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2009年3月13日 (金)

第205回 自分にできること

2月9日.(月).曇
米国の雇用悪化急加速、失業者数30年ぶりの水準に。オバマ大統領、矢継ぎ早に景気対策発表するも、不況の底が見えない様相。日本企業も3月期決算予測の赤字と大量解雇を続々発表。


先日、ロサンゼルスで、解雇された夫が妻子6人を射殺して自殺、の記事を見て、米国がクシャミをすれば即、風邪をひく日本のこと、今後日本でも、職を失い生活苦からの一家心中が増えるのではーと思った。と、昨日、町田で30代夫婦と男児の3人の一家無理心中、の報。

2度と外にでることのない檻の中にいて、ごく近い将来、確実に死ぬ死刑囚が社会で生活していた以上に,社会で生活している人と同じかそれ以上に、新聞・ラジオで知る社会経済の同行に反応するのは
"おかしい"のだが、やはり気になるから不思議!

麻生首相の「郵政見直し、言及」口禍?新聞社などの全国世論調査の結果、内閣支持率が14~19%にまで低下。どこまでくだれば辞任するのか、この低支持率では解散・選挙はますます遠のくのでは?政局混迷でも、官僚は我関せず、陰で高笑い!

「絞首刑は苦しいぞ。落下のショックでまず鼻血が吹き出る。眼球が飛び出す。失禁、脱糞する。そして激痛が全身を噛み砕き、絶命するまで十数分もかかる。ぶら下がったまま、苦しみぬいて死ぬー」

これは、先日読んだ本の中の一文だが、これこそ、
極悪人の自分の最期にふさわしいと共感して、繰り返して読み、覚えてしまった。

絶対に取り返しのつかない罪を犯してしまったが、
悔やむことも、反省することも、決して忘れずに胸に刻み込み罪の責任を背負うことも、そして死ぬことも、できる。

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コメント

前科者も氏刑

投稿: | 2009年3月23日 (月) 19時16分

人が人を裁く事が、まずおかしいねん。世間知らずの裁判官や検事、弁護士らがよってたかって銭稼ぎに遊んどるだけや。だから裁判員制度には期待できるよ。

投稿: 前科いち | 2009年3月23日 (月) 05時47分

万次郎がかわりに死刑になってやれよ
万次郎に責任あるんだろwww

投稿: | 2009年3月21日 (土) 15時52分

>年表をみると、ここの犯人も、子供の時の経験がなければ、こんなに歪んだ性格にはならなかっただろうなと想像します。そういう不幸な子供を救い出せなかった社会があったなら、その社会を作っていた一人として私も責任をどこかに感じます。(実際には私が生まれる前の時代ですが)

偽善者のキチガイだな
何で社会の責任になるの?
お前が本当に責任を感じてるんだったらお前も責任取れよ

投稿: | 2009年3月21日 (土) 15時46分

ナルシー万次郎

投稿: | 2009年3月21日 (土) 15時44分

正直、このブログが存在することそのものが、問題だと思います(設置者の方を責める意図ではありません)。
「死刑囚には表現の自由がない」ということではなく、「死刑は即実行されなければならない」という観点からです。

「死刑とはどういう刑罰であるのか」の捕らえ方はさまざまだと思うのですが、自分は「生きてやり直す権利を剥奪する」刑罰だと思います。

更正の余地を認めない。
これは、言い換えれば、反省の権利を認めないのと同義ではないでしょうか。
他人から権利を奪い、長時間拘束することは必要以上に残酷です。だから時間をかけてはいけない。罪が確定した受刑者は、速やかに死なせてあげるべきだと思います。

死刑囚が反省することに、意味はないのです。
人間としての権利を奪うと断罪された以上、余計な権利を長く持たされることは、半端な希望につながり、私は残酷すぎると思うのです。
だから、このブログに掲載されている手紙をつづるような、反省の時間を与えるべきではないと思います。時間を与えてしまっては、正しく刑が執行されていることになりません。
死刑とは、死とは、(殺人が、人の心の動きの権利や可能性のすべてを奪う犯罪であるのと同様に)反省や悟りのような心の動きの権利や可能性の、すべてを奪う刑罰です。

再審の審判中は死なせてはいけません。あくまで死刑が確定したら、という前提の話です。

死刑の是非についての議論とは別に、このブログを読んで、そのようなことを考えました。

投稿: | 2009年3月21日 (土) 11時29分

満汁 さん

私の死刑制度はファシズムだ、と言う考えに対して、

>でも死刑は関係無い人には一切関係無いんです 国民皆が何らかの形で戦争に関わった悪魔のファシズムと当事者だけが苦しむ死刑制度とは全く別次元です

と言われています。

私には、そうは思えません。「関係無い人には一切関係無い」とあなたが言うなら、現実のあなたは関係ないと言いたいのですね。だとすれば、あなたは他人の命に対してとやかく言える立場にもありません。なぜなら、関係ないとご自分でおっしゃっているからです。

私は殺人者の立場になりたくはありません。あなたは、ある種類の人に対しては殺人者となれると言っているのに等しいです。しかもその殺人者になる事が社会的に正しいと言っているのです。そして反対する者は、社会的に正しくないと思っているのです。(たぶん)

そのことを私はファシズムと呼んでいるのです。
私がそう言うのには根拠が無いわけではありません。今現在の多くのフランス人は私と同じ考えになったのを見ているからです。彼らの多くは20年前には死刑賛成者でした。そのことを前に書きました。現在の彼らは昔の考えに対して無知だったと反省し、恥じているのです。

あなたの言う日本がファシズムから抜け出す事ができたのは何だったのでしょうか。よく考えてみて下さい。
私から見れば、多くのファシズムの国の人が自己正当化するのと全く同じで、あなたはまだ洗脳されている人にしか見えません。

遺族からすれば、許せないというのは良くわかっているつもりです。しかし、冷静に客観的に考えてみると、報復とは何の解決にもなっていない事がわかります。解決になっていないばかりか、社会や子供たちに対して命の大切さを教える事のマイナス要素になっているとさえ感じます。

年表をみると、ここの犯人も、子供の時の経験がなければ、こんなに歪んだ性格にはならなかっただろうなと想像します。そういう不幸な子供を救い出せなかった社会があったなら、その社会を作っていた一人として私も責任をどこかに感じます。(実際には私が生まれる前の時代ですが)

死刑制度を正しいと思っている人たちはそういう風には絶対に考えられないのでしょうね。残念です。

投稿: 万次郎 | 2009年3月21日 (土) 11時24分

死刑反対は基地がい

投稿: | 2009年3月21日 (土) 11時24分

死刑賛成派です。
被害者は、わけの分からないまま、覚悟も出来ないうちに、他者によって勝手に自分の人生を終了させられてしまった・・・
私の言いたい事は、他の方によって既に書かれているなぁ。

投稿: | 2009年3月21日 (土) 11時21分

>被害者と同じ形で死にたいと思うだろう?

それはあなたの中で作り上げられた反省の模様。
生物として自らの死を望むなどということがあるのだろうか?死を究極の反省だと思い込んでいるだけでは?もし、死にたいと思ったのなら、それは反省することに耐えられなくなったからでしょう。

投稿: 万年筆 | 2009年3月20日 (金) 09時12分

こんな形で死なせて貰えるなんて、贅沢すぎると思う。苦しまずに、他人の手によって、人として尊重されて、死ねるのだから。

死ぬんだったら、被害者と同じ苦しみ、恐怖を味わいながら死ぬべきだと思う。
もし私が死刑囚のような過ちを犯したとして、本当に心から反省し、罪を償いたいと思ったとしたら、被害者と同じ形で死にたいと思うだろう。それが本当の意味で、“許されない”という事だと思う。
まあでも、現実的に考えて、そんな処刑は日本じゃ無理だろうけど。

しかしこの日記を読んでも、死を美しい物と捉えている感じが伝わってきて、苦しみが一切伝わってこない。自分に酔いしれてるんだなと思った。遺族の立場を考えると、許せない。
不条理な世の中。

投稿: | 2009年3月20日 (金) 06時06分

小田島さんは本当に反省されたのでしょうか??
ネットを通じてだと、どうしても疑ってしまうとこがあります。
それはさておき、小田島さんに言いたいです。
自分は何をしたか知っていますか?と。
あなたの私利私欲のために、尊い命が失われました。そして、その周りの人々を傷つけたあげく、あなたを愛し、支えてくれた人々のことを裏切ってしまったのです。
誰しも1人で成長できるわけではありません。
私も、ここにコメントした方々も、そして小田島さんも、たくさんの人々に支えられ、生きてきたのです。
被害者の方もそうだったでしょう。
大事な人々の心を傷つけた代償は、命をもってしても、軽いだろうと思います。
あなたの目の前に現れた、死刑という人生の最期。
きれいごとかもしれないけれど、自分にできることがあるのだと思うのなら、死ぬ間際まで、被害者の方々、支えてくれた人々に対して申し訳ないという気持ちを持ち続けてほしい。
そして生まれ変わって、今度こそは間違った選択をしないことを願います。

ご遺族の皆様の気持ちを察すると、小田島のことを死んでも許せないでしょう。
そうでいいと思います。
ご遺族の方々も小田島も、これから新しく歩みだすのです。
第3者である私が語れることではないと思いますが、単に私が思ったことを書いただけです。
中学生である私には、重すぎる話だったかもしれません。
皆様も浅い考えだと思われるかもしれませんが、なにとぞお許しください。
以上です。

投稿: 冴香 | 2009年3月20日 (金) 02時27分

死刑を賛成か反対か考えても正直よく分からないのですが、私は死にたくなうと思ったです。被害者としても加害者としても。

投稿: | 2009年3月20日 (金) 00時31分

少しだけ、この方を死刑にすべきなのか、と思った。しかし、被害者(故人)と遺族の気持ちを考えた時、やはり死刑でしょう。死刑廃止などと嬉しそうに言えるのは他人事と思っているから。但し、この方きっと天国に行きます。

投稿: … | 2009年3月19日 (木) 22時50分

私は、裁判は「人」を裁くのではなく、「行為」を裁くものだと思います。
小田島被告は四人を殺めた許されてはならない犯罪者ですが、それは「行為」であり、「彼のすべて」ではないと思います。
このブログを読んでどのように感じるかは人それぞれでしょう。

まあそういう私も同情は出来ませんが。

投稿: WJ | 2009年3月19日 (木) 21時39分

死刑囚のあなた自身は死刑制度に賛成か反対かを知りたい。

投稿: | 2009年3月19日 (木) 21時31分

死刑とはむずかしいですね

今軽い気持ちで書き込みをしようとしましたが、書いているうちに意見に矛盾が生まれたり、解釈が変わったりして結局1時間近く意見がまとまりませんでした

というか、多分死刑について万人の意見がまとまることなどあり得ないという結論に至りました

殺人や戦争や犯罪のない世の中になれば全部オッケーなんですが

僕は将来教育の現場で働き、罪を犯すことのない子供を育成してゆきたいと志しています

理想が未来を変えるんです!

投稿: 18歳 | 2009年3月19日 (木) 21時29分

こういったブログは有益だなぁと思う反面、
死刑囚の執行日を待つ心情のみを聞いて、
死刑制度に対する意見を決めてしまうのは、
非常にフェアでは無いように思う。
物事を判断するのであれば双方の言い分を聞く
必要があるのではないかという気がしてならない。
“死刑囚の執行日を待つ心情”を最期の言葉
と捕らえると、被害者にとっては、
殺害される寸前の命乞いと断末魔の声
にあたるのではないだろうか?
この双方を聞いた上で適切な判断・認識をしてもらいたいものである。

投稿: kaz | 2009年3月19日 (木) 19時11分

はじめまして。悪魔でも私独自の意見です、特に署名もありませんので、さらっと読んで見てください。

いらない人は、いらない…
自然の摂理

①弱い者は死に、強いものが生きる。
現実に生きる力がないから死を選ぶ。(自殺)
命を守ろうと精神に異常をきたす人の方が生きる力が強い。
(何をされても何が起こっても感じなのだから、自ら死を選ぶことは、ない。生きると言うことでは、強さを得たのだ。)
人間以外の動物は、どんなに辛い環境におかれても、痛くても、自ら死を選ぶことはない。命を未来につなげるために、そこまで感じる脳を与えられていないのだ。例え自ら死を選んだ場合でも、未来への命につなぐ手段だ。)

②殺人者は、死刑。
世の中に殺人を起こした人などいらない。
生かす意味がわからない???
いやな事、辛い事、苦しい事、隠したい、快楽、自分本位だから殺害するのだ。
自分本位=社会生活を円滑にできない
ありえない!隣人、家族、見知らぬ人に、ある日突然命を奪われるのだ。どんな理由にせよ、殺人は、間違っている。
※一つだけ例外がある。
自分の分身(未来への命)を守るべき行動。
(本当の意味での命の危機にあり、今まさに死に直面させられている事実の排除。)
これだけは、例外にしたい。未来へ命がつながらないからだ。

自分が辛い目にあったことがないから、殺害の衝動にかられた事がないから、言えるのだ!と、言われるかもしれない...
犯罪に手を染める前に(自殺する前に)周りを広い目で、広い心で見てほしい!必ず、手を染めることは、ないだろう!
いや違う!って思った?もう一度、周りを眺めてください!本屋に行く、混雑が嫌ならば図書館に行く!気になる本をとりあえず開いてみてください。他人の意見だが少しは、役に立つだろう。署名なしでのネットの意見ではなく、必ず最後に搭載されている写真、経歴、氏名。自分の意見を責任を持って世間に発信している意見です。解らなかったら、連絡先が載っています。問い合わせてみましょう。
対応者が冷ややかだったら、そこまでの人です...
残念ですが、諦めましょう。その本には、こだわることは、ありません。

社会が悪い!?しかし、そんな社会がなければ生活できない。
自分が社会を変えればいい。そんな力はない!できない!総理大臣になっている人がいるのだから、そこに向かえばなれるだろう。
向かう先さえ間違わなければ、たどり着くはずだ!向かわなければ、何もできるはずがない。
しかし、残念なことに人それぞれ、裁量があるので、ない人は残念ですが、そこに適用するしかない。
人生にリセットはない!もしあの時に!の「もし」もない!

刑務所で更正!?長年つきやって来た性格が変わるのだろうか?再犯率を見てみよう!かなり高い!
そう簡単に更正しないって事ですよね...
更正したならば、逆に刑務所を出れないはずだ。それくらい、重い罪を犯したのだから。

死刑が確定した貴方へ
死刑は、神様から与えられた、ご褒美だと思う。
「絞首刑は苦しいぞ。・・・省略・・・絶命するまで十数分もかかる。ぶら下がったまま、苦しみぬいて死ぬー」
と、書かれていましたが、足を挫いた時でも相当痛いに...
(書きながら思った、この記述の意図は?痛いから殺人は、しちゃだめ!!!違うだろう!)
しかし、生き残って現実、更正して復帰、自分のした事の恐ろしさに打ち勝てるだろうか?そんな苦しみから解放してくれるのだ。

■死刑囚の家族
家族は死刑執行の後も生きていくのだ。
世間の風に当たって。
犯罪をしていないのだから、殺害の罪の重さは、十分知っているだろうし、殺害をさせる前に何かできたのでは?と、自問自答にもなるだろう。
被害者のご遺族への申し訳ない心。
頭を下げて謝罪したから、反省したから、決して許される行為ではないと、知っている。

■死刑囚のご遺族へ
身内が殺人者なだけで、自分が犯した訳ではない。
どこをどう間違えて、殺害しても良し!となったのかは、誰も解らない。
前を向いて歩いて欲しい。

■被害者のご遺族へ
前に向かって歩いて欲しい。
どんなことをしても、戻ってきやしないのだ。
いくら悩み考えても…辛いがそれが現実です。
怨んでも何も生まれない。怨みの力は負の力だ。
負の力は、何も獲なし、生まれない。
新たな先を見つめて、前進して欲しい。

投稿: いぶき | 2009年3月19日 (木) 17時49分

私は死刑に反対だけど死刑に反対する人は死刑でいいと思う

投稿: | 2009年3月19日 (木) 17時43分

万次郎さん ファシズム下の国民感情に近いと書いてますが日本では戦時下の天皇制がそれに当たります 完璧な狂気のマインドコントロールです でも死刑は関係無い人には一切関係無いんです 国民皆が何らかの形で戦争に関わった悪魔のファシズムと当事者だけが苦しむ死刑制度とは全く別次元です 単に認識不足なのならいいですが本気モードなのならかなりあなたは重症ですね

投稿: 満汁 | 2009年3月19日 (木) 17時32分

小田島の犯した凶悪犯罪を知っていて死刑反対する方。人間の命を、何の罪もない人の命を残虐な手段で四人も殺害した男ですよ、この小田島は。よく、遺族の方が死刑を望むのはわかるが第三者が死刑を望むのはおかしいみたいなコメントしてる方いますが、一般的に常識のある人間なら当然の考え方ではありませんか?私はこんな殺人鬼に少しでも同情する人や死刑反対する人の考えが分かりません。

投稿: | 2009年3月19日 (木) 15時57分

初めてここに来ました。フランスで育ち、フランスに住んでいる者です。
今では世界の多くの国では死刑制は廃止されていて、それが常識なのに、ここの書き込みにあるような多くの意見は、私の様に長く海外に住む者にとっては、かなりショッキングです。

国連の人権委員会も日本に死刑制度を廃止するように勧告しているのを日本政府は無視しているので、世界の新聞などでは、中国と日本は野蛮な国として紹介されている事を日本の皆さんは、どう考えているのでしょうか。

世界の多くが死刑制度を廃止しているからだからそれに従え、というつもりはありません。

ただ、一度、死刑制度が野蛮だと言う考え方がわかってしまうと、いけにえの習慣や、首狩りの習慣が野蛮だと思えるのと同じく、ただの野蛮だとしか思えません。もちろん、野蛮と呼ばれるものを異文化として考えるのは興味深いという事でもあるのですが、さすがに自分が日本人であるということから、とても誇りに思える事ではありません。

アメリカでもいくつかの州は、日本程ではないにしても死刑が執行されたりしていますが、それらは、とても野蛮な行為としてヨーロッパでは度々伝えられています。
このヨーロッパでも、実は、はじめは民意とかけ離れていて、死刑廃止論者は少ないまま、廃止にしたのですが、実際に廃止になって数年もしたら、死刑制度に賛成する者は少なくなり、死刑という物に違和感を感じ、廃止が当たり前だと考える人が多数になりました。そのことからすると、今まであった死刑制度という物は、何だったのだろうか、と逆に興味を持ちます。ファッシズム下の国民感情にも似ている様に思います。というかそのものだと思います。

いつか、早いうちに日本にも死刑制度がなくなる事を祈ります。

死刑囚の手記を読んで私が思う事は、「生きる」という事はどういう事かと考えさせられる事です。もうじき殺される事を知りながら、もうほとんど限られている状態で生きる事は、普通ならば本当につらいでしょう。しかし、確かに死刑囚よりもつらい思いをして外の世界で生きている人も、いるでしょう。経済不況の中、最近は特にそう言う人が増えているに違いありません。

生活に行き詰まって、自殺をしようと思っている人が、ここの手記をみたらどう思うでしょうか。しかし、どういう事か私にもうまく説明が見つかりませんが、もし、自殺をしようとしている人がこの手記を読んだなら、なんとなく自殺を抑制する効果があるような気がしました。何ていうか、限界までまだ少しでも間があるのならば、もう少しその間を頑張ってみるべきだという考えが浮かんで来るみたいな。

自殺者には、選べる自由があると言う書き込みも読みましたが、それはそれで本当でありながらも、病気で苦しんでいる自殺希望者には自由とは呼べない気がします。私も苦しんだ事があるのでわかりますが、人間というのは、生きているだけで、すでに相当立派な事なのだと思います。だからこそ、たとえ相手が凄い犯罪者だったとしても、他人が他人の生きている事を終わらさせる事には、私は大きな抵抗を感じるのです。生物体として考えても、同じ種類の生物をたとえ恨みがあったとしても、殺して報復することが、種としての利益になるとは全く思えないのです。この死刑囚は、自分とは関係ないはずの不景気が、自分と同じ種の生物に与える影響について心配したりしています。こういう事を感じる事で、極悪犯罪者である自分から一瞬でも心理的に離れられるという効果があるのかも知れませんが、もしかしたら、そう言う事だけじゃなく、ここに何か人間としての重要な何かがあるのかも知れないとも思います。

投稿: 万次郎 | 2009年3月19日 (木) 08時19分

 彼の履歴を見て思うのは、彼が刑務所で過ごした時間が彼を「更生」させていない、むしろ彼の性質を歪めてしまったのではないかということです。
 罪を償い更生するべき過程で、実は更なる凶悪犯を育てて送り出してしまった・・・と言えないでしょうか。
 彼の責任の重さは変わりませんが、他にも問題があるのではないかと思えてなりません。
 

投稿: 東村山の中年男 | 2009年3月19日 (木) 08時10分

殺された人たちの突然訪れた恐怖や無念、痛みを考えると
極刑が死刑だけなんて、本当に甘いですよね。
死に対して覚悟も出来れば、さほど苦しみもなく死ねる。

私の家族が殺されたら
火あぶりの刑ぐらいにして欲しいものだと思う。

闇サイト殺人の3人も2人は火あぶりの刑、1人は絞首刑と差を付けると
遺族も納得出来ると思う。

投稿: 小僧 | 2009年3月19日 (木) 06時28分

唯さん

高田正彦という、保険金殺害を働いた凶悪犯の話です。育児の合間をぬって数々の死刑に関するサイトを訪問していた際に出会った記事です。


遺族は事件当初は高田を憎む気持ちが強く、高田からの手紙等一切読む事はなかったそう。
しかし、高田の幼い娘が「父を許して」と法廷で言うのを目の当たりにした事で、徐々に加害者親族からの墓参り等を受け入れるようになったのだそうです。
こうして事件や高田と向き合っていくうちに「やはり命をとるのはいけないんじゃないか。生きてこそ償えるのではないか」と思うようになり、高田の減刑を求める嘆願書を出したのだとか。
「憎い。許せない。だから生きて償って欲しい」という思いが深く印象に残りましたね。

投稿: 舞 | 2009年3月19日 (木) 00時49分

舞さん

有難うございます。
遺族が加害者に対する死刑執行の停止を求めた例、その存在を知りませんでした。もしよろしければ詳しく教えて頂けませんか?

因みに、上で無期懲役と書きましたが、仮釈放のない無期懲役(終身刑)という認識です。念のための加筆をさせて下さい。

投稿: 唯 | 2009年3月19日 (木) 00時24分

唯さん


全然変な事じゃないと思いますよ。
現に遺族が加害者に対する死刑執行の停止を求めた例もあるくらいですから(当然受理されませんでしたが…)。


こればっかりはあなたの言う通り、当事者になってみないとわかりません。
「死ぬなんて卑怯だ。生きて苦しめ」と思うかもしれないし、「お前に生きる資格などない。早く死んでくれ」と思うかもしれない。


私は死刑賛成派なのですが、理由はやはり「生きていればそれなりに良い事があるから」ですかね。

投稿: 舞 | 2009年3月18日 (水) 23時48分

>死刑反対派の皆さん、あなた方は、自分の家族が殺されても、死刑反対とか言えるの???
言えるなら大したもんだわ。

私は、当事者になってみないと実際はわかりませんが、恐らく無期懲役を希望すると思います。同情心からではありません。無期懲役の方が罪と向き合う時間も長いからです。そう考えるのは変なことなのでしょうか。

投稿: 唯 | 2009年3月18日 (水) 23時32分

社会には「いい」人もいれば「悪い」人もおり、裕福な人もいれば貧しい人もおり、それは本人の努力のみならず、単なる運に規定される部分と社会の構造に規定される部分が大きいと思います。ななしさんの言葉でいえば、自分を取り巻く環境は自分で選べない部分も大きいということです。

彼には知性があったと思います。けれどほかの面でそれほど運がよくなかったのは明らかです。それを彼より「運」のよかった人間、多くのものを与えられた人間が、そしてそれでも大なり小なりの間違いを起こす人間が、彼の環境への理解なしに、批判することはできないと思います。

私は個人的には死刑制度に反対しません。被害者へ同情を感じることも大事だと思います。しかし、被害者への同情が、単に犯罪者への怒り、憎しみをあおるだけでは、被害者の受けた傷は癒えないでしょう。今の彼が死刑を前にして、罪と向き合っているのは彼にとっても、被害者にとっても、大切なことだと感じます。

投稿: 石田 | 2009年3月18日 (水) 23時00分

2ここの書き込みは2chレベルだな。

投稿: | 2009年3月18日 (水) 22時53分

ななしさんのコメントに共感しました。人の育つ環境が一番大事ですよね。最近のテレビゲームとかアニメやお笑い番組など見てたら…少し不安になります。私の子供の頃は、フランダースの犬とかラスカルとか…涙なしでは見れないアニメが多かったけれど…最近のアニメは優しい気持ちになれないです。

投稿: りんね | 2009年3月18日 (水) 21時55分

終身刑導入を…という意見があるけど、日本は残念ながら狭い。


何千何百となる受刑者を、どこに収容する?仮に施設環境までは整えられたとしても、彼らを収容し一生涯拘束する際にかかる費用はどこから捻出する?
我々が払う税金でしょう。


納税って、生活に重くのしかかってくる抗えない義務ですから。終身刑導入に関わる税額の増加を納得する国民はほぼいないと私は考えます。


もっとも死刑がいまだに存在する理由は土地・維持の問題だけでなく、かつては仇討ちが美談として語られていた日本古来の文化・思想の名残りでもあるのではないでしょうか。

投稿: 舞 | 2009年3月18日 (水) 21時22分

何故税金で犯罪者を養うのかと言う意見がありましたが、私も以前は同じ様に馬鹿らしい事だと思っていました。
しかし、教育に携わる職業についていると、人間を作るのは環境であると実感しました。
皆犯罪を犯したくて犯しているわけじゃないと思います。
産まれてから犯罪を犯すまでの経緯があってこその結果です。
死刑は不穏分子の極端な排除方法ですが、もし本当に"この世から犯罪を無くしたい"という意図で死刑制度を続けるのであれば、死刑囚が犯罪を犯すまでに出会った人間、建物等も全て排除しなければ根本的な解決にはならないのでは、と思います。
罪を裁くことばかりに夢中で、罪から学ぶことをしなければ裁判員制度も裁判官の心労負担を分け合うだけの存在になりそうです。


投稿: ななし | 2009年3月18日 (水) 20時55分

犯罪者を全て死刑にしたら罪の軽い重いの概念が無くなって凶悪犯罪が増加するに決まってるだろ

1人殺しても死刑
300人殺しても死刑
なら300人殺してしまおう、って具合にさ

投稿: | 2009年3月18日 (水) 20時45分

http://ja.wikipedia.org/wiki/民主主義

民主主義を無条件に広めると、知的教育を受けていないもの、恐怖や怒りなどの個人の損得感情に影響されやすい非理性的なものも有権者となり、結果として衆愚政治となりかねない危険がある。逆の言い方をすれば、民主主義の成功のためには国民の有権者全体が知的教育を受けられること、恐怖やマスコミによる扇動に惑わされず理性的な意思の決定ができる社会が不可欠である

これは裁判についてもいえますね。衆愚裁判はみたくない。

投稿: 知性と理性の大事さ | 2009年3月18日 (水) 20時44分

読んで見て 反省しているように見えますが…。 多分 出任せでしょう。 法が下した 刑罰。 神妙に受けて下さい。 あなたが 死んでも 被害者は生き返ってくれません。

投稿: 今村 孝雄 | 2009年3月18日 (水) 20時25分

殺人を憎むのは人として当然の感情だと思うが、それを国家に実行させるということは、口実はあっても結局は国家を殺人者に仕立ててるわけで。自分の国が人殺し国家になるというのを看過したくない、という気持ちも理解できる。

治安の維持が目的なら終身刑でも同じ効果が期待できるし。遺族の感情を大事する気持ちもすばらしいともうが、人の感情とは個人の価値観、感性の問題であって、遺族がどう感じているか?ということは、誰にもわからない。遺族によっても個人個人、考え方は違うはず。逆に言うと、もし遺族が恨んでなければ、加害者を許していいのか?それでは法の下の平等にも反するし、治安の維持もできない。

投稿: 遺族の気持ち | 2009年3月18日 (水) 20時17分

こちらから本人に聞くことは出来ませんが聞けるのであれば、あなた自身で遺族に対して償える方法は何があるのかを聞きたい、私個人ではやはり遺族のことを考えると選択肢はないと思ってしまいますが・・・
一度犯した罪はどんな事があっても消せないと思っていますが、消せるのであればその償いを知りたい

投稿: Take | 2009年3月18日 (水) 20時09分

死んで罪が消えるのでなし、死んでからが地獄。
殺した人がお迎えに消えてくれますよ。

投稿: | 2009年3月18日 (水) 20時07分

犯罪者はすべて死刑でよろしい
犯罪者をなぜ税金でやしなわないといけない?

投稿: | 2009年3月18日 (水) 20時06分

うん、そう思う

死刑制度自体、感情とは切り離せない制度だから。

感情抜きに刑のバランスを冷静になんて、論理的に無理。

投稿: | 2009年3月18日 (水) 19時58分

全く、同情ができない。

彼が犯した罪、そして、現在、被害者は彼に殺され生きていないのに、彼が生きて発言しているということ。

巧妙な書き方で、反省をしているように思わせるが、真に悔やんでいれば、このような発言を辞退する。まちがいなく。

若くして、自分の妻や子供が急逝した私にとって、自分勝手に命を駆る彼を許せない。
それを、感情的の一言で片づけるのであれば、胸を張って、私は感情的な人間だと答えたい。

投稿: 遺族ではないが | 2009年3月18日 (水) 19時51分

死刑反対派の皆さん、あなた方は、自分の家族が殺されても、死刑反対とか言えるの???
言えるなら大したもんだわ。

投稿: 良く考えて | 2009年3月18日 (水) 19時43分

遺族が恨むのは当然としても第三者が感情的になって非難する姿を見るのはどうも抵抗がある。まぁもし自分の家にこられたら、とか想像力豊かな人もいるんだろうけど、そういう人が裁判員になるのはどうかなと思う。罪と刑罰のバランスとかを冷静に考えれるんだろうか?

投稿: 冷静さ | 2009年3月18日 (水) 19時42分

しかし、こういうブログを見ると死刑は廃止しなきゃいかんなと思いますね。

投稿: 河合 | 2009年3月18日 (水) 19時35分

彼の文章は生き生きしすぎていて下心があるように思います。彼にはもう社会も政治も関係ないじゃないですか。腹をくくっているような事を書きつつ、ブログを通して世論を動かし恩赦にありつきたいと思っている、万に一つの可能性でもそれがつらい獄中で精神を保つ一筋の希望になっているのではないでしょうか。実際、朝日新聞にも掲載されましたし、裁判員制度と絡めて何でも透明化、オープンにと奇麗事を連呼し、(普通に考えて同情論を誘う可能性の方が高いであろう)このようなブログを続けるのはよくない事だと思います。このようなことをして死刑判決の基準が上がるのもよくないと思います。

投稿: | 2009年3月18日 (水) 17時30分

許されない罪を犯した人間にも、生きる意味はある…


では、被害者にも殺される事に意味があったのでしょうか。そして我々が犯している許し難い罪とは?是非聞いてみたい。冷やかし等ではなく、あくまでも真剣に。

投稿: 舞 | 2009年3月18日 (水) 15時10分

はじめまして。今朝の新聞でこのブログのことが紹介されているのを見て久しぶりに立ち寄ってみました。以前、フィリピンの奥さんから小田島さんに宛てた手紙を読ませていただき思いました。罪を犯した人間といえど社会との多様な関わりのなかで生きていることに違いはなく、ひとつの事件における人間関係だけを見てその人の生きる価値みたいなのを私たちが決めてしまっていいのかな、と。その思いはいまも変わりません。許されない罪を犯した人間にも生き続ける意味があると信じています。許されない罪を犯し続けているのはむしろ私たちの方なのかも。

投稿: | 2009年3月18日 (水) 12時41分

「なにもない HIV」でググると出てくるブログの人のほうが
はるかに同情できます。

投稿: | 2009年3月16日 (月) 12時38分

いや、ホントそう思いますよ。小田島は人を殺害するまえに自分自身で命を絶ってくれたら良かったのに。

投稿: | 2009年3月16日 (月) 11時55分

小田島は、結果として彼自身を含めた5つの命を犠牲にしたんですよ。
捕まりゃ死刑になる事くらい想定内の事だろうし、自殺のようなものじゃないの?
自分でやらかした結果の後始末を他人にやらせるぶん(死刑執行の事ね)、死刑囚の方がよっぽど質悪いと思うわ


確かに、飛び込みや室内の首吊り等、目撃者と特殊清掃員その他大勢に多大なる迷惑をかける自殺者も困ったもんですけど。


まぁ…比べるもんじゃないですね。失礼。

投稿: 舞 | 2009年3月16日 (月) 09時30分

まぁ、一部の死刑囚を省いて、自分の意思とは別に死を受け入れ無くてはいけない死刑囚の状況は、死と背中合わせの病人と似ているかも・・・

投稿: | 2009年3月16日 (月) 02時35分

自殺志願者と小田島は明らかに違うでしょ。

自殺志願者は自分の死ぬ時期を自分で選べるから自由だ。

小田島や末期癌患者は、苦しみながら死ぬのを待つだけ。

自殺は自分の意思で決行できるのだから贅沢だ。
命を無駄にしてる!

投稿: | 2009年3月16日 (月) 02時26分

ん?

「自殺志願者…」のコメント内容は、「苦しみながら自殺していく罪無き者もいるのに、犯罪を犯したお前(小田島)が首くくられるくらいで「悲劇のヒロイン」ぶるな」って事を言いたいんじゃないの?


自殺志願者を悲劇のヒロインと言われた様に捉えているのかなー?と思って。勘違いだったらごめんなさいね。

投稿: 舞 | 2009年3月15日 (日) 22時24分

悲劇のヒロイン?なんだと勝手なこと言うな!ヒロインになんかなったつもりはないね。自殺志願者と一緒にする考えがどうかと思うけど?

投稿: | 2009年3月15日 (日) 20時08分

我が国は年間何万人も自殺している。
ニュースになるのは硫化水素や飛び込みくらいで、ほとんどが自分で首を吊ってひっそり死んでいく。
小田島がいずれ喰らう落下式なんかより何倍も苦しみを感じながら死んでいくのだ。
人を殺した訳でもないのにな。
そんな時代にこいつの「自分は悲劇のヒロイン」的な戯言を聞いてるとムカついてしょうがないわ。

投稿: | 2009年3月15日 (日) 17時26分

その通りですね。

投稿: | 2009年3月15日 (日) 02時59分

死んでいい人間というより、死ななければいけない人間といったほうが正しい。

投稿: | 2009年3月14日 (土) 21時41分

いくら人を殺した人間とはいえ、死んでいい人間なんて居ませんよ。どうして今の世の中は、すぐ死刑にしようとするんでしょうね。私はあなたに生きていてもらいたい。

投稿: リユ | 2009年3月14日 (土) 21時21分

税金使って死刑にさせられるだけなのに

「自分にできること」などと言っている事自体がおこがましい。

投稿: | 2009年3月14日 (土) 21時05分

頸動脈を自分の体重で締め上げると10秒前後で意識を失う。何の本を読んだのかは知らないが、彼が絞首に対してそういう認識ならばあえて進言しないほうがいいと思う。ましてや高所落下式の死刑は痛いと感じる間も無く気絶するらしい。

投稿: 冠 | 2009年3月14日 (土) 19時20分

『極悪人の自分の最期にふさわしい』とは男気を感じたが…。

投稿: 人 | 2009年3月14日 (土) 19時09分

死刑執行の報を受けた被害者遺族が、わずかながらでも報復感情を昇華する事ができ
彼の死を知ったフィリピンの妻子が、悲しみに暮れながらも夫、父を少しずつゆっくり忘れ新しい人生を歩んでいけるなら、
彼の処刑にはじゅうぶん意義があると思う。


反省や後悔は、いくら探ってみたところで結局は本人しか知り得ない不確かなもの。
何かしら心境の変化があった事は間違いないと思うけど、もはやそれでは誰も救えない。


それ程に、彼の犯した罪は深いのだと思う。

投稿: 舞 | 2009年3月14日 (土) 17時09分

いくら反省しても悔やんでも人を四人も殺害した小田島は同情のよちなし。早く執行されることを願います。

投稿: | 2009年3月14日 (土) 14時32分

私も、白菜さんと同じ意見です。真に反省出来れば、次の人生があると過程しますと。真っ当な本当の幸せな人生が訪れると思います。

投稿: 匿名太郎 | 2009年3月14日 (土) 13時31分

執行を受けて今度は真人間に生まれ変わる事を期待したいです。

投稿: 白菜 | 2009年3月14日 (土) 13時18分

一日でも早い執行を望む。

投稿: | 2009年3月14日 (土) 11時25分

彼にとって死刑は当然の事。同情など少しもできない。

投稿: | 2009年3月14日 (土) 06時45分

彼の死だけを考えれば、同情できる内容だけど、彼の死の原因は、自分にあるわけだし、やはり私も死刑は苦しいのか、失神するのかわからないけど、仕方ないと思ってしまいます。

彼はやはり見栄を張るのが己の美学なんですね。己のプライド重視。
いっそ死ぬ前に心を砕いて全部本音を吐き出せばいいのに。

投稿: | 2009年3月14日 (土) 01時13分

彼が、刑務所と日常の生活で、言い訳をせず反省や後悔をする機会を何故見いだせなかったのだろうか?交流関係の悪化と真摯に言い訳をせずに自分を見つめる心を無くしてしまったからだと思う。又、自分だけ例外と思う気持ちの最果てが、彼の人生の結果として、現在の状況があるので無かろうか?

投稿: 匿名太郎 | 2009年3月14日 (土) 00時46分

彼はどんな本を読んだのだろうか。

絞首刑は気を失う為、苦しみはさほど感じないと思うが。

夢も希望も失い、いつか訪れる絞首刑に備えて覚悟を決めているんだろうなと思う。

彼も絞首刑に恐怖を感じているようだが、彼に志半ばで殺された被害者も恐怖と無念の中絶命していった事を考えると、どう考えても彼に同情できない。

投稿: 土建屋40才 | 2009年3月13日 (金) 23時51分

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