検察官、裁判官が出世していく慣例にも着目すべきです。
東京地裁の若きエースと嘱された麻原確定死刑囚の陪席裁判官は将来の最高裁判事へのコースを着々と歩んでおります。
求刑、判決は営業成績ではないですよね。
当局の恣意性は一歩踏み込んで追跡すると、浮き彫りになります。
歴代の首相、法相を輩出している選挙区でおきた事犯の確定死刑囚の執行が早いのも偶然ではないでしょう…
これらは批判しても選挙で変わる類のものではないです。
投稿: 億 | 2009年5月 5日 (火) 12時00分
億氏へ
私は神様はいませんが、人が人を裁く傲慢さと怖さと与えた権力の大きさも理解しているつもりです。
そこでですが、私が伝えたいことは、
国家に与えた権力が正常に機能しているか、なんでもかんでも死刑にしていないか?裁判員は何かの受けていないか?死刑ばかりにする判事はいないかその逆はないかなどをよく知り、それをジャーナリストは真実を伝え、それに対してチェックし、批判すべきは批判するのが国民の義務と考えます。でないと権力を持った人でも機関でもいずれは腐敗すると考えているからです。
ですから、死刑廃止派の方も今すぐは無理でも死刑を批判し続けて良いと考えます。
その考えが受け入れられる時が来るかもしれません。
でも批判することをやめてしまうと、その時は絶対にきません。
すいません、わかりにくいと思います文章が下手ですから・・・
一番簡単に言うと、「みんな選挙に行きましょう」です。
私はあくまでマダオ(まるでだめなおっさん)ですのであしからず。
投稿: マダオ | 2009年5月 5日 (火) 04時17分
ABCさんへ
さすがに宅間守は死刑でもいいんじゃないでしょうか?本当にダメですか?
投稿: ウコン | 2009年5月 5日 (火) 00時59分
元祖何様氏へ
返答ありがとうございます。敢えてぼやかす為に抽象的という言葉を用いましたが、私の真意を察して頂き感謝します。
投稿: 生意気御免 | 2009年5月 5日 (火) 00時39分
ところで、このブログは小田島氏が斎藤氏に送った何十枚?の手紙の中の抜粋なんですよね。
でしたら、執行された後に、手紙の内容全てを出版してほしいです。
投稿: 咲いた~中立ップの・・ | 2009年5月 5日 (火) 00時13分
土建屋40才さん。
死刑廃止論者は基本的に存置論者に打たれながらも持論を固持してきた人達ですから存置論者の意見に対してあらゆる引き出しを自ずと持ってしまっていますね。
投稿: 億 | 2009年5月 5日 (火) 00時11分
元祖何様さん。
一点へのご返答。
刑事行政における『更生保護』
世間一般には加害者を矯正施設に入れて更生させるイメージが先行しますが、その一方でそういった犯罪から社会を更生(健全化)させて保護するという側面も含まれています。
なので確定死刑囚も法の基に更生保護を受けなければならないですし、被害者の公共福祉も保護されなくてはなりません。
投稿: 億 | 2009年5月 4日 (月) 23時58分
納得がいきません!
死刑になるほどの犯罪を
犯して拘置所の 中で
普通に食事して…
被害者がこの死刑囚に
対して 何をしましたか?
死刑制度は必要悪だと
思うし
首 吊って死刑するより
もっと苦しみぬいて
死刑にするべきだと
思います。
投稿: K | 2009年5月 4日 (月) 23時10分
殺人犯に対して、死刑執行を強く望んでいる人達は「自分が良ければそれでいい。」という身勝手な感情論をいかにも正当であるかのように掲げている。
「憎ければ、殺人犯なら死んでも(殺しても)いいじゃないか」
「目には目を、人殺しには死刑を」
自分が「人を殺してはいけない」という、常識を守っているからこそ、「人を殺してはいけない」というルールを守らなかった、殺人犯に対して、異常に厳しくあるのだろう。
そうして、自分が如何にも「善人」あるかのように他者へ誇示することで、自慰的な効果がある、のかな?ただの憶測だけど。
死刑を強要する人達は、違う世界(国)で、自分達が望んだ無慈悲な世界で生活を送ればいいと思う。というか、そうして欲しい。
投稿: あ | 2009年5月 4日 (月) 21時42分
死刑廃止論者を否定するのは実に簡単です。
何故なら死刑確定囚はそれ相応の罪を犯してますから。
私も当初はこのブログで「確定から執行までの期間が長すぎるのは税金の無駄使いである。」みたいなコメントを投稿していました。
しかしこのブログで死刑廃止論者と議論してみて私なりに感じた事があります。
死刑廃止論とは実に奥が深い理論であるという事。
近代国家の歴史を冷静に見つめ過去の判例を紐解き、死刑廃止論に辿りついた方々の感性は実に鋭く理路整然としている。
私は今のところ死刑廃止論者でも賛成論者でもありませんが頭ごなしに死刑廃止論者を否定するのはあまりにも浅はかで進歩がない事だと感じています。
投稿: 土建屋40才 | 2009年5月 4日 (月) 21時08分
死刑囚の生活は楽とは聞いてたけど、ここまで楽とは…。適当に再審請求とか出しとけば、執行は先送りになるんでしょ。税金搾りあげられてる俺より優雅な暮らしだにゃぁ。
投稿: 執行漢 | 2009年5月 4日 (月) 20時48分
死刑制度 肯定、否定、中立、問わず
まず、今からTUTAYA行って「デッドマンウォーキング」か
「ダンサーインザダーク」を借りて観よう。
投稿: | 2009年5月 4日 (月) 20時13分
税金の無駄
早く執行して
投稿: 鹿 | 2009年5月 4日 (月) 20時05分
人間は群れを作る動物である。
群れのルールからはずれた行動を起こした個体は排除され時には殺される。
自然界で当たり前に行われることは人間には当てはまらないのだろうか。
それとも人間は高尚な動物だから別の方法を模索しているのだろうか。
私は所詮人間は動物にすぎないと思う
投稿: | 2009年5月 4日 (月) 18時18分
小難しい事言わずにさっさと犯人死刑にしろよ。
死刑がダメって奴は何が対案に成るわけ?
手足チョン切って達磨さんにして東京駅で飾ったり、炭鉱とか鉱山で死ぬまで重労働を課して、苦しんで死ぬように飯の塩抜くとか、そういう地獄を味あわせて生かすというのなら、話はわかりますがね?
どうも、死刑廃止を叫んでる人には、殺し得、犯罪したもん勝ちの犯罪者至上主義を掲げてるようにしか思えません。
さらに、同情を乞い、金を[善良な市民]からカンパという形で巻き上げて、私利私欲の為にマスメディアとスクラム組んで飯の種にしている姿は見ていて不愉快だ。
一生懸命働いて、職場でぼろ糞に言われて、死にそうになっている人がいる。その人は、弱く社会から救いの手を延ばすべき、善良なる人である。
しかし、人を殺せば、それは犯罪者である。弱者ではなく、人殺しと言う犯罪者になるのではないのですか?
弱者だから犯罪を犯したなんて理由にならないのではないのでは?毎日必死に生きて、人殺ししたい!金のために盗みをしたい!そう思っても実行せずに、ただ黙々と働いて生きている人間に救いの手を延べるべきではありませんか?
社会の、常識の、人間としてのルールがある。それを守れない、守らない、そういう人間に処罰があって当然だ。
こんなブログ作ってる暇があったら、本当の弱者、日々辛い思いをしている庶民(在日とか特殊部落・エセ部落は、金銭的・税制的に優遇されてるから除外)の目線から、ルポでも書いて発表してください。
投稿: | 2009年5月 4日 (月) 17時54分
死にたくないだろ?
殺された奴も同じだったんだ
その恐怖はあじわって当然
まぁそれで死刑ってのも考えもんだけどな
投稿: | 2009年5月 4日 (月) 17時36分
ご遺族の方、本当に無念でしょう。
小田島死刑囚が今朝食べたパンの代金。
死刑囚を生かすために、まさにこの瞬間も被害者であるご遺族が税金を払っているのですから。
お金で命は買えません。
しかし、お金は人の人生、命からできているのです。
血税というのは大げさでもなんでもなく、
本当にあなたの血でできているのですよ。
あなたの全身にたかる何万匹もの蚊。それが受刑者の正体です。
投稿: 遺族の方へ | 2009年5月 4日 (月) 17時10分
死刑廃止論は破綻論
投稿: | 2009年5月 4日 (月) 17時07分
お前は反省しているのか!
死刑反対を唱える輩は自分の家族を殺されても
死刑反対と言えるのか。言えまい!
他人事だから言えるのだ。
こんな輩はさっさと刑を執行しろ。
俺が払っている税金でこんな奴の食費に
使われていると思うと空しくなる。
投稿: 天 | 2009年5月 4日 (月) 16時58分
自分は幸いにも、被害者立場でもなく、加害者立場でもない。
被害者遺族からのコメントが寄せられているが、ブログの存在そのものが、被害者遺族の琴線に触れたとしても、客観的な視点に立って、議論している内容は真面目なものだと自分は思っている。
確かに、被害者でも加害者でもない我々が勝手に意見を述べ、議論しているのは当事者にとっては不愉快かもしれない。だが、しかし、斉藤氏も言われるように『デメリットはあるかもしれないが、ブログという手段により死刑確定者の現実の姿を世の中の不特定多数の人へ伝え、たとえ匿名であってもブログ上で真剣な議論が生まれていることは、ブログを続けてきた成果だと思う』という趣旨に自分は賛成である。
客観的な立場であるから、被告側にも加害者側にも偏らず、裁判という日本の司法の長所も短所も見極め指摘できるのは客観的立場の人たちではないのか?このブログの意義は、今まで国民に閉ざされてきた死刑囚の実態を(依然厳しい検査があるとしても、)ストレートに発信していることではないか?
自分が思うに、我々国民が望んでいることは、全ての情報を婉曲したりプロパガンダのための誇張をせず、そのままダイレクトに国民に包み隠さず発信して欲しいと思っているだけだとおもう。そのうえで判断するのは国民各自ではなかろうか?
現状は、国民及び世論は的確な情報も受信しないまま、メディアによるプロパガンダに流され、突如、裁判員制度という国からの押し付けで裁判に参加させられる。
国民が被告の生死を否応無くジャッジする立場にたたされるのなら、少なくとも死刑囚の現状を死刑囚の立場から情報を得るのは有意義ではないのか?そしてまた、それとは別に当然被害者遺族からの情報も大事だと思う。
我々国民が公正に犯罪を裁くために、むしろ公正な裁きが出来る国民になるためには、あらゆる情報を正しく隠さずメディアや国が発信することではなかろうか?
投稿: 元祖何様 | 2009年5月 4日 (月) 16時54分
生意気御免氏、億氏へ
返信が遅れてしまって申し訳ない。
生意気御免氏へ
貴方が、『抽象的な部分』という表現を使ったので、自分が勝手に横槍で、前回生意気御免氏へ質問の形で投函したのだが、貴方の返信を読んで、『抽象的な部分』とは、『人間は罪を犯すという定義を大前提に、死刑廃止に結びつけるのは強引』という意味なのだとわかって納得した。貴方の意見に対しては、過不足無く自分も同意である。
億氏へ
億氏は死刑廃止派であるので、それを前提に、死刑制度廃止後の『接見禁止の終身禁固刑』ということで前回自分は億氏にコメントをした。前回の億氏の回答『接見禁止の終身刑は‘檻の中の人’を生涯監視する意味ではなく刑事行政の更生保護の観点から公共の社会福祉から隔離することです。』が自分には理解不能である。
死刑囚に対して『接見禁止の終身禁固刑』を導入するのなら、何故教養を高めるための読書が必要であるのか疑問であるし、『更生保護の観点』を主張するのかがわからない。
無期囚人以下の刑のための更生と死刑囚に反省を促すための処置とは明らかに違う。
自分の質問は
『刑事行政の更生保護の観点から公共の社会福祉から隔離することです。』をもっと具体的に示して欲しいということ、その一点である。
返答をお待ちしている。
投稿: 元祖何様 | 2009年5月 4日 (月) 14時37分
昨日 このブログの事を知り最初から読ませて頂きました。かなり怒りを感じ遺族の方々の胸中を思うと このブログの廃止を願います。このブログの死刑囚の手記内容からでは死刑囚の日常生活は楽そうに感じた。栄養バランスを考えられた三度の食事。入浴。そして自主的に行う適当な運動。5時から仮就寝。それ以外は手紙を書いたり読書三昧。見るからに優雅な生活に感じられる。今 世の中には失業し家を失い三度の食事さえ出来ない人達が沢山いるのに暢気に入浴時間を延長して欲しい?面会の時に週刊紙の差し入れ要求?妻子に仕送り?そして死刑囚に、それらの行為を許可してる事に疑問を感じる。この死刑囚の手記から罪への意識なんて欠片も伝わってこない。この死刑囚の手記をブログで紹介する方の意図が理解出来ない。死刑囚が独房の中での食事のメニューなんて どうでもいい。愛読が何かなんて関係ない。世間に伝えなくてはいけない事が他にあるのでは?遺族の方々に伝えなくてはならない事があるのでは?残された命の中で伝えなければいけない事があるのではないの?このような無神経な手記をブログで紹介する価値があるのでしょうか?
この死刑囚の手記は今の社会に悪影響を促すのではと心配になる。今の世の中には自殺志願者が無数にいる。しかし怖さで自ら命をたてない者が、この死刑囚の手記を鵜呑みにして死刑を望み罪を犯す者が…そう考えたら危険なブログだと思う。そして遺族の思いを尊重するならば1日も早い死刑執行を願う。怨みという呪縛から少しでも解放できればと…
少し過激な表現かもしれないが死刑囚の独房にロープ ガソリンにライター 刃物。死刑囚が自ら選び行った日が死刑執行。
投稿: みゆぅ | 2009年5月 4日 (月) 14時19分
奇麗事は言わない、早く死刑するべき!!
光母子事件同様、反省などしていない。
投稿: 桜井 | 2009年5月 4日 (月) 14時15分
ご遺族を前に部外者である私がどんな声をかければよいのか、正直ことばが見つかりません。でも、このブログの意義について少し意見させてください。たとえ悪印象がほとんどであったとしても、仮に斎藤さんの売名行為であったとしても、死刑囚からの手紙を読むことで私を含めて多くの国民が死刑や人権について考えを深めようとしています。なかには、高校生からの真剣な意見や問いかけも見受けられました。死刑判決を受けた者はどんな人物なのか、そもそも死刑とは何なのか、といったことと私たちはもっと正面から向き合うべきだと思います。
産経新聞では、このブログは「死刑囚についての予断をもたせる恐れがある」、という識者のコメントが紹介されていました。しかし仮にこのブログが検察官または被告人のいづれかに不利であったり、ご遺族にとって不快であったとしても、言論の自由というストレステストを私たちは避けて通るわけにはいきません。不快な言論をも受忍しそのなかで確定判決の正しさや死刑制度の正当性を確かめ続けることは、民主主義にとって必要なコストのひとつだと思います。
投稿: 英火 | 2009年5月 4日 (月) 14時06分
憎しみは憎しみを生み、後悔は後悔を生み、流血は流血を生みます。
死刑はなくてはならないもの、ですが、簡単に死刑死刑と騒ぐ方々の意見が理解できません。
被害者の意見を考えれば死刑死刑と騒ぐ意もわかりますが、死刑囚にも家族はいます。
早く死ねなど書き込む方々は人間としての心が、殺人犯と同じです。
私は終身刑制度を設けるべきだと思います。
投稿: ゆら | 2009年5月 4日 (月) 12時14分
私には、誰の気持ちもわからない。みんな、なんで、上から目線?
投稿: | 2009年5月 4日 (月) 12時11分
獄中ブログ 最近知って昨晩から最初から読んだ。正直 怒りを覚えた。本当に これが死刑囚のブログなのかと。罪の意識・又、遺族への思いは何一つ感じる事の出来ない内容である。それに1日中独房の中でボーっと過ごし三度の飯が与えられ たらふくの読書。外にいる人間の方が今 死刑囚みたいだ。仕事でリストラにあい住む家もなくなり今1日一食の飯にさえもありつけないで死を迷い彷徨ってる人間が沢山いる。そんな人間から比べると一冊千円もするような本をたらふく読み おまけに 家族に仕送り?何か可笑しい。このブログすぐに止めるべき。今 世の中には自分では死にきれない自殺志願者が山程いる。この死刑囚のブログの内容では死刑を望み犯罪をする輩が出てくるかもしれないと思ったのは私だけ?独房の中の三度の飯の献立なんて どうでもいい暇まかせに読んでる本なんて関係ない。そんな死刑囚に世の中の情報なんて必要ない。音楽なんて読書なんて必要ない。死刑囚に必要なのは遺族との面会だと思う。遺族の生の声を伝えるべき。悲しみを身に持って感じるべき。優雅に読書させてる独房に果たして良いのか疑問。私が遺族の立場でしたら このブログの内容・存在自体を許しはしない。それに このブログで報酬を得てる事態何か大きな問題のような気がする。
投稿: 少女A | 2009年5月 4日 (月) 12時01分
マダオさん。
女性の量刑が軽い傾向は仮釈放の期間からしても顕著に表れてますね。
機会均等ながらも種の発展、存続という人類の本能なのだと思っています。
国家に任命された人が職業として社会正義と国家秩序を守る。
誰かがやらなければ成り立たないですが、どなたかのコメントの自分に都合の良いとこ取りですが、やはり人が神の如く人を裁くという傲慢な行為という捉え方が根底にあります。
また逆に質問ですが、その確定判決をチェックする機関を設けて批判したところで被確定判決者の判決意義申し立ては即時却下されますし判決文訂正申し立ても効用がありません。
確定判決の批判システムとは具体的にどのような手法、法整備なのでしょうか?
ただ批判するだけなら意味を為さないと思うのですが…
現状それはごく一部の冤罪者救援組織しかなく門戸の狭い再審請求となりますが、それを国民がジャッジできるシステムということなんでしょうか?
投稿: 億 | 2009年5月 4日 (月) 11時39分
犯罪者を死刑にして何が解決するのか?
凶悪犯罪者が現れたら「はい、死刑」なんてことを繰り返してても世の中から凶悪犯罪は無くならない。かと言って懲役にすればいいってもんでもないですけど・・・。
何故その人が罪を犯してしまったのかを徹底的に調べ、社会から犯罪者が生み出される要素を見つけ排除していかないと駄目だと思う。
何か大量生産している工場で1000個に1個不良品が出来てしまうとした場合、不良品で使い物にならないからとそれを捨ててしまっているのと同じ。不良品が出来てしまった原因を取り除かないと本当の解決にはならないってことです。
人は周りの環境に影響されてしか成長できない。勿論犯罪を犯す要素/資質のようなものも先天的/遺伝的にあるのかもしれないけど環境による部分の方が遥かに大きいと思う。
犯罪者の家族/友人/学校、またマスメディアや音楽、インターネット・・・などなどその人を取りまく全ての環境(社会)が犯罪者を生み出すきっかけになってしまったんだと言うことを理解しなければならない。犯罪者も社会によって作り出された被害者であると言えます。
死刑制度を無くせと言ってるわけではありません。罰則を厳しくすれば犯罪が減るのは事実ですから。ただ死刑にすればいいってもんじゃないってことです。
さらには、懲役や禁固刑にすることすらも何の解決にもなっていない。出所してきた犯罪者がまた同じ様な犯罪を犯すことも少なくないわけで。服役中に教育をして確実に犯罪を犯さないであろう立派な人間に成長したことを確認して出所させないと駄目だと思う。
犯罪に対する社会の取り組み方自体を見つめ直す必要があると思う。
投稿: かつみ | 2009年5月 4日 (月) 10時30分
遺族でもない赤の他人が
上からものをいう権利は
無いと思います。
投稿: | 2009年5月 4日 (月) 08時56分
パトラッシュさんへ
私は死刑反対派ですが、日本はまだ民主主義に以降して欧州に比べるとまだ若いだけで、廃止への移行には暫くかかるだけで追随するのは濃厚だと思います。
したがって死刑が無くなれば犯罪が増えるとかは欧州の比較から全くのナンセンスです、逆に日本で死刑になりたいと願って宅間守のようなモンスターも現れましたしね。
反対論者側も犯罪が少なくなるよう願ってますし皆が加害者の人権を論じてる訳では無いです。
投稿: ABC | 2009年5月 4日 (月) 08時43分
斎藤様。
遺族からするとこうして小田島の手記を公表する事で
何をしたいのか、また遺族側の苦痛は考慮に値しないのか、一体何を考えているのか疑問です。
全く関係ない人は好きに見れるし、また犯人の現在の心境は犯罪学の研究や社会意義的な側面として有用な事もあるでしょう。しかし内容の多くはそうした社会的な有用さをかけ離れ、私的な日々の羅列に過ぎないようです。
遺族感情を無視したデメリットよりこの内容でメリットの方が大きいと言えるのか?
正直ここのコメント欄でさえ不快に思える内容も見受けられますし、真摯にこうした活動をしていられると仮定して、一体この活動にどんな意義をお持ちなのか一度聞かせて頂きたい。
遺族からすれば、慈悲の言葉も達観した言葉も反省も必要ありません。それで遺族が帰ってくれば別ですが。
思うのは、私の遺族、また他の多数の命を不法に奪った小田島に、
一刻も早く同じ罰を与える事。
社会の公平さの意味、犯した罪に相応しい罰が下ることを切望するだけです。遺族の大多数はそうなのではないかと思います。
しかし、残念ながらこの社会は幸福にも遺族にならない側の人間の方が多いのですけれど。きっとわかって貰えないかと思いますが、遺族の立場になったときに、こうしたブログの存在がどう映るのか、分かると思いますよ。
本気で語る意思がおありなら、私は取材に応じても構いませんが、ざっと見た限り、これは売名行為のみとしか思えない。
ただ不快…、だからなんなんですか・・・?といったものがほとんどです
投稿: 遺族 | 2009年5月 4日 (月) 08時28分
被害者のきもち
被害者にしか分からない
投稿: 彩 | 2009年5月 4日 (月) 08時05分
死刑は早くしたほうがいい!
理由はどうであれ犯した罪は
早めに償うべきです!
酷くて重い罪を犯した人間に
人権なんて必要ありません!
投稿: 俺の意見 | 2009年5月 4日 (月) 06時51分
人を殺めばわが身も殺めよ。
責任をとり自ら毒を呷って死すべし。
法はこれを許容して毒を与えねばならない。
投稿: 沙門 | 2009年5月 4日 (月) 06時19分
私もニュースを見て来たクチなので人の事は言えないのですが、なんかドタバタと沢山人が来てしまって、これまでの議論の流れが止まってしまい少々残念に思います。
新規参入される方、ほんの少しで構いませんからこれまでの議論に沿った参加を心掛けて見ませんか?
私が参加した以降に来られた方の書き込みを読んで、少し思う所が有った箇所をピックアップしてコメントを書きます。
まず人権についてなのですが、これは以前から自分のHPでは結構取り扱っているトピックでして、基本、皆さんが使われる「人権」と言う言葉の意味は少し誇大解釈し過ぎだと感じています。
ここ20年ほどの間にメディアによってもたらされた「人権の誇大解釈化」は「自己愛文化の増長」を生んで殺伐とした世の中に変わって来ていると思っています。
本来の人権とは主に「国家暴力に対する権利行使」が本当でして、また「法律無ければ犯罪者無し」と言う原則から考えれば、法律もある種の国家暴力に成り得るんです。
ですので、法律による国家暴力から事実以上の罪を着せられない様に、又は国家暴力から少しでも自分の身を守る為に被告には「人権」が有るんです。
なので、本来は「被害者の人権」と言う言い方は「おかしい」んです。
被害者や遺族は別に国家から何かしら規制や制裁を受ける訳では有りません。
なので、本来は「被害者・遺族へのケア・システムが充足していない」と言うべき事柄で有って、逆に既存または新設されるケア・システムが上手く機能しない時に初めて被害者・遺族は「国家に対して」人権が守られていないと苦情を言える性格のものなんです。
また、受刑者に税金が使われる件ですが、私が死刑に反対な一番の理由は、受刑者が可哀想だからとかでは無くて、「死刑を求める群集心理」に魔女裁判やいじめ、戦争に通じる物を感じて恐いと共に絶望を感じるからです。
人権の誇大解釈にも通じる事ですが、結果として自己愛文化が進み、殺伐とした社会を構成しているのは国民です。
中には、「自分を他人の立場に置いて考え、自分が遺族になったら例え事故でも相手を殺したいと思う」と言う旨の書き込みも有りました。
死刑に賛成される方々の中には、感情的で悪人を憎む気持ちが大きい人達・・との印象を受ける事が多々有ります。
しかし、感情や憎悪は理性と対極的な物ですし、人は誰しも突然に精神を蝕まれる可能性を秘めています。
理性が薄く、すぐに人を罵倒出来る方などは、もし精神が蝕まれた際には犯罪者になる可能性が大きく有るのでは無いかと思っています。
また当然ながら、事故などは誰でもいつ加害者になるか分りません。
しかし人々は、「他人の立場になって考える」時、被害者の立場に立つ事は有っても加害者の立場に立たない人が多い気がします。
そんな群集心理で動いている世の中から犯罪者が出た際には、私は「犯罪者を育てた社会の責任」は必ず有ると信じています。
特に、イジメなどを受けて精神を病んだ加害者などは特にそう思えます。
犯罪者に使われる税金は、最低限の社会的責任だと私は考えます。
私は正直に申し上げて、カッと逆上して「ぶっころしてやりてぇ」なんて思った事も有ります。
しかし、冷静時に殺意を持つ事は無いと断言出来ますし、ましてや自分に直接被害を与えない他人に殺意を持つなんて有り得ない事です。
冷静時に他人に殺意を持てる人がやはり私は恐いのです。
また、なぜ死刑はすぐに執行されないのかと言う書き込みが多く見受けられますが、まず6ヶ月での執行と言うのはざる法で有って、現実的な事務処理の流れから不可能とされています。
また、過去に死刑判決後十数年経ってから冤罪が確定した事件などの前例も有り、死刑と言うのは「やり直しの聞かない究極刑」ですから、少しでも冤罪の可能性が有る人の執行や、再審請求の有る人の執行は保留されるのが常です。
冤罪の場合、死んでからでは取り返しが付かない事を考えれば、当然の処置だと考えます。
一部、刑法学者の発言を引用されている方もいらっしゃいましたが、ご自身の発言では無いのでコメントし兼ねるのですが、その引用を読む限りでは、やはり戦争だろうが事故だろうが悪意の大小や有無など一切関係なく人類が滅亡するまで報復合戦に発展しないと整合性が取れない理屈だと思います。
投稿: Toshi | 2009年5月 4日 (月) 04時09分
億氏へ
私は国家が決めるしかないと考えます。他が見当たりません。遺族と社会の為にその役割をするのだと考えます。ただし、国民はそれをチェックし何かあれば批判できるようにしておく必要があるとかんがえます。
それと、億氏と近い考えと思いますが、
若くて美人は罪が軽くなり、極悪顔は死刑になる可能性は心理学からも高いとおもわれます。残念ですが・・・
投稿: マダオ | 2009年5月 4日 (月) 04時08分
死刑囚の方にも生きている限り人権があります。
死刑執行まで恐怖におびえて生活をするんですから…
確かに犯してしまった罪は酷いですけど…
書き込みまでも死刑囚を追い込むのはちょっと…
投稿: 不明 | 2009年5月 4日 (月) 03時06分
WEBで知りのぞきましたが、ジャーナリストが死刑囚に寄生して食っているくだらないサイトと感じた。ジャーナリストは報道の自由をかさにきてプライバシーに土足で踏み込む。規制があるマスコミはまだしも、自由を履き違えてWEBで垂れ流す。社会には死刑は必要だがジャーナリストはいらぬ。知る権利よりも重要な知られない権利もある。見なければいいというかもしれないが、だれでも見れてしまうことが問題。私はこのサイトは二度と見ない。
投稿: えせジャーナリストへ | 2009年5月 4日 (月) 02時57分
死刑反対者は馬鹿
投稿: | 2009年5月 4日 (月) 02時52分
確かに小田島さんは
ひどい事をしたけど
みんなの言い方は酷いと思う。
反省してるかどうかは
本人しか分からない事だし
同じ人間なのに
なんでみんなが
上から目線でコメントしてるのか
分からない。
投稿: 名無し | 2009年5月 4日 (月) 02時22分
受刑者=あなたの税金 さんのような人が
ファシズムを生んでいくことに皆さんは気をつけてください。歴史をもう少し勉強して、自己反省することが必要ではないでしょうか。
もしこの社会が健全な社会ならば、罪を犯した人にも多少の寛容をもってせっするのではありませんか。いいことだけにお金を使うというのは、一見まともな意見に聞こえますが、汚いもの嫌なものにも施しを与えるのが功徳というものです。
投稿: | 2009年5月 4日 (月) 01時59分
死刑囚に人権や情けは必要か?日本の司法によって確定した刑、殺人者と言う事だが、殺された人間にあえて報われるとしたらやっぱりすぐ死刑では、終身刑が日本にあればどうだろう、死ぬまで刑務所?何が報われるのか?すぐ死刑だと地獄を見ずに?それではどうだろう?恐怖感をあじあわすことがベストだが?死刑反対論には理解できない。
投稿: | 2009年5月 4日 (月) 01時48分
逮捕歴あり さんへ
「勾留延長手続き」ではありませんよ。勾留を延長したときに、勾留を許可した裁判所に対してなぜ勾留を許可したのか説明を求める手続きで裁判所に行ったのです。つまりあなたが「説明しなさい」と裁判所に要求したから開かれた法廷です。あなたが(あなたが要求しなくても家族が求めてもよい)要求しなければ、開かれずに延長されたままです。
勾留の理由は犯罪を犯したかどうかではなくて、証拠隠滅や逃亡の恐れなどです。勾留しなくても起訴したり裁判をしたりはできるのです。裁判官は検察官の言うがままに逮捕状や勾留を認めるのが現実で彼らは公平な立場で自分の頭で考えて責任を持った判断はほとんどしてません、富山えん罪事件でも勾留理由開示の法廷で否認したら戻った後、「裁判所で二度と自白を覆すようなことは言わない」という誓約書を書かされて、本裁判で罪を認め服役しています。富山えん罪事件の最大の責任は勾留理由開示のときの裁判官にあります。
投稿: のんき | 2009年5月 4日 (月) 01時10分
死刑囚が為替相場とかアホか。
人を不幸のどん底に落としておいてさ。
まあこの程度の非常識のクズだから
凶悪犯罪を犯して死刑になったんだろうけど。
投稿: 名無し | 2009年5月 4日 (月) 01時03分
今日ニュースでこんなサイトがあると知りました。
死刑囚のブログがあること、ご遺族はなんて思っているのでしょうか。それが一番に思った事。
もし私なら、絶対に許せない。怒りに震えるでしょう。
他にもコメントしている方がいますが、囚人のストレスのはけ口の手助けになるようなことをする意味がわかりません。
死刑囚なんです。もう法的にこの世に必要とされていない。死人に口なしです。
シャバと通じる必要性がないのです。
だいたい、なぜ刑が執行されるまで何年もかかるのでしょうか。
税金の無駄使いじゃありませんか。
必要のない税金をこんなとで使うなら、いくらでも他にまわすべき所があるでしょう。
刑が確定されたなら、即刻執行されるべきだと思います。
ちょっと矛盾するかもしれませんけど、死刑制度自体には、私は今のところ反対です。
私は以前から、死刑判決を望んでいると会見をされているご遺族の方を見るたびに、思っていた事があります。
「でしたら敵討ちをご自分でどうぞ」と刑場で首縄を手渡されたら、迷わず実行できるだろうか、と。
大昔はどうだったのかわかりませんけど、「仇討ち」が認められない現代は、残されたものとしては死んで償ってもらいたい、と日本の最高刑である「死刑」を望まれるのは当然だと思います。
私が遺族になったとしても、最高刑を望むしかないでしょう。
でも、死刑といっても自分で勝手に死んでくれるわけも無く、誰かが殺さなければいけないわけで、その役目を仕事とはいえ、刑務官という事件とは関係のない方たちに押し付けているというのが、なんというか国として許されるのか、自分の中で納得できないのです。
死をもって償わせるということは、それだけ思いことだと思うのです。
それは別として・・・、現在の法律で死刑制度が認められている以上は、法にのっとり、きちんとすみやかに刑が執行されるべきだと思います。
判を押すのが速い法務大臣を批判する人がいますが、それは間違っています。法律を遵守する、大臣としてはやらねばならない「仕事」ですから。
個人としての思想とは別問題で動くべき立場にいる人です。
ですから、死刑制度についてどうあるべきか(裁判員制度も始まることですし)改めて議論する必要があるんじゃないかなと思います・・・・。
投稿: 姉さん | 2009年5月 3日 (日) 23時56分
>>受刑者一人年間300万かかるということは、一年に国民一人あたり300万÷1億人=0.03円しかかかっていません。就業人口はもっとすくないだろというだろうから言っておきますが~
団塊総退職の超高齢者社会を前提で考えるとおそらく就業者数は5千万人程度でしょう。ということで国民一人当たり倍額の0.06円とします。
「福島みずほ議員の人権いろいろ」という資料によると、「二〇〇一年十二月末には五万三千六百四十六人」
となっています。なお増加傾向だそうです。
0.06円×53646人=3218円/年
これを多いか少ないかと見るのは個人の自由ですが、私自身は犯罪者に寄付するお金など1円たりとも払いたくありません。払いたいという方が払いたくないという人の分を全額負担してくれるのなら構いませんが。
ところで国民一人当たりで割ると少なく見えますが、実際は
300万×53646人=160938000000円
が年間使われています。これだけの税金を社会保障費に当てられたら、どれだけの人が助かるのでしょうね。
投稿: 受刑者=あなたの税金 | 2009年5月 3日 (日) 23時27分
産経の記事を見たのかわかりませんが、今すぐ殺せという投稿が最近は特に多いですね。
ところで、たとえば法律上は認められるはずの文通を刑務官が不許可にしたり、私記出版を妨害するための念書を死刑囚に書かせたり…という拘置所の内部内情がこのブログからは度々発信されています。情報発信者の表現の自由は、情報の受け手の側からすれば知る権利です。表現の自由と知る権利、この2つの権利は表裏の関係にあって、受刑者の表現の自由は受刑者のためだけに存在するのではありません。
このことからもわかるようにどんな人間であっても、人権が不要な人間などいない、と私は考えています。少なくとも私は、小田島さんが拘置所で感じたこと、知ったことをずっと聞き続けていたいと思っているし、受刑者から発せられる情報は、この国の行政や裁判のあり方を考えるうえで必要な情報だと考えます。人殺しは悪いことだと言いながら、他方で死人に口無しを励行するような国家では不安です。
投稿: 英火 | 2009年5月 3日 (日) 23時25分
初めてこのサイトに来ました。今度来るのはいつになるかわかりません。
普通人とはまったく異なる人生を送る人の言葉を記して公開することは、意義があると思います。それは、これだけ多くの方が訪れて投稿することでも明らかです。ネットの時代ですから、こういう形の表現があっていいと思います。図書館の本よりは読みやすいのではないでしょうか。誰にも読まれずに埋もれてしまうよりは、ずっといいと思います。
人を殺した人の気持ちは、殺した本人でないとわかりません。他人には決してわからないと思います。それでも、こうして公開することは、良いことです。
手記を読んだ人は、怒り、悲しみ、悩むでしょう。また、喜び、楽しむ人もあるかもしれません。多くの人が、多くのことを、感じて、考えます。それでいいのではないでしょうか。そうして、人間社会全体が少しずつ進歩していくならば。
投稿: | 2009年5月 3日 (日) 23時04分
このブログを世間に読んでもらう意味は何でしょう?
死刑囚は幸せです。
殺された人は身辺整理をする間もなく殺されているのです。
死刑囚は自分のクレジットカードの整理、銀行口座の整理、
家族、恩師たちに手紙を出してお別れ、このようなことができるのです。
被害者はそんな暇はなく殺されています。
死刑執行までの死刑囚の生活費は血税です。
ブログなんて書いてる暇はないと思います。
刑務所で少しでも仕事があるなら、被害者遺族のために少しでも働くべきだし、
血税で使わせていただいているトイレの掃除してもいい、
残された時間一生懸命働くべきです。
死刑囚がブログを書くために人権が存在するのではありません。
投稿: まさと | 2009年5月 3日 (日) 22時58分
死刑囚の生活費が税金の無駄使いというのは私も思います。
そもそも、すぐに執行しないのはなぜなんですか?
執行されない死刑囚1人1人の「なぜ執行されないのか」という理由まで明確にしてもらえたら、少しは納得できるのに・・・
投稿: 咲いた~中立ップの・・ | 2009年5月 3日 (日) 22時27分
私には『自分の身に置き換えた』事しか考えられないのですが
まず自分の近親者がどのような事であろうと殺されたなら、相手には『死』をもって償って欲しいと思っています。殺人であろうが、故意ではない事故による死であっても。
全く縁も縁も無い人の話は、その時に自分の持つ情報と
自己の心情によって考えます。でも最近はこの考え方が非常に危険をはらむ物だと思っているのも事実であります。自分の持つ情報など、都合のいいように操作された
情報が数多く含まれていると思っていますし、心情などは簡単に揺れ動く物と思っていますので。
では、心情や『流れ』に左右されない為には?
現在多くの批判を受ける、過去の判例に基づく比較となってしまうでしょう
これもまた私は賛成できません
結局、今の私には死刑賛成論を覆すだけの論旨が無いので今の死刑賛成となります
もし反対派の方がいらっしゃり論じて頂ければ幸いと存じます
投稿: 末摘花の君 | 2009年5月 3日 (日) 20時34分
死刑制度には『私はあなたを殺さないと約束する。もし、この約束に違反してあなたを殺すことがあれば、私自身の命を差し出す』という正義(理)にかなった約束事がある。ところが、死刑を廃止しようとする人々は『私はあなたを殺さないと一応約束する。しかし、この約束に違反してあなたを殺すことがあっても、あなたたちは私を殺さないと約束せよ』と要求しているに等しい。これは実に理不尽である。 -刑法学者 竹田直平-
投稿: 惣流 城 | 2009年5月 3日 (日) 20時13分
だまされてはいけませんよ。
受刑者一人年間300万かかるということは、一年に国民一人あたり300万÷1億人=0.03円しかかかっていません。就業人口はもっとすくないだろというだろうから言っておきますが、消費税や法人税など複雑な計算を省き、簡略化して計算したのです。税金論を持ち出す人間は全くわかっていないのです。それともこんな小額すら払いたくないというのでしょうか。ならば国籍を変え、外国に出ていきなさい!
投稿: | 2009年5月 3日 (日) 19時46分
このブログは公開されるべきものなのでしょうか?
・小田島死刑囚は自分の手記が世界中に公開されている事を本当に理解しているのですか?
ニュースでは、「よく分からないけど、先生にお任せします」と言われて引き受けたと報じられております。
これって、「よく分からないから勝手にやってよ。どうでもいいよ。」って意味だと思うのですが。
ただ死刑廃止か存置かを議論するのであれば、
遺族感情・日本の財政などの観点から考えた場合、現実的に死刑は必要だと考えます。
投稿: 5/3 | 2009年5月 3日 (日) 19時22分
針のむしろに座らされている死刑囚、毎日、罪の重さと死刑への恐怖に精神の安定もままならない、そんな中でのブログ、うなぎを食べたっていいではないですか、少しくらい楽しいことを書いたっていいではないですか、犯罪はとても重い罪です。逮捕しないでよいとは言っていません。何が何でも逮捕すべきです。その辺を誤解しないでください。私たちも日々、小さな罪を犯しています。(犯罪というわけではありません)でもそのことについて、四六時中反省しているでしょうか。死刑囚の方々には、せめて、一日のうちの数時間でも、精神的に安定するために、楽しいことを考えてもよいのではないでしょうか。これは、犯罪被害者の方も、被害の深刻さに毎日悩んでいらっしゃることと重なる部分があります。犯罪被害者の方の精神的なケアをもっともっと応援する社会ができたらと思います。そのような社会ができたとき、死刑囚の人権ももう少し暖かく見てあげられるようになると思います。
投稿: | 2009年5月 3日 (日) 18時22分
従前から税金投入・ランニングコストの問題が指摘されてきていますが、『刺身やウナギ・祝日食』の是非はともかくも、加害者・被害者の更生保護に税金投入せずに健全な社会福祉は形成されないと思いますが。
投稿: 億 | 2009年5月 3日 (日) 18時15分
死刑反対派の人に問いたい。大阪・池田の8人殺しの宅間守元死刑囚は、裁判で自分の殺した子供の親を罵倒し続け、処刑される最後まで一切の反省の情を示さなかったという。もし死刑が廃止されていたなら、彼は絶対に法廷で「自分は死刑にならないぞ、ざまあみろ」といった調子で被害者遺族を公然と侮蔑していただろう。こんなのが報道された後も、あなたたちは死刑廃止は正しいことだと国民を納得させられるのか。逆に「1人殺しても即死刑にするよう刑法を改正する」と主張する政党が出てきたら、選挙で圧倒的に支持されることは必至だ。その時、あなたたちは「自分達は間違っていたのか」と反省するのか、それとも「自分達は正しいが、国民すべてがバカなのだ」とうそぶくのか。明確な答えが欲しいところだ。
投稿: パトラッシュ | 2009年5月 3日 (日) 18時11分
誤審は関係ない、現行犯なら誤審は無い。
投稿: | 2009年5月 3日 (日) 17時49分
死刑には賛成だが・・
本人痛く死にたくはないんだろ?
だったら電気は駄目じゃないか?
結局本人の計画通りに進んじゃうんだから・・
だからと言って終身刑って言うのもどうかと思う・・
結局今まで一人だったんだからそんなことしたって意味ないだろ・・
そうだな・・日本で殺せないなら海外にやって・・
とりあえず人殺してるんだからそれくらいはしてもらわないと・・・
それに人を殺す事に関して反省の意すら持たない・・
正直人間として最低の存在ですね・・
自分を正当化しようとでもしてるのか?ばからしい・・
投稿: アス | 2009年5月 3日 (日) 17時01分
簡単なことでは?
一番優先されるべき人権は「被害者」の人権でしょう。
加害者と被害者の人権は同列であってはなりません。
被害者と加害者の人権を同等に保護なんかされた日には
殺された被害者はどのような崇高な経文をもってしても成仏できないでしょう。
殺され、死んでなお、その身体を陵辱された光市の本村婦人。
彼女は死んでも死にきれない。
人権は平等であってはなりません。
加害者の人権は二の次でなければなりません。
投稿: 憂国OL | 2009年5月 3日 (日) 16時56分
暗号を文字列に含めることも考えられる。
暗号による遠隔指示によって証拠隠滅などを行なう可能性が0%と言えるのか。
なので、このような囚人ブログはすべて禁止すべき。
そして、即閉鎖すべきだ。
囚人のストレスを軽減しうる自己表現は関心できない。
「殺人行為」の償いとして相応しくない。
投稿: ビタミン | 2009年5月 3日 (日) 16時36分
もしも、自分の家族が殺人犯になってしまったら、死んでほしくない、死刑にしてほしくないと願う気がする。
そう考えるといたたまれなくなる
投稿: … | 2009年5月 3日 (日) 16時34分
i do't agree to executions. if the offenders died, they can't anything even atonements. executions actually doesn't help
anybody, i think.
sorry about i use all english, but i can understand japanese too.
投稿: az | 2009年5月 3日 (日) 16時33分
お金に換算…
どうかな…と思いました。
人の命ってなんなんだろう。
投稿: 彩 | 2009年5月 3日 (日) 16時31分
遺族の感情からすれば、いかなる理由であれ人を殺めておきながら、自分の生命だけは救ってほしいというのは、虫がよすぎるのでしょう。
一方、いわゆる近代人権思想からすれば、加害者側に立ち(もちろん被害者遺族を蔑ろにするわけではないが)「誤審」がある以上、国家による国民の生命の剥奪は許されないとの結論にもたどり着けるのでしょう。
こうしてどっちにも何となく分があるように思われるから、死刑論議の停滞を招いているのかもしれません。
誰か、もしくはみんなで、この議論の論点を明確に整理して、(間抜けな国会議員に任せっきりにしないで)そのうえで結論を出したいものですね。
投稿: ジョン | 2009年5月 3日 (日) 16時28分
これまで、死刑制度に関し、新聞や雑誌等で繰り返し報じられてきたテーマのひとつに、「死刑制度は凶悪犯罪の抑止力として機能しうるか?」というものがある。
この点について国民が納得するかたちでの検証を行い、国民に示して頂くことを政府に対して要望したい。死刑制度が「死刑のための死刑」を存続させるためだけのものであってはならない。私とて、肉親の誰かが、昨今多発している通り魔的犯罪に巻き込まれ、命を落とすようなことにでもなれば、その犯人には、一刻も早く、この世から消滅してほしいと切望するに違いない。だが、被害者遺族の心情を、死刑制度存廃問題と結びつけて議論することについて、我々はもっと慎重になる必要があるのではないかとも思うのだ。
投稿: | 2009年5月 3日 (日) 16時13分
>>逮捕歴有りさんへ
裁判官「これに異議はありますか?」
私「おおいにあります。私はやってません」
裁判官「もう一度聞きます。これに異議はありますか?」
私「やってません」
裁判官「これに異議はありますか?」
………
押し問答が続き、とうとう私は
「ありません」
今でもこのことが悔やまれます。
失礼ですがこのやり取りを見る限り、あなたにも落ち度があります。。。「異議がありますか?」との問いには「異議有り」と答えなくてはいけません。「やってません」では日本語として会話になっていないのです。
それに弁護士を付けてもらわなかったようですね。警察官も検察も裁判官も職務を遂行したまでですし、嫌疑を晴らすというのは非常に重大な行為なのです。「帰れないから認めるか」というレベルの認識では自己弁護が軽すぎたというしかありません。あなたのような人が冤罪を生んでいるという見方もできます。
投稿: 受刑者=あなたの税金 | 2009年5月 3日 (日) 16時07分
印税の前払い金だったんですね。これでどうして彼がフィリピンにお金を遅れるのかのなぞが解けました。
自分のしたことへの償いで、ある日突然吊るされるだけの日を待つひと。いろんな意見があるかもしれないけど、2万円をどう使おうと、私はその使い道は許してあげたいような気がする。(もちろん許すとか許さないとか言える立場ではないし、そういう問題ではないかもしれないけど。)
とっとと死ねとか書く人たちって何なのかな。もっと別の目で見れないのかな。いろいろな嫌なことを、死刑囚にぶつけてるんでは?と思ってしまう。。。
いえ別に死刑囚の見方ではないし、死刑反対者でもないですけど私は。早く死ね、と言っても、死んでしまったらマトがなくなるでしょうに。。。
投稿: らん | 2009年5月 3日 (日) 15時49分
以前自分の周りに「大企業の横暴を許すな」と意気軒昂に運動している家族がいたのですが、休日に大手ショッピングセンターで会いましたし、普段は世界的大企業ト○タの車に乗っていました。
ショッピングセンターで会った際に「今日は何買いにきたん?」と声をかけたら、「子ども服。チラシに出てたから。めっちゃ安かってん」といっていました。そんなレベルです。
普段の行動責任など取るつもりもないし、もともと責任など持ち合わせていないのでしょうね。
普段から「大企業」を罵り「中小企業」の味方のフリをしながら、その実、しっかりと「大企業」の恩恵に浴し、売上にまで貢献している。
その後、機会があって相手にそのことを尋ねたら、非常に戸惑って「何が悪いの?」としどろもどろでした。
運動に一生懸命で、矛盾に考えが至らなかったのでしょうね。哀れみを感じると共に、道義という言葉を知らない人間と同じ日本人であることに、情けなくなりました。
死刑という極刑を周知されていてなお、凶悪犯罪を犯す選択を自らおこなった死刑囚。死刑廃止運動に携わる方々は、死刑廃止が実現すれば死の淵にある彼ら死刑囚から、「命を救った」という今までされたことのないレベルの感謝をされ、自己満足に浸ることができましょう。
失礼! 死刑廃止運動に関わる方々は、先述のような自己満足追求集団じゃないんですよね?
投稿: | 2009年5月 3日 (日) 15時39分
人を殺したのなら、殺した者も殺される。
それで当然と感じるのって、おかしいでしょうか?
嫌なら、人殺しなどしなければ良い話な訳ですから。
現在「人殺し、一人だけ」なら、まず死刑にはなりません。
それ自体が、「甘すぎる」と感じます。
投稿: 通りがかりの親父 | 2009年5月 3日 (日) 15時30分
僕は、死刑存廃論には比較的中立的な立場をとります。
しかし、僕が1番許せないのは、論理性もへったくれもないくせに自分の意見を相手に押し付けるか、罵倒しかできない人間です。
僕は、彼らの意見を見て本当に腹が立ちます。
おそらく反対派を貶めるor反対派の意見の質を低下させるためにやっているのでしょう。
しかし、結局それは両陣営に迷惑なだけなのです。
まじめな議論ができないなら来るな!といってやりたいです。
投稿: | 2009年5月 3日 (日) 15時23分
私はとある事件で逮捕されました。自分では全く違法ではないと思ってやったことが、違法行為であり、警察に突然逮捕、拘留されました。警察側はこちらに有利な、したがって警察、検察に不利な証拠は一切隠し、状況証拠のみを私に提示し、調書に指印をなかば強制しました。私はただ早く釈放されたい一心で言われるままに従わざるを得ませんでした。
冤罪ってあるな、と確信しました。
また送検されて、そのまま裁判官から拘留延長の手続きを受けさせられるのですが、そのときに出会った裁判官はどう見ても世間をしらない若い女性でした。そのときのやりとりを書かせていただきます。
検察の調書の要約を読み上げた上で
裁判官「これに異議はありますか?」
私「おおいにあります。私はやってません」
裁判官「もう一度聞きます。これに異議はありますか?」
私「やってません」
裁判官「これに異議はありますか?」
………
押し問答が続き、とうとう私は
「ありません」
今でもこのことが悔やまれます。
国家権力による一切の暴力に反対です。
投稿: 逮捕歴あり | 2009年5月 3日 (日) 15時18分
死刑反対とは言わないけど、執行する立場の人の事を考えると気が重くなるのは確か。
直接手を下す(それが薬であれ、何らかのスイッチであれ)というのはかなり辛いだろうな…と。
何か良い方法ないのかな?
投稿: k | 2009年5月 3日 (日) 15時16分
みなさまこんにちは。ブログを見にきていただいてありがとうございます。yahooのトップニュースに出ていましたね。連休中でもありより多くの方が見にこられると思います。
現在、コメント投稿に関してはブログ管理側の承認制にしておりますので、コメントの反映にタイムラグがあります。なるべくこまめにチェックしていきたいと思っております。ご迷惑をおかけしておりますが、あらかじめご了承ください。
投稿: ブログ管理人 | 2009年5月 3日 (日) 15時07分
死刑は即日執行すりゃいいんだよ
死刑囚ダラダラ飼うのにいくら税金使ってると思ってんだうなぎ?アホか生ごみでも食わせとけ
人殺しといて人権があるのがおかしいだろ
投稿: うなぎ? | 2009年5月 3日 (日) 15時01分
悪人のまま死ぬのなら
とっとと舌噛んで死ねよ ゴミが
死刑廃止とかいってる偽善者はてめぇらの肉親や愛する人、友人が殺されてもなお叫び続けられるのか
偽善で唱えるものには心がないから何も響かない
投稿: ぺーそんとちお | 2009年5月 3日 (日) 15時01分
コメント欄に書き込みできなかった?ようなのでこちらに。
死刑に賛成、反対、という議論は正直に言ってナンセンスです。
受刑者には一人当たり年間なんと300万円以上もの税金が投入されています。不況の現在、国民の平均収入より多いのではないでしょうか。払っているのはあなたです。
死刑が法定の6ヶ月を過ぎても執行されないので、どんどん増税しています。
終身刑ができて30歳の受刑者が50年間生きて80歳になった時、かかった税金は150000000円。
一億五千万円です。一人につき。あなたが支払った事になります。受刑者は何万人いるのでしょうね?
あなたは本当に受刑者に自分の財産を寄付し続けますか?いくらまで払えますか?というのが論点ではないでしょうか。
投稿: 受刑者=あなたの税金 | 2009年5月 3日 (日) 15時01分
死刑反対派は加害者の気持ちばかり考えて被害者の気持ちはまったく考えられないのでしょ
でもみんなの意見には考えさせられるようなのばかりだ
投稿: | 2009年5月 3日 (日) 14時48分
外の人間に意見主張も言うことができない。
外の人間の存在すらわからない。
それも死刑の一部だと思います。
斉藤さんはいったい何をしようとお考えなのですか?
投稿: よちゃ | 2009年5月 3日 (日) 14時44分
どんな人間でも人は誰でも人を殺す可能性がある。
どんな人間でも人は人に殺される可能性がある。
人間はそういった欲望を必ず抱えている。
これは白人、黒人、黄色人種、前科者、政治家、官僚、サラリーマンなど職種、人種関係なく全ての人間に生まれ持って備わっているシステムのようなものである。
人を殺した人が特別な人ではない。
人に殺された人が特別でもない。
だからといって、人を殺した人間が許されるわけではない。
絶対に許してはいけない。
だからといって、悪いものを何でもかんでもすぐ隅に追いやって終わりというのも違う気がする。
大切なのはそういった人間たちと向き合うことだと思う。
確かに死刑囚の中には反省すらしていない人間もいるのかもしれない。
自分のことしか考えていないのかもしれない。
でも他人と接することのできない隔離されて世界で何を学べるのだろうか。
人は人と接し、ふれあい、その中からさまざまな喜怒哀楽を通じて成長していくのだと思う。
しかし死刑囚の環境のような中で成長し、本当の意味で反省できる人間であれば、そもそもがそういった事件を起こさなかったのだと思う。
人を殺しておいて、自分の家族のことしか考えないない、自分のことしか考えていない…
これが人間の本質ではないでしょうか。
それをわかった上で私たちは常に相手を思いやり、家族を大事にし、人にやさしくしていかなければいけないのだと思いました。
暴力はやさしさを隠すためにあり
やさしさは暴力を抑えるためにあるのだと思います。
投稿: ラスコリニコフ | 2009年5月 3日 (日) 14時40分
死刑廃止運動を進める方々は、囚人の人権を運動の論拠にしている人が多いですね。そんなに囚人の人権尊重をうたうなら、全てを一般通常人と同じくすればいい。「すべて同じというわけにはいかない。○○までは彼らに認めてあげよう」などと勝手に自己満足の範囲内で決めて運動するのは、それこそ囚人の人権を無視しているんじゃないのでしょうか。
それとも「運動してやっているんだから、文句を言わずに感謝しろ」とでもいうのでしょうか。
所詮そういった運動家は、学生運動のときと同じく、自分の価値を運動に求めたいだけなのでしょう。世のため、人のためではなく、実は自分探しのために。たとえそれが一部の人間であっても誰かに「ありがとう」といわれたいがために。
だから彼らは内心必要だと感じていても、国民に必ず一定の苦痛を伴う「義務」の主張はほとんどしない。
社会運動が自分探しの旅ではね・・・ 社会よりも自分第一。これは、教育において一番忌み嫌われる思想です。後世のことをもっと考えて行動してほしいものです。
投稿: | 2009年5月 3日 (日) 14時34分
私は死刑制度反対です。(あだ討ちは認めます。)
つまり、国家権力による殺人は認めないということです。
死刑制度を擁護するようにみえる方からの「法律で決まったことだから」という意味合いの書き込みがありますが、現行の法律は天賦のものではないし、また、すべの法律がよく練られたものとも思いません。裁判所にいけばすぐにわかるように、手続き法の運用には実定法の理念に矛盾するものも多いわけですし、現行のおそまつな法律とその運用下において、公権力が人の尊い生命を奪うことこそが危険であると私は考えています。
検察は起訴するのに都合の悪い証拠は一切ださないし、証拠品のリストさえ公表しないことが多く、そのような不公正な手続きによって出される裁判所の判決を100%信頼して死刑を認めるのはきわめて危険であるし、また、裁判について無知な人々が判決を信じることはさらに危険です。
私が多くの裁判をみてきて感じたのが、裁判は裁判官のさじ加減1つで決まるということです。証拠に矛盾があっても「信じるに値しない」とコメントされて終わりです。先輩の裁判官の判決を重視して、「自分では冤罪だと思ったがそんなことを言う勇気がなかった」という元裁判官を3人知ってます。
私の教え子の数名は現在裁判官になっていますが、そのうちの数名に「なんで君は裁判官を選んだんだ?」ときいたとき「神になれるからです」と答えたことを付記しておきます。知りもしない警察官や裁判官を認めることはきわめて危険なことを知ってほしいと思います。そして、国家とは彼ら国家公務員のことであり、死刑制度とは個人の個人による殺人に違いないのです。
投稿: | 2009年5月 3日 (日) 14時31分
無惨に人を故意に殺めた人間が、人に裁かれ死刑になる。これのどこがおかしいか理解出来ない。人を殺したけど自分は死にたくない。当たり前です。殺した相手も死にたくなかったはず。死んで詫びるが人の道。
投稿: こんにちは | 2009年5月 3日 (日) 14時24分
死刑大賛成!
無期懲役なぞ税金の無駄遣い。
死刑判決受けてる連中はそれなりに人を殺めてきた連中。事後に悟りを開いたところで刑囚の自己都合で殺められてきた人たちは戻ってはこない。
死刑確定後は長らく生かしとかず、とっとと執行してもらいたい。
甘い判決や被害者感情を考えないで犯罪者を甘くしてるからこの国の犯罪は減少しない。
生かしとけば我等の血税を使われるのは腹ただしい。
府中刑務所では正月にマグロの刺身が出るとか?
冗談じゃない! 贅沢すぎる!
ドラキュラ伯爵のモデルになったヴェラドツェッペシは犯罪には極刑をもって対応したと聞く。
その結果、ワルキアから犯罪が無くなったという。見習うべきではないのか?
投稿: - | 2009年5月 3日 (日) 14時21分
このブログは非常に見やすいので有難いのですが…。
神田司死刑囚のブログは開くとページがフリーズしてIE応答なしと表示され、あげくに閉じたあともPCが急に動作が重くなる変調をきたしてしまいます。
なんか変なウィルスかスパイウェアでも仕込んであるのかと不安になります。
皆さんは普通に開きますか?
http://blog.livedoor.jp/kanda_tsukasa/
なお、ブログではありませんが、大森勝久死刑囚の社会評論論文サイトも存在しています。
大森死刑囚は冤罪を訴えてますが、獄中で政治評論を書いていますね。
こちらのサイトは普通に開きます。
http://1st.geocities.jp/anpo1945/
投稿: | 2009年5月 3日 (日) 14時18分
そもそも小田島死刑因って、
息子にじゃなく、被害者に賠償はしないのか?
他の死刑因が死刑になっていくと、
死刑になりたくないからっていう、
嘘の反省ばかりする被告が多すぎるのも事実。
山口母子殺害事件の被告もそうだし。
投稿: ねこまろ | 2009年5月 3日 (日)