« 第229回 | トップページ | 第231回 »

2009年5月16日 (土)

第230回

4.10(金)
夜、片目で本を読むのに疲れて、天井のスピーカーから流れるニュースに耳をすますと「天皇・皇后・結婚50周年」の報。


50年前かー1959年(昭和34年)4月10日の私は、3月下旬に池田中学校の卒業式に出席した後、再び北見市郊外の山中の飯場に戻り、積雪の中で束薪作りの仕事をしていた頃で、一週後に満16才。この後、雪が消え飯場が閉鎖された5月上旬から紋別や濁川で店員として働き転々、秋には鑑別所、少年院ーと、現在の死刑囚へと続く道に足を踏み入れた年になるーなどと当時のことを感慨深く思い出し、9時に減灯された後も目が冴えて眠れなくなった。

|

« 第229回 | トップページ | 第231回 »

コメント

死刑囚の囚の字を因と打っているので同一人物と思われる全『r』さん。
ご自身が仰るように

『どんなことを理由にしても人の命を奪うことは許されるべき行為ではありません』

仮に小田島確定死刑囚が世界一不憫な人でもです。
なので死刑・死刑制度に於いても
『どんなことを理由にしても人の命を奪うことは許されるべき行為ではありません』

ということです。

投稿: 億 | 2009年5月27日 (水) 01時16分

前の書き込みに「私は死刑廃止論者ながらも確定死刑囚個人を擁護しません」と書いた方がいらっしゃいますが、何だか矛盾しているように思えます。 法の裁いた決定には疑いを持たず従うということでしょうか。 どういう観点から死刑廃止論にたたれているのかお聞きしたいところです。 死刑因の生い立ちを見ると、貧困と親の愛と保護不在。 一般の道徳をモデルとして示してくれる大人はいたのでしょうか。 刑務所や少年院は刑期を単純作業を重ねながら過ごしていくだけの場であって、少年鑑別所のような内面からの変化に重視した更生の場とはかなりかけ離れたものです。 人の非難は簡単なものです。 もし自分たちが、無理心中を強いられた幼い小田島死刑因に近い存在であったら、手を差し伸べることができるかどうか、考えてから「虚栄心」や「弱さ」という言葉を使うべきだと思います。 他人の痛みには知らぬふりをして、大失敗を犯してから振り返って名指しで非難するというのは、やはりどうかと思うのです。 

投稿: rn | 2009年5月26日 (火) 12時01分

環境によって人は変わると思います。人は性善説も性悪説もありますが、私はあえて善も悪もなく、真っ白な生き物と思います。だからこそ、環境や境遇で人は変わるだろうし、私たち一人一人が、良い環境の一部にならなければ犯罪を根絶することは難しいと思います。
しかしながら、小田島氏は何度も更生の機会がありながら変わることができなかった。やはり、本人の心の弱さがあったことは否めないと思います。
だからこそ罪を犯したことを環境のせいにすることは決してするべきではないと思う。

投稿: | 2009年5月22日 (金) 13時37分

しずっぺさん。

私は死刑廃止論者ながらも確定死刑囚個人を擁護しません。

全ての犯罪に動機を形成する理由があると考えます。

環境、生い立ちも理由は情状すべき事由の一つにすぎないと思います。

小田島確定死刑囚の場合の、その理由とは虚栄心でのみしか自尊心を維持できなかったのでしょう…
その自尊心の原資が金というのが難問で、同じ境遇や生き直したとしても金と犯罪依存の関係は、どうなんでしょうか。

投稿: 億 | 2009年5月21日 (木) 00時44分

境遇や環境で死刑囚が生み出されるとは思いたくないです。法にふれることを繰り返したとしても、人をあやめてしまうという点においては首をかしげてしまいます。人それぞれ、人生様々なんですから、これだけの何ら罪のない方々の命をあやめて同情されるようなことはあってはならないと思ってます。

投稿: れん | 2009年5月20日 (水) 21時00分

何度も懲役に行っても心を入れかえなかったのは、やはり自分自身の弱さだと思います。チャンスはいくらでもあったでしょうに。

育ちが云々なんてただの言い訳ですよ。

投稿: | 2009年5月19日 (火) 00時11分

50年前に戻って行き直すことができるのなら、小田島さんはきっと死刑囚の道は歩まないでしょう。しかし・・・、、まっとうに生きることができる環境が必要でしょうね。環境によって人間は死刑囚にもなり得るし、その反対もあり得るのだから。

私が小田島さんと同じ環境に育っていたとしたら、やはり死刑囚になっていただろうと思います。

投稿: | 2009年5月18日 (月) 17時08分

昭和34年、私は、小学6年でした。だから、兄と同世代の小田島死刑囚がどういう時代を生き、育って来たかわかります。彼は、もし、50年前に戻って生き直すことが出来るとしたら、今度こそ、死刑囚となる行程を歩まずに生きていけるでしょうか?また、同じような犯罪者の道に踏み入っていくのでしょうか?ふと、そんなことを思ってしまいました。

投稿: しずっぺ | 2009年5月17日 (日) 07時56分

昨日の朝刊に、「犯罪者に人権なし」を地で行く広島少年院のニュースが載っていました。それを見て、敵意にみちた中で育った子はだれとでも戦いますという「アメリカインディアンの教え」の一節を思い出しました。もしできるなら、少年院や刑務所時代の出来事なども小田島さんに伺ってみたいです。

投稿: 英火 | 2009年5月17日 (日) 00時33分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/473217/29645120

この記事へのトラックバック一覧です: 第230回:

« 第229回 | トップページ | 第231回 »